第8話 謎の詩姫
僕は知らぬ間に眠りに落ち、ゆっくりとした時間だけが、流れていた。
「おぃ!おまえ、ここで何をしている?」
大きな声に驚き、びっくりして飛び起きた。そこには、追っ手の姿がいなくなり……
狐の妖が、いまにも僕を喰らおうと、大きく口を広げていた。
あの狛狐に化けた妖が、姿を現したのだろうか?追っ手を討伐した対価として、僕の身体を求めているのだろうか?
『貴様の身体を俺に捧げろ。そうすればあの妖の討伐を行ってやる。どうだ?悪い話じゃないだろう。って…………』
僕は、あまりの恐ろしさで、後ずさりした。御堂の中に逃げ込み、土下座で命乞いをした。
「助けてくれたことは、感謝しています。ですが、僕を食べても、美味しくありません。だから食べないでください。お願いします」
「いや、おまえは、食べないよ!」
恐怖に怯えながら、頭をあげて見た。すると狐の横から、おじさんがキョトンと顔を覗かせ、笑っていた。
「今日の、晩飯に食べるのは、こいつだよ!」
おじさんが狐の顔を、僕に突きつけ、嬉しそうに話してくれた。
目の前に突きつけられた狐が、今にも襲ってきそうで、恐ろしく冷や汗を垂らした。
「アハハハ……悪いわるい!しかし面白いやつだなぁ、おまえは!」
「すみません……」
おどおどと怯える僕のことを察して、優しい言葉をかけてくれた。
「しかし酷い雨だなぁ!こりゃ……止むのに時間がかかるだろう。どうだ、うちに来ないか?驚かせたお詫びに、こいつをご馳走してやるよ。わしは一人もんだから、気兼ねすることはない!」
「いや、でも大丈夫ですから……」
その時、僕のお腹の虫が鳴いた。そういえば朝、たこ焼きを少し食べただけだった。それにいろいろと走り回る大変な一日だったな。
「お腹のむしも返事をしたんだ。さぁ早く行こう」
僕は、疲労と空腹感に負けて、おじさんの誘いを受けることにした。
おじさんの家は、神社からほど近い山裾にあった。大きな門戸を潜り中に入ると、大きな茅葺屋根の庄屋屋敷があった。
築百年は経っている、古い建物であった。彼は玄関を開け、中に招き入れてくれた。
「さぁ、中に入ってくれ!」
「すみません」
中に入ると奥へ繋がる土間があり、その奥が狩った獲物を、解体する場所が設けられていた。
彼は、奥の解体部屋に獲物を運び込むと、僕を茶間にある囲炉裏のそばへと案内してくれた。
そして囲炉裏に火を打ち、暖をとってくれた。雨で冷えきった体が温まり、心地よくなって来た。
「今日は、寒いから鍋にでもするか!」
そのあと彼は、夕げの支度に取り掛かかってくれた。とても上機嫌で、どことなく嬉しそうにも見えた。
「さぁ!できたぞ。遠慮なく食べてくれ」
鍋の具材は、狩って来たばかりの狐の肉が使っていた。それは火狐と言う種類で、火山地帯に生息し、滅多と口には入らない高級食材であった。
「たくさん食ってくれよ」
おまえも腹減ってんだろ?そう言わんばかりに、たくさんの肉を、漆器の器によそってくれた。
「ありがとうございます」
遠慮しながらも、空腹に負けて食べることにした。
「いただきます……おいしい!」
「そうか!そいつはよかった。しっかり食えよ」
暖かい鍋が冷えきった心と、冷たく閉ざしていた感情を、じんわりと温め溶かしてくれた。
彼は、鍋をつまみにして、晩酌を始めた。グビグビと一杯目を飲みほした。
「かぁー!この一杯がたまらん」
彼は、顔を真っ赤に染め、笑顔が満ちていた。その瞬間、彼は幸せそうに見えた。
「わしは、
「僕は、速玉 狐凪と言います。狐凪と呼んでください。雲玉堂という店で、勾玉技巧師をしています」
「おぉ、あの雲玉堂かぁ?」
その時彼は、僕がつけていた首飾りをチラりと見て、驚いた顔をしていた。
「ときに狐凪よ、両親は健在か?」
「いいえ、僕は捨て子なんです。雲玉堂の源蔵じいちゃんに拾われて、育てられました。だから、両親のことはよく知らないです」
すると彼の表情が険しくなってゆくのがわかった。僕は、なにか悪いことでも言ったのだろうか?
「そうか……悪いことを聞いたなぁ」
「いえ、大丈夫です」
お互いに沈黙が広がりつつあったが、空気を明るくするため、彼が別の話題を振ってくれた。
「そういえば、今度行われる妖魔博覧会で、歌姫ってのが歌を歌うらしいぞ!知ってるか?」
「へえ、そんなイベントもあるんですね?歌姫の歌を、聴いてみたいですね」
「狐凪も、こばとが好みなのか?」
二人はお互いの好みや興味を共有し、若者の色恋話を、嬉しそうに胸踊らせて聞いてくれた。
「……そうですね。でも、僕の好みはサーカス団のお渡りで、歌っていた子の方が好みです」
ぶっぉぉぉ……
突然、彼が驚いたような表情を見せ、飲んでいた酒を吹き出した。
「はぁ!サーカス団?……まさかあの殲獄堂か?」
「はい……知ってるんですか?」
動揺を隠すように、葉巻に火をつけて吹かせると、香りがあたりに立ち込めた。
ようやく冷静さを取り戻すと、古傷が痛むような黒歴史を、ゆっくりと話してくれた。
「あぁ!昔あいつから討伐依頼を受けたことがあってなぁ。討伐を終えて、持ち帰った獲物に、あいつが難クセをつけやがったんだ。それ以外にも無理難題な討伐を、依頼されて散々な目にあったことがある」
そのような過去に封印した記憶を忘れ去ろうと、ひたすら酒を飲んでいた。
「それとサーカス団の貯吾朗には気をつけろ。あいつは裏でやばい商売をしてやがる」
「やばい商売って……一体どんなことですか?」
「裏には、大きな組織がついていて、奴隷売買や、妖魔薬の密売なども手がけているらしい!」
奴隷売買?妖魔薬?そういえば、桜の体に不自然なアザや傷が残っていた。いつかは売られたり、薬漬けにされたりする可能性があるということか?
それだけは絶対に嫌だ。ふつふつと怒りに満ち、負の感情が混みあげてきた。そんなやばいところに彼女をおいてはおけない。
こんなことを言っても信じてもらえるか、どうかわからなかったが本当のことを伝えた。
「彼女の……歌が聴こえたんです」
「歌……?」
「はい、彼女が歌う音色が商店街に響いて、僕は知らない間に、その歌に誘われるように駆け出して、不思議と心奪われる感じがしたんです」
「心……奪われる……なぁ?」
パチッと
「狐凪……知ってるか?その昔、
「詩姫……ですか?」
「あぁ!……戦場に歌が咲き誇り、その戦を勝利に導くという伝説の詩姫がいたと聞く。戦で打ちひしがれてた兵士の心や傷ついた身体を癒し。さらには兵士の能力を極限まで引き上げて、戦わせる詩を奏でるそうだ。その詩い手を"八咫烏の詩姫"と呼ぶ。もしかすると、その子は詩姫の末裔かもしれんな」
桜が……八咫烏の詩姫……これはなにかの偶然なのか?それとも運命のいたずらなのか……
少なくなった酒の器に注ごうとしたが……ぽたりぽたりとしずくが滴り落ちるだけで、酒のサの字も出なくなってしまった。
日が暮れると雨は雪に変わり、宵の口にはしんしんと降り積もった雪が、街を真っ白に染め上げた。
ゴーンゴーン……
壁にかけられた振り子時計が、九時の時報を告げていた。
「そろそろ僕、帰ります。ご馳走様でした」
「今日はもう遅い、ここに泊まって行け……夜になれば鬼が出るぞ……」
鬼という言葉に驚いたが、僕には行かなきゃいけないところがある。僕は決意を決めて重い腰をあげた。
「すみません。まだやらなきゃいけないことがあるんです。行かせてください」
どうやら彼には、その意味がわかったようで、ニタりと笑って送り出してくれた。
「わかった。こんな時間まで引き留めて、悪かったなぁ!」
「いえ、僕もご馳走になれてよかったです。ありがとうございました」
温かさと居心地のいい、この場所を発つのは少し名残惜しい気もしていた。
「まだ雪が降ってるようだな。ちょっと待てろ!」
戸口を出ようとする僕を引き止め、納戸の奥から新しく仕立てられた羽織を引き出し、僕の肩にそっと乗せてくれた。
「今日は寒い!これを着て行け!」
それは火狐で仕立てられた羽織だった。火狐の皮は耐火性に優れた素材で火に強い、その他にも熱を備蓄する性能があり、軽くて強い防寒服としても最高級品であった。
「それはおまえにやる、持って行け……また困ったことがあれば、いつでもわしの元へこい!」
彼は、それ以上なにも言わず、家の中へ入って行った。僕はなにも言えず、ありがとうございました……と深々と頭を下げ、走り去った。
雪は思っていた以上に降り積もっていた。僕は、桜がいる妖魔博覧会会場へと向かっていた。
じいちゃんが亡くなった悲しみは深い。しかし今は目の前で、悲しむ彼女を助けてあげたい。そう思っていた。
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