第9話 八咫烏の詩姫
会場に、真っ白な雪が降り積もり、気温はだんだんと下がり始めていた。火狐の羽織のおかけで、凍えることはなかった。
たくさんのゲルが置かれた、サーカス団のブース前で団員達が、焚き火を囲んで宴会をしていた。
ゲルの中では、妖達が檻に閉じ込められ、うめき声や亜人女性のすすり泣く声が、不気味に聞こえている。
桜はその者達に、安らぎを与える詩を奏で、励ましていた。僕は、その声を頼りに、彼女を探すことにした。
……くら……さくら!
僕は、必死に彼女を探した。彼女も詩うのをやめて、あたりを見渡してくれていた。しかし人の気配は感じられない。
耳をすまして、よぉく聞いていみた……聞こえる、たしかに誰かが、うちのことを呼んでいる。
桜は立ち上がり、詩を奏出した……それは"うちはここにいるよ……ここで詩を歌っているよ"と伝えているかのようであった。
僕は、詩を頼りに彼女を探し、ようやくそのゲルを見つけた。シートをめくり、こっそりと薄暗いゲルの中に入った。
持っていた勾玉に言霊を伝えると、ほんのりと明かりが灯り、足元を照らしていた。
「桜?……そこにいるの?」
彼女は無言の笑顔で、手を振ってくれた。
「またうちの詩、聞きに来てくれたん?おおきに」
ちょっぴり照れくさそうで、されど安心したような表情が、とても可愛く思えた。その笑顔をみて、僕も一安心していた。
「どうしてこんな夜中に、詩を歌っているの?」
彼女は、きょとんとした顔で、僕のことを眺めて、微笑んだ。
「ごめんなさい。詩を歌うとね、気持ちが落ち着くの……見て今まであんなに騒いでいた、あの子達も今はこんなに落ち着いて眠ってる。みんな怖いの、だから詩うの少しでも感情が安らぐように……」
あれだけ騒がしかったゲルが、今では安心しきったかのような静寂の空気に包まれていた。
「本当だ!すごい歌だね」
「こんなの歌なんかじゃない。詩は、ただ他人を操るだけの忌まわしき術よ。うちは、詩が嫌い……」
「でも僕は、その詩好きだよ……心が暖かくなる感じがするんだ。ここにいる人達だってそう思ってるよ。だからもっと聞かせて欲しい」
「…………」
彼女は、少し戸惑った顔をしていたが、なにも言わず、まだ詩を口ずさみ始めた。
ゆっくりと柔らかく鮮明な歌声が、生きていた頃の、じいちゃんの姿を思い出させた。僕は詩に聴き入り、知らないうちに涙を流していた。
「どうして泣いているの?」
「どうしてだろう……わかんないよ」
その詩の音色が、じいちゃんを弔う鎮魂歌のように聴こえたからなのだろうか?
「あれ!なんでだろう。止まらないや……」
彼女の詩は、僕の心に響き、彼女との出会いは、まるで運命だと感じさせた。僕は彼女をここから連れ出すことを決めた。
「キミは、こんなところにいちゃダメだ!僕と一緒に逃げよう」
「おおきに、でも大丈夫……」
「どうして?」
「うちの両親と姉上様が、妖達に殺された。だから、もう帰る居場所が残されてはいないの……」
「妖達って……誰のこと?」
「分からない。わかっていることは、白い陰陽術師の男と黒いローブを被った男だけはわかる……」
桜の話から察すると、白い陰陽術師の男と、黒いローブを被った男の他にも、まだ複数の妖達を従えて郷にやって来たらしい。
そして八咫王が大切にしていた剣を奪った後、郷に壊滅的な破壊を行い立ち去って行ったらしい。
「桜は、八咫烏の姫様なの?」
「うん!そうだよ。それにもうすぐ、夜叉王様がうちを助けに来てくれるはず……なの」
桜がお姫様であることも驚いたが、夜叉王という人が助けに来るという事実に、驚きを隠せなかった。そいつは彼女とどういう関係なんだろう。なんだかモヤモヤする……
「夜叉王様って……誰なの?」
「むかし、母上様が御伽噺で話てくれたの。御伽噺の中に出てくる、大きくて真っ黒な翼を持った夜叉王様が、窮地に助けに来てくれるって話……あるでしょう?」
それを聴いて、どこかホッとする自分は、クスッと笑ってしまった。
「えっ!なに……どうしたの?うち、なんか変なこと言った?」
「ごめん。僕はその話を知らないんだよ。ごめんよ。でも、もしよかったら僕が、キミの夜叉王様になってあげるよ!」
「おおきに……」
すぐに檻に掛けられていた鍵を開くことにした。僕にとって鍵の施錠を外すことは、すごく簡単なことであった。
あっという間に……あれ?!開かない。
「ダメやよ。この鍵には妖対策の術が施されているわ。普通の解除術で、開けることは出来ないわ」
このままで来て、彼女を助けることが出来ない……どうする。あれこれと悩んでいると、足音が近づいてきた。
『誰か来た。早く逃げて……お願い!』
しかし彼女を置いて逃げることなど、僕には出来ない。すると彼女はまた詩を奏で出した。
「おぃ、そこに誰かいるのか?」
やってきたのは、今朝お渡りの時、僕を投げ飛ばしたサーカス団のピエロであった。辺りを警戒しながら、ゆっくりと彼女に近づいてくる。
しかし彼女の傍らにいる僕の姿に、気づく気配はなかった。彼女が詩っている詩には、人の気配を消し去る認識阻害の効果があったようだ。
「まぁ、いい……」
ピエロは、鍵の束の中からひとつを選び、扉を開いて、檻の中へと入って行った。どうやら酒に酔った勢いで彼女を襲おうと、やってきたようであった。
「おまえは、団長のお気に入りだからなぁ。手は出すなと言われていたが、俺好みで、かわいいんだよな!今夜だけは、俺様とイチャイチャしようじゃないか」
ピエロは気味の悪い笑顔で、桜に近づいてゆく。彼女も逃げようと檻の隅に追いやられてゆく。じりじりと迫る恐怖に怯えていた。
『そうはさせるかよ、このロリコン野郎』
ピエロの後を追いかけ、足を引っ掛けてすっ転ばせた。さらに彼女の手を取り檻を出て、扉を施錠してピエロを閉じ込めた。
「痛ててて……なんだ、何が起きたんだ?おい、コラ!早くここから出しやがれ……」
出せと言われて、出すバカはいないだろう。今朝のこともあるから、そこで少し反省していろ。
僕は、桜の手を取りゲルをこっそりと、逃げ出した。会場内はひっそりと静まりかえり、雪だけがしんしんと降り積っていた。
クシュン!真冬の最中、ろくな衣服も与えてもらえず、小さな体を震えていた。僕はそんな彼女の肩に火狐の羽織をかけてあげた。
「寒いだろう?これを着るといいよ」
「おおにき……」
小さく震える肩を見ていると、咲依ちゃんのことを思い出す。ちょうど同い年くらいだろうか?
アレ?なんだろう。この気持ちは、これが恋というものなのだろうか?
「どうしたん?」
「いや……なんでもないよ。早くここから出よう」
「うん」
早くこの会場を抜け出さないと、また奴らに見つかってしまう。僕は、桜の手を取り稲荷神社へと走り出した。
その時、首にかけられていた緑色の勾玉が、街のガス燈の明かりに照らされ、綺麗な輝きをみせた。
それを影に潜むなにかが、こっそりと眺めて不気味な笑みを浮かべていた。
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