十一 銀鈴、吹雪のため雲憩湖駅で足止めを食らうのこと
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・本作の「目的」は【趣味で執筆】、作者要望は【長所を教えてください!】です。お間違えないようにお願いします。
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・ご自身の感想姿勢・信念が、本作に「少しでも求められていない」とお感じなら、感想はご遠慮ください。
・本作は、「鉄道が存在する中華風ファンタジー世界」がどう表現できるか? との実験作です。中華風ファンタジーと鉄道(特に、豊田巧氏の『RAIL WARS』『信長鉄道』、内田百閒氏の『阿呆列車』、大和田健樹氏の『鉄道唱歌』)がお好きでないと、好みに合わないかもしれません。あらかじめ、ご承知おきください。お好みに合わぬ場合には、無理に読まれる必要もなく、感想を書かれる必要もありません。あくまでも【趣味】で、「書きたいもの」を「書きたいように」書いた作品です。その点は十二分にご理解ください!
・あらすじで興味が持てなければ、本文を読まれる必要はありません。無理に感想を書かれる必要もありません。私も、感想返しが必ずしもできるわけではありません。また、感想返しはご随意に願います。なお、ひと言でも良い点を指摘できる作品に限り、感想を書くようにしています。
・攻撃的、挑発的態度などのご感想は、「非表示」「ブロック」の措置を取りますことを、あらかじめご承知おきください。
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午前十一時ごろ。
御召列車は、雲憩湖駅に着いた。
列車から降り立った銀鈴たちは、蒼寧地方鉄道局長、雲憩湖駅長、保線区長の先導で、歩廊(ホーム)から、線路へ降り、天届駅側の歯軌条起点(エントランス)へと向かった。
「こちらが歯軌条(しきじょう)の入り口になります。先ほど車上でご説明申し上げたように、ここで機関車側の歯車を線路のギザギザに噛み合わせて登り下りします」
蒼寧地方鉄道局長は、線路を指差しながら説明した。
「ほんとに、のこぎりのようね」
香々がうなずいた。
一通りの視察を終えた銀鈴は香々や茘娘、棗児と一緒に、駅舎の休憩室で一息ついていた。
「どうぞ」
銀鈴は、出された茶を飲んだ
「いただきます。あれ? 乳茶(ミルクティー)だと思ったけど、しょっぱくないし、少し油っぽいわね」
「乳茶(ミルクティー)ではなく、乳酪(バター)茶でございます。お口に合わぬ可能性もございましたので、塩は抜いております。お好みで、お塩やお砂糖をお入れください」
給仕の駅長夫人が答えた。彼女は、太めの筒袖、足首までの長着を右肩を出して着て、中衣は立ち襟、鉤状の合わせ目、紐釦(ボタン)の雲表衣裳を着ていた。
銀鈴は「そうでしたか」と軽くうなずき、茶碗に砂糖を入れ、ひと口飲んだ。
「お砂糖を入れると、泰西式の乳茶(ミルクティー)に近いですね」
「お口に合ったようでなによりです。赴任当初は、飲みづらくもありましたが、慣れてくるとなかなかのものでございます」
「あら、あなたはこっちの出じゃないのね?」
「左様でございます、太后さま。夫ともども、中原(ちゅうげん)の出でございます。食べ物も、衣(ころも)も、土地のもののほうが気候に合って何かと都合がよろしゅうございます」
香々は、駅長夫人に出身を尋ねた。中原とは、寿国に西から東へと流れる、二大大河、北の北河(ほくが)、南の南江(なんこう)に挟まれた地域。帝都・長洛はその中原の西の端に当たる。
「そうなんですか」
銀鈴はうなずいた。
「乳酪(バター)茶は、意識して大目に飲まれるのがよろしいかと。山酔い防止のためにも、水気は多めにお取りください。低地から来られた方は、乾いた土地柄、唇が荒れて往生されます。ですが、乳酪(バター)茶を飲まれると、自然と荒れが収まります。逆に、飲まれないと、いくら軟膏を塗られても、血だらけになる方もいらっしゃいます。飲まれるときに、自然と唇に乳酪(バター)がつくでしょうが、体の中からも、油を取りませんと」
「そういえば、そうだったわね。花嫁道中で、火昌から長洛へ行くとき、長洛から迎えに来てくれた、寿国の大臣や女官の中には、肌がひび割れてて、かわいそうだったわよ。砂漠だったからね。帰りだったから、少しは慣れていたようだけど、乳類が口に合わない人も居たわよ。それはそうと、こんな山の中に駅を造って、だれが使うの?」
香々は、乳酪(バター)茶に塩を入れて飲んだ。
「一般のお客様のご利用はありませんね。鉄道院官吏か、出入りの業者さんぐらいです。ここは峠の中間でございますので、機関士・機関助士の交代と、万が一の場合の避難所としての役割が主ですね。山の天気は変わりやすく、今は良いお天気でも、急な大雨、暴風、吹雪などで、運転見合わせになることもございますから。このようなわけで、当駅には非常食として、日持ちのする、お米、豆、麦焦がし、ゴマなどを備蓄しております」
正午ごろ。
臨時に御座所に改装された、駅長室付属応接室。銀鈴は、仁瑜、香々とともに昼餉の羊だしの玉子うどんと蒸し餃子を食べていた。玉子うどんとは、水を使わず卵だけで生地を練り上げたうどん。
銀鈴は、蒸し餃子のつけだれを見た。
(お醤油、お酢、辣油(ラーゆ)は普通だけど、甜麺醤(テンメンジャン)、豆板醤(トウバンジャン)は珍しいわね)
扉を叩く音がした。
「どうぞ」
銀鈴が言った。
「失礼します」
忠元と、蒼寧地方鉄道局長、天陽地方鉄道局長、雲憩湖駅長が入室した。
「師兄、何か?」
仁瑜が忠元に声をかけた。
「はい。天届峠の上で、天候が急変したようで。詳しくは、雲憩湖駅長より、ご説明申し上げます」
忠元は、そう言いながら、食卓の上に路線図を広げた。
「それでは、ご説明申し上げます」
雲憩湖駅長は、拱手し、深く頭(こうべ)を垂れ、続けた。
「先ほど、天届駅より、連絡がございまして。『天候急変で、猛吹雪。天届峠全線で運転見合わせを要す』とのことでございます」
天届線とは、この雲表本線中、天届峠のふもとの天届門(てんかいもん)と、峠の上の天届(てんかい)の間のこと。
「えっ、こんなにいいお天気なのに⁉」
銀鈴は、窓の外を見た。そこには、抜けるような青空が広がっていた。
「山の天気は変わりやすいですからね。駅長、続きを」
忠元が雲憩湖駅長に続きを促した。
「太判事閣下がおっしゃったように、この山域の天候は非常に変わりやすうございます。ですので、現在は良いお天気であっても、三十分後、一時間後には猛吹雪で、周りが見えなくなっても、不思議ではございません。御召列車の運転は、当分見合わせとし、天候次第ではございますが、数日当駅にご逗留いただくことになる可能性もございます」
(駅長さん、緊張しすぎじゃない? 仁瑜も無茶な命令は出さないと思うけど)
銀鈴は、絹張うちわを顔にかざして、仁瑜を見た。
「相分かった。駅における列車の発着は、すべて駅長の権限。駅長の判断で最善を取るように。御召列車であることは考えるに及ばない」
「御意!」
仁瑜の言に、雲憩湖駅長はさらに深く頭(こうべ)を垂れた。
「畏れながら申し上げます、陛下」
蒼寧地方鉄道局長は、拱手し、深く頭を下げた。
「構わぬ。即答を許す」
蒼寧地方鉄道局長は、さらに頭を深く下げた。
「雲憩湖駅長の判断、ならびに行為につきましては、一切小官が責めを負います。ですので、駅長や他の鉄道官吏には何らお咎めなきよう、お願い申し上げます」
「心配に及ばず。官吏の賞罰は、あくまでも法に基づき行う。そうよの、師兄?」
「左様にございます、陛下」
「皆、ご苦労だった」
仁瑜が、軽く手を挙げた。
「では、失礼いたします」
忠元はそう言うと、蒼寧地方鉄道局長、雲憩湖駅長ともに退出しようとした。
「師兄、残ってくれ」
仁瑜は忠元を呼び止めた。
「はい。じゃ、お疲れさまでした」
忠元は、蒼寧地方鉄道局長、雲憩湖駅長ふたりが部屋から出るのを見送った。
「あれで良かったかな、師兄」
「そうですね。十分です。鉄道本には、駅長や運転指令について『戦場(いくさば)の将軍に同じ。「将たる者、戦場(いくさば)にあっては君命といえども、従わざるところあり」。御召列車であっても、これを停車させ、発車を許さぬこともある』とはよく書いてあるんですよね。ただ、実際に起きることはほとんどないし、起こさないようにするのが当たり前なんですけどね。“めったに起きないこと”なので、汽車好きは大喜びしますよ。『汽車の友』の編集部から、『書いてほしい』って言われそうですよ」
忠元は微苦笑しながら言った。
『汽車の友』とは、鉄道院が発行する旅行・鉄道雑誌。
「なんです、この“名君ごっこ”は?」
銀鈴が口を開いた。
「そう言わんでください。陛下や、駅長、蒼寧地方鉄道局長の立場上、ああいう茶番芝居も必要なんですから、銀后。しなかったら、進退伺提出など、面倒になりますので」
「銀鈴、師兄の言う通りだ。立場上やむを得なくてな」
忠元と仁揄は苦笑した。
「越先生、こんな山の中で、ほかのお客さんたち、どうするんですか?」
「それなんですよね。ここは、駅と鉄道関係施設以外、何にもないんですよね。鉄道関係者以外、乗り降りする客はいないですよ。小さな村落でも、駅の周りには、店屋や見世物小屋なんかがあって、少しはヒマつぶしができるんですがね。足止めを食らって、何時間も、“待たされる”のは、気持ちの上で、かなりキツイですね」
「忠元、だったらこんな山の中に、駅を造ってだれが乗るの?」
「こんなときのために造った駅、なんですよね、香々様。そもそもこの辺りは、鉄道がないころは、三カ月かけて、無人の荒野を歩かざるを得ない場所ですからね。万一、列車の運行ができなくなった場合の避難所になります。また、ちょうどの峠の中間なので、機関車の石炭や水を補給したり、機関士や機関助士の交代したりする必要もありますから」
「駅長夫人も同じこと言ってたわね」
香々がうなずいた。
「越先生、ほかのお客さんが退屈するのなら、わたしたちで、何か出しものをしますよ。みんなと相談してからですが」
「じゃ、お願いしますね、銀后。急なことですし、場所的にも大道具は使えないので、簡単な歌や踊り、剣舞、寸劇、講談あたりですかね。分かりやすくて、難しくないのがいいでしょう。駅長さんとも相談してきますので」
忠元は、部屋から出ていった。
「銀鈴、みんなと相談しに行きましょう」
「はい、大おばさま」
銀鈴も、香々とともに部屋を出た。
銀鈴と香々は、御召列車最後部の展望車に女官と宮女たちを集めた。
「急なことで悪いんだけど、こんなわけで急に出しものをすることになっちゃったんだけど、お願いできる?」
銀鈴は、集まった女官や宮女たちに事情を説明し、頭を下げた。
「ま、仕方ないわね。言い出したのが、銀鈴、じゃなかった、銀后さまだし」
「さすがに普段着で舞台に上がるわけにはいかないわよね」
「すぐ使える衣裳や小道具は、何かしら?」
「衣裳や小道具は、別便で送っているのも多いし、手元にあっても荷物車に載せているから、取り出すのは大変よね」
女官や宮女たちから、声が上がった。
「それでは、それがしが剣舞はどうか? 剣舞なら普段着でも格好がつくが」
秋水が案を出した。
「そうね。剣舞なら、普段着でも格好つくわね。じゃ秋水、お願いね」
「承知した、銀鈴」
「じゃ、わたしは講談をやるわ、銀鈴」
「お願いします、大おばさま」
銀鈴は、あごに手を当てて、しばらく考え込んだ。
「それと、越先生に相談して、許可をもらえて、材料があれば、お汁粉の炊き出しもやってみようかと思うんだけど、だいじょうぶ?」
「お汁粉なら、簡単に作れるし、まあいいんじゃない」
「そうよ。体も温まるし」
茘娘と棗児が賛意を示した。
銀鈴は、黄色い皇后の衣裳から普段着にしている女官着に着替えていた。駅の様子を心配してあちこち見て回った。
歩廊(ホーム)に横づけされたままの列車内を、窓越しにのぞいた。歩廊(ホーム)には屋根がかけられていたが、横殴りの雪が吹きつけてきた。
(風が強い! 痛い! 寒い! 外套(マント)を着てくるんだったわ。列車のお客さんたち、退屈そうね。あくびをかみ殺している人もいるし)
「新聞・雑誌は、売り切れなんですか?」
銀鈴は、「新聞・雑誌売り切れ」の張り紙がある、歩廊(ホーム)の売店の売り子に尋ねた。
「申し訳ありません。ご覧の通り、売り切れです。汽車が止まってしまったので、退屈されたお客様が大勢いらっしゃって、お買い上げでして。もともと数が少なかったのもありますが」
「大変ですね」
銀鈴は、売店の売り子に軽く会釈してその場を去った。
駅舎の広間では、駅員がおばさまたちに囲まれ、詰め寄られていた。
「運転見合わせ? こんなにいいお天気なのに?」
「こんな何もない山の中で、わたくしたちを待たせるなんて! しかも、数日間運転見合わせの可能性があるですって!」
「夫を通じて、鉄道院総裁に抗議しますわよ!」
「皆さま、落ち着いてください。山の天気は変わりやすいんです。今は良いお天気でも、突然猛吹雪になってしまうこともあります。峠の上の天届駅からは、『天気大荒れで運転できない』との連絡が来ています」
駅員は、何度もおばさまたちに頭を下げた。
「駅員さん、かわいそう。虎に囲まれているみたい」
銀鈴がつぶやいた。
「お恥ずかしいところを見せてしましましたわね、お嬢さん」
銀鈴は、貴婦人に声をかけられた。
(翠塩湖のおばさま軍団⁉ わたしが皇后だと知られると、話が面倒になるわね)
銀鈴は曖昧な笑みを浮かべた。
貴婦人が手を、一度たたいた。
「皆さま、汽車のことは鉄道にお任せするしかありませんわ。駅員氏を責めても、汽車は動きませんわよ。ここは、のんびり待つしかありませんわ」
「仕方ありませんわね」
「奥方さまがそうおっしゃるなら、やむを得ませんわね」
(すごい、あのおばさま軍団を、一瞬で静めるなんて)
「じゃあね、お嬢さん。ごきげんよう」
雲憩湖駅の厨房。
「失礼いたします」
駅長夫人が、室内に入って来た。
「こちらをお使いください。紅豆粥(ホンドウジョウ)用の小豆がございましたので。それから、この甘藷(サツマイモ)は、売店からの差し入れです」
彼女は、駅長夫人から小豆と甘藷(サツマイモ)の入った籠を受け取った。
紅豆粥(ホンドウジョウ)とは、米を使わず、“甘くない汁粉”というべき、小豆のみを使った粥。朝餉に食することが多い。
「ありがとうございます。では、使わせてもらいます」
「いえいえ。本来なら、お客さまへの炊き出しは駅のほうでやらねばならぬことでございます。皆さまでやっていただけるなら、助かります。それではよろしくお願いしたします」
駅長夫人は、拱手し、一礼して退出した。
「おばちゃん、どうする?」
銀鈴は、厨娘 のおばちゃんに尋ねた。
「急なことだからね。小豆はこしあんにせずに、つぶんあんで。甘藷(サツマイモ)も、食べやすい大きさの角切りで。じゃ、小豆を煎ってね」
「はい」
銀鈴は、茘娘、棗児と一緒に小豆を半球形の鍋で煎り始めた。二、三分たつと、小豆の色が黒っぽくなった。銀鈴たちは、沸騰した大鍋に煎った小豆を入れた。
雲憩湖駅待合室。その一角には、草鞋大王の神画を祀った祭壇があった。どの駅にも、待合室には草鞋大王の神画や神像を祀った祭壇がある。
観客は、峠を登ったり、下ったりする途中で足止めを食った一般の乗客。それに、鉄道院が主催し、後宮劇団友の会会員向けに販売した、『聖地巡拝、奉納舞拝観団』の参加者。さらには、手が空いている鉄道官吏の家族――鉄道官吏自身は、当番・非番を問わず、運転見合わせの対応に当たっている――。
秋水と娘子兵二人が剣舞を披露した後、長い赤毛髪を後頭部でひとまとめにし、簡素なかんざしでまとめ、照柿色――熟した柿の実に似た、赤みの濃い橙色――の曲裾深衣姿の香々が登壇。古風な良家の若奥様といった感じだ。
深衣とは、別々に仕立てた太い筒袖の上衣と、裙(スカート)とを、つなぎあわせて一体化した衣裳。
「では皆さま、よくご存じの講談『悪妃の呪い(あくひののろい)』を一席」
香々が一礼し、拍手が鳴った。
(えっ、『悪妃の呪い』⁉ 真冬のそれも猛吹雪の中で、よりによって怪談噺を選ぶのよ、大おばさま? 急なことで、いくら持ちネタだからって⁉)
銀鈴は、舞台そでで目を見開いた。
香々は、扇を手に語り出した。
「ある日、二人の女官が後宮の蔵を整理しておりました。蔵の中で、見るからに怪しい行李を見付けたのでございます。行李には、封印のお札(ふだ)がべたべたと貼り付いておりました。女官二人は、この行李を持ち帰り、後宮内の廟に安置いたしました」
香々は、ここで机に扇子を叩きつけ、語りを続けた。
「翌日、皇后立会いのもと、怪しい行李を開封いたしました。すると、中からは、玉(ぎょく)――翡翠――の腕輪、耳飾り、首飾り、かんざしが出てまいりました」
香々は、空中から玉の腕輪、耳飾り、首飾り、かんざしを取り出した。
「うおー!」
観客から、歓声があがった。
「こられ玉(ぎょく)の装飾品のほかには、一段と輝く、金剛石(ダイヤモンド)、紅玉(ルビー)、青玉(サファイア)、緑玉(エメラルド)、真珠がちりばめられた、ぜんまい仕掛けの泰西式置時計がございました」
香々が空中から、泰西式の置時計を取り出すと、観客が息をのんだ。
(幻とはいえ、いつ見てもすごいわよね、あの時計。大おばさまは、よく玉雉(ぎょくち)に自慢されていたらしいけど。御用商人が、玉雉に取り入るために、献上したんだったっけ)
銀鈴は、舞台そでから、香々を見ていた。
玉雉とは、講談中の悪妃のネタ元で、香々を獄死に追いやった妃。
香々が講談を始めてから、一気に待合室が暗くなり、寒くなった。
銀鈴は、舞台そでで顔を青くした。
(……寒い。後宮劇場で、大おばさまが怪談噺をやると、真夏でもかき氷や冷たいお汁粉が売れないのよね。逆に、熱々のお汁粉が飛ぶように売れてたし)
銀鈴は、自分の体を抱きしめた。歯ぎしりが止まらない。
「銀鈴、だいじょうぶか?」
秋水はまとっていた釣り鐘型外套(マント)を広げた。銀鈴は、その中に飛び込んだ。
「ありがとう、秋水」
「どうするんだ? 観客を凍り付かせて?」
「どうしよう?」
「終わったわよ」
香々が舞台袖にやって来た。
「大おばさま、どうするんです⁉ お客さんを凍り付かせちゃってますよ!」
銀鈴は声を荒らげた。
「あら、どうしましょう?」
銀鈴は、香々を問い詰めた。問い詰められた香々は、首をかしげた。
「のんきに『どうしましょう?』じゃないですよ⁉ ほんと、どうするんです?」
「そういえば、お汁粉の炊き出しをするとか言ってなかったっけ? どうなったの?」
「話をそらさないでください!」
銀鈴の顔がさらに赤くなった。
「これは一体⁉」
やって来た駅長夫人が声を失った。
「怪談噺の講談をやったら、お客さんを凍らせてしまって……」
銀鈴は、うつむき加減で駅長夫人に事情を説明した。
「左様でございますか。それでは、すぐにお客さまを温めないと。それとお医者さまを呼ばないと」
「それじゃ、さっそく火をガンガンに炊いて」
「それはおやめください! 寒さにやられた方を急に温めるのはかえって毒になります。最悪、手足を失うことになります。温石(おんじゃく)をおへその当てて、ごく弱火の火鉢で、少しずつ温めないといけません」
「温石? 温石符ならたくさん持ってきたので、取ってきます。ご典医の先生も呼んできます」
「そうでしたか。ではお願いします」
銀鈴は、温石符を取りに駆け出した。焼いて布で包み、ふところなどに入れて暖を取るために使う石を温石。その温石と同じ効き目がある呪符が温石符。
待合室の火鉢は駅長夫人と秋水によって、ごく弱火にされていた。また、観客たちは毛布にくるまれていた。
「ご典医の先生を連れてきました」
銀鈴が、温石符の束を手にして、棗児と数人の女官と一緒に戻ってきた。
典医は、会場の様子を見て、凍り付いた観客の脈を取った。
「ありがとうございます。先生、お願いします」
駅長夫人が、銀鈴と典医に頭を下げた。
「はい。では早速。応急措置は極めて適切です。それでは、温石符を患者のへそに貼っていってください」
銀鈴たちは、観客の衣をはだけさせ、肌着の上からへそに温石符を貼っていった。
温石符と弱火の火鉢によって温められた観客たちは、徐々に血の気が戻ってきて、まばたきをしたり、首を左右に動かしたりした。
「観客のみなさん、血の気が戻ってきましたね」
「温石符、ありがとうございます。おかげさまで、大事に至らず済みました」
「こちらこそ、お客さんを凍り付かせて、申し訳ないです」
銀鈴と駅長夫人がやり取りしているところに、茘娘と数人の女官・宮女がやって来た。皆、白い前掛けを着け、白い頭巾を巻いていた。
「お汁粉が出来ましたので、持ってきました」
「先生、お汁粉を配ってもだいじょうぶですか?」
銀鈴は、観客たちの脈を取り、問診を終えた典医に尋ねた。
「構いませんよ。応急措置が適切で、大事には至っていません。むしろ、温かい物を食べ、体の中から温めるほうが良いでしょう」
「では配りますね」
銀鈴たちは、観客たちに匙を添えた汁粉の椀を配った。
「どうぞ」
「ありがとう。えっ、皇后さま⁉」
銀鈴は、駅員に詰め寄っていた夫人たちを一瞬でなだめた貴婦人に聞かれた。
「人違いじゃないですか? わたしはまだまだ下っ端なので」
銀鈴は、きちんと化粧をして、下っ端の踊り子の舞台衣装だった。
「奥さま、皇后さまはもっと気品がありましたわよ。長洛駅でお供えのおさがりをまかれている姿が目に浮かびますわ」
貴婦人の取り巻きの一人が、うっとりした表情で言った。長洛駅で、お供えのおさがりをまいたときは、銀鈴は皇后の黄色い衣を身にまとっていた。
「ごめんなさいね。何となく、皇后さまと似た気を感じたのよ。じゃ、翠塩湖でお供えのおさがりを配ってくれた、新人さん?」
(……これは否定するのはマズそうね。長洛駅のほうは櫓の上だったから、まだ距離があったけど、翠塩湖のほうはすぐ側だったし)
銀鈴はとっさに考えをまとめて、笑顔で答えた。
「はい、そうです。覚えていただいて、ありがとうございます。みなさん、吹雪のなか怪談噺をやって凍り付かせてしまい、申し訳ありません」
銀鈴は深く頭を下げた。
「いいのよ。後宮劇場で、夏に聴く怪談噺はほんとに涼しくなっていいわよ。震えながら食べる熱いお汁粉は格別だったわ」
貴婦人が言った。
銀鈴は待合室をあとにした。
長洛出発の十日目。午前六時過ぎ、皇帝用御料車内。
「朝からご飯か?」
「そういえば、朝にご飯は出たことないわね。ご飯が出るのは昼餉か夕餉で、朝餉はお粥か麺麭(パン)よね。銀鈴、後宮に来る前は、朝餉に白いご飯を食べてたの?」
おひつのご飯を取り分けた銀鈴は、仁瑜と香々にそう聞かれた。香々が言う「麺麭(パン)」とは、表面にゴマをたっぷりまぶした掌大で焼いた焼餅(シャオビンや、肉まんの生地に餡を包まず渦巻き状にした蒸した花捲(ホアジュアン)のこと。
「後宮に来る前も朝餉は粥でしたよ、大おばさま。それはそうと、こっちではご飯に乳酪(バター)や干しぶどうを混ぜて食べるそうですよ」
銀鈴は、ご飯が盛られた自分の茶碗に、乳酪(バター)と干しぶどうを入れて、匙(さじ)で混ぜだした。
「ご飯に乳酪(バター)や干しぶどうを混ぜるのか?」
仁瑜がとまどった顔をした。
「うん。炊き上がりを味見してみたんだけど、少し芯が残ってるのよ。標高が高いとうまく炊けずに、芯が残るそうよ。だから、炊きあがったご飯をさらに蒸すのよ。蒸したものも味見したんだけど、普通に炊いたときに比べておいしくなかったわ。聞いてみると、炊いたあと、蒸すを味が落ちるから、乳酪(バター)を混ぜるんだって」
「銀鈴、それって“味見”じゃなくて、“つまみ食い”じゃないの?」
「大おばさま、あくまでも“味見”です!」
銀鈴は香々のちょっかいにむくれた。
「仁瑜、時々出る抓飯(ピラフ)は油が多いし、干しぶどうなんかの、干し果物も入ってるわ。炊く前に混ぜるか、炊いた後に混ぜるかの違いじゃないの」
香々が言う「抓飯(ピラフ)」とは、たっぷりの油で米を炒めてから、肉、野菜、干しぶどうなどの干し果物と一緒に炊いた、西域の炊き込みご飯。
「確かにそうですね。大おば様。ものは試しですから」
仁瑜と香々も、ご飯に乳酪(バター)と干しぶどうを入れて混ぜ合わせた。
「厨娘 のおばちゃんが、乳酪(バター)ご飯だけじゃどうかな? って言って、翠塩湖の部族長の奥さんが羊の干し肉を持たせてくれたんで、羹(スープ)にしたのよ。あとは食堂車に多めに積んでいた、豆腐の味噌漬けと搾菜(ザーサイ)を切ったのよ」
銀鈴は、卓の上の羊の干し肉をつまんで口に入れた。
(干し肉は、しっかり噛んで食べるとおいしいわ。あごが疲れるけど)
「仁瑜、大おばさま、そろそろ出かけましょ。遅くなってもいけませんし。駅長の奥さんが街道跡を案内してくれるんですから」
銀鈴たちは、青く澄んだ小さな湖のほとりへと来ていた。山の中ではあるが、開けた平地になっていた。
「昨日は風が強かったけど、雪はそれほどでもなかったわね」
銀鈴は、横の仁瑜に話しかけた。
「風がすごかったので心配はしたが、雪は足首ぐらいだな」
仁瑜もうなずいた。
「おしのび用に古馬族の衣裳を買っておいて良かったわね、銀鈴。雪に覆われて、水墨画の中みたいね」
銀鈴、仁瑜、香々は、おしのび用の古馬族の衣裳を着ていた。風はないが、空は曇り、地面は深くはないが雪に覆われていた。
「そうですね、大おばさま。雪の中を歩くなら、ちょうど良かったですね。ちょっと高かったけど、いい買い物しましたね。この長靴で、足がぬれませんし。そうそう、みんな山酔いはだいじょうぶ?」
銀鈴は、香々に答えたあと、後ろを振り返って、同行の女官・宮女たちに声をかけた。
「だいじょうぶです」
「わたしも平気です」
茘娘と棗児が答えた。茘娘と棗児をはじめ、同行の女官・宮女たちの多くも、古馬族の衣裳を着ていた。
「動けないほどじゃありませんけど、少しだるいです」
「ごく軽い頭痛がします」
一部の女官・宮女からは、ごく軽い不調を訴える声も挙がった。
「無理はしないでくださいよ。辛かったら我慢せずに言ってくださいね。ただ、動けるなら軽い散歩ぐらいはしたほうが、山酔いも早くなくなりますから。積極的に水分を取ってください。乳酪(バター)茶が望ましいですけど、苦手ならほかのお茶で構わないので。ただ、ほかのお茶だと、油が少ないので、唇や鼻の穴がひび割れます。なので、麻花(かりんとう)のような揚げ菓子や、揚げ麺麭(パン)で積極的に油を取ってください。ひび割れに軟膏を塗るだけでは追い付かないので。体の中からも取らないと」
忠元が口を挟んだ。
「はーい」
女官たちが返事をした。
「この湖のおかげでここには良い草が生えます。また、湖の水を駅へ引いて、駅や鉄道官舎の生活用水や、機関車の蒸気や食堂車の調理にも使っています。ですので、鉄道が通じる前は、釐牛(ヤク)、羊、馬を引き連れての隊商や巡礼団は、この辺りで数日滞在し、家畜に十分な草を食べさせることになっていました。天陽へと向かわれる太祖さまも、数日滞在され、ご休息を取られています。その時、『雲の中、清き湖の側にてしばし憩う』との詩を詠まれています。これがもととなって、この湖は『雲憩湖(うんけいこ)』と申します。この詩から拝察するに、太祖さまが滞在された時も、この辺りも雲に覆われていたものと思われます。雪が積もっていなければ、かまどの跡など、野営地の痕跡をご覧いただけるのですが。今も、昔も、峠の休み場には違いありません。さあ、こちらへ」
雲憩湖駅長夫人は、雪の中から現れた茶色い草を指差したのち、一行を湖の傍らの小廟へと案内した。
廟は白い日干し磚(レンガ)造り。五色の旗がはためいていた。
「ちゃんとお手入れされてるんですね」
銀鈴は廟の中を見回した。廟は小さいながらも、掃除も行き届いていた。
「駅員とその家族が、交代で手入れしております。草鞋大王(そうあいだいおう)さまをお祭りしておりますので、鉄道の者として放っておくわけにはまいりませんので」
駅長夫人は、そう言ってから、草鞋大王の神像が安置された祭壇の灯明皿に、小さなやかんで溶かし乳酪(バター)を注ぎ、灯をともした。
「せっかくですので、皆さまもお参りなさってください」
銀鈴たちも、祭壇を拝礼した。
「こちらをご覧ください。ここに刻まれている詩は、先ほどお話しした太祖さまの詩です。太祖さまが、剣で刻まれたと伝えられております。また、天候によっては何日も足止めされることがありますので、旅人が徒然の憂さはして、絵や詩、経をかいたり、掘りつけたりしています」
駅長夫人が、太祖の詩、釐牛(やく)――高地牛――の絵、山の絵、詩、経を指した。
「今でもお参りに来る人はいるんですか?」
「このお廟は、どうやって造ったの?」
銀鈴、香々が、駅長夫人に尋ねた。
「あまりお参りに来られる方はいません。雲憩湖駅は、ほとんどの方にとってはただ汽車に乗って通り過ぎる駅ですから。ただ、列車によっては、列車行き違いや機関士・機関助士の交代、機関車の点検の都合で、一時間程度雲憩駅に停車することがあります。そんなときに、大急ぎでお参りされる方はいますね。また、熱心な太祖さま好きの方は、わざわざ一列車遅らせて、お参りされることもあります。こういった場合は、乗り遅れられては大変なので、手の空いた駅員が付き添うことにしております。隊商が建材をお布施代わりに、建材を持ってきます。大工が居れば、お廟の普請をします。出発の際には、余った建材は置いておきます。別の隊商も、置いてある建材を勝手に使って、お廟の普請をします。その繰り返しです」
「確かに、吹雪で足止めされなければ、ここに詣でることもなかったな。これも太祖のお導きか」
仁瑜が感慨深けにつぶやいた。
「左様ですね、陛下。太祖陛下がご苦労されて越えた天届峠(を、汽車で楽に越えられるようになりましたから」
「まったくだ、師兄。このような無人地帯に、道を開き、鉄路を敷いた先人たちには感謝しかない。太祖も、よく越えられたものだ」
正午過ぎ、銀鈴たちは羊肉まん、白菜と干し小海老の蒸しまんじゅう、ねぎ・大根の羊だし羹(スープ)との簡単な昼餉を取った。
午後一時前、雲憩湖駅の歩廊(ホーム)。上空は雲に覆われているものの、昨日の猛吹雪がウソのように風も穏やかだった。
「お世話になりました」
銀鈴は、雲憩湖駅長夫人に頭を下げた。
「こちらこそ、お世話になりました。突然の猛吹雪で、運転を見合わせざるを得ないなか、みなさまがいらっしゃらなかったら、ひどい混乱になったところです。ご覧の通り、駅以外何もない場所ですし。ささ、時間でございますので」
銀鈴たちは、雲憩湖駅長夫人に促されて、御召列車に乗り込んだ。
一三時ちょうど、懐中時計で時間を確かめた雲憩湖駅長が出発合図を送った。
「ピッ―」
蒸気機関車が長い汽笛を一声ならして走り出した。
銀鈴たちは、御召列車最後部の展望台(デッキ)に立っていた。
御召列車が、信号場に差しかかった。信号場の入口側で、最後尾の本務機関車から、機関助士が半身乗り出して、通票を受け器に引っかけた。そして、出口側の授け器から、通票を受け取ろうとした。たが、機関助士が通票をはじいて、落とした。
「急停車します! 手すりにつかまってください!」
蒼寧地方鉄道局長が叫んだ。
しかし、本務機関車から機関助士が飛び降りて、通票の輪っかを拾い上げて、機関車に戻った。
「……飛び降りちゃった。すごい!」
銀鈴も声を上げた。
「失礼いたしました。機関助士が飛び降りなければ、急停車するところでございました。通過授受で通票を落とした場合、急停車しても拾わなければなりませんので。通票を持たずに、当該区間へ進入することは厳しく禁じられております。翠塩湖駅での通票取り扱いのご説明で申し上げましたが、通票は単線区間での、列車の正面衝突、追突を防ぐ、命綱でございます。ただ、谷底に落としたときのように回収が不可能な場合は、例外中の例外ではございますが……」
蒼寧地方鉄道局長は、拱手し頭を下げた。
御料車内。
銀鈴は、仁瑜と忠元が向かい合っている卓に、茶器一式を載せた盆を持って行った。
「仁瑜も、越先生も、熱心に何を書いているの?」
仁瑜と忠元は、卓の上で原稿用紙に向かい、書き物をしていた。
「このあと天届駅(てんかいえき)で、雲表本線天届峠(てんかいとうげ)についての勅語を出さないといけないからね」
「大体の内容は、あらかじめ決めてはありますが、実際に通ってみて、感じたこともありますから。公式の巡幸は、遊びではなくて、公務の視察ですからね」
仁瑜、忠元の順に、答えた。
「お茶にしない?」
銀鈴が言った。
「ああ、そうしようか」
「そうですね」
仁瑜と忠元はそう言うと、卓の上の原稿用紙、筆、硯を片付けた。
銀鈴は、卓の上に茶器を並べた。蓋椀に熱湯を入れて、蓋碗が温まったのを確かめて、中の湯を捨てた。そして、茶葉を入れて、熱湯を注ぎ、すぐに中身を捨てた。これは、茶葉を洗い、予熱する「洗茶(せんちゃ)」だ。
改めて、熱湯を注ぎ、十秒置いて、蓋を少しずらした隙間から、蓋で茶葉を押さえながら、中身を茶海(ピッチャー)空けて、茶盃――ごく小さな湯呑――に注ぎ分けた。
「あれ?」
銀鈴は、ひと口飲んで、首をかしげた。
「銀鈴、どうした?」
仁瑜が声をかけた。
「ううん、何でも。もう一煎、淹れるね」
そう言って、銀鈴は先ほどと同じように茶を淹れた。そして、茶を飲んだ。
「あれ? 淹れ方は間違っていないはずだけど。いつもと違わない? 花の蜜のような甘い香りがするはずなんだけど。風邪をひいたかしら?」
「確かに、普段より香りが弱いな。『鳳凰単叢蜜蘭香(ほうおうたんそうみつらんこう)』だろ?」
仁瑜は、卓に置かれた茶筒の札(ふだ)を指差した。
『鳳凰単叢蜜蘭香』とは、烏龍茶の高級銘柄。
「銀后が風邪をひいているわけでもなく、淹れ方が間違っていたわけでもありませんよ。標高が高くなっているので、煮立っているお湯でも、温度が低いはずです」
忠元は、高度計を指差した。高度計の針は、五千米(メートル)近くを指していた。
「烏龍茶は、一〇〇度の熱湯を使うことと、蓋碗を温めて、湯を冷まさないようにすることが大事なんです。そうしないと、香りが出ないですよね。ただ、これぐらい標高が高いと、煮立っていても、一〇〇度に達せず、九〇度を少し下回っているはずです。熱湯を使っても、温めていない蓋碗で淹れたようなものですよ。温めていなければ、もっと湯温は下がっていたはずです」
「そうだんですか。標高が高いとご飯に芯が残ってうまく炊けないのは知ってますが、お茶もうまく淹れられないんですね。熱湯で、緑茶を淹れるとき、お湯をいったん湯冷ましに注いで、少し冷ましてから、蓋碗や玻璃杯(グラス)に注ぐのと一緒ですね」
「そうなんですよ。ですから、空州の人が、長洛で香り高い烏龍茶を気に入り、お土産に買って帰って、家で『正しい淹れ方』で淹れて飲んでも、イマイチになるらしいですよ」
銀鈴は、忠元の話をうなずきながら聴いた。
「銀鈴、吹雪一日足止めを食らったが、女官や宮女たちの様子はどうか? 山酔いになってないか?」
銀鈴は仁瑜に尋ねられた。
「みんなは、大丈夫よ。山酔いは、多少個人差もあるけど、思ったよりはひどくないみたい。少しだるかったり、頭が痛いって言う女官や宮女が何人かいるぐらい」
「一日の足止めは、山酔いにはかえって良かったかもしれませんね。山酔いは、一気に昇ると酷くなるので。途中で一泊したことで、少しは体が慣れたんでしょう」
忠元が答えた。
「失礼いたします。おやつをお持ちしました」
茘娘が岡持ちを持って入って来た。
「ありがとう。ちょうどお茶を淹れてたのよ」
銀鈴は、茘娘から揚げ白玉団子の皿を受け取った。
「揚げたてだから、ゴマの香りが香ばしくていいわね。熱いうちに食べましょ」
銀鈴が、揚げ白玉ゴマ団子を取り分けた。
(窓の外は真っ白! これが雲の中!?)
銀鈴は窓の外を眺めながら、揚げ白玉ゴマ団子を口に放り込んだ。
御召列車は、雲の中を懸命に登っていた。
一五時半過ぎ。
銀鈴たちは、再び最後尾の展望車展望台(デッキ)に出ていた。
「ピッ――」
長音汽笛が一声鳴った。御召列車は、厚く雪が積もった中を走っていた。上空には雲はあるものの、日は差して、青空も見えている。
「こちらをご覧ください」
蒼寧地方鉄道管理局長が線路の一方を指した。
線路脇には「大寿帝国鉄道最高標高地点之碑 海抜五〇七五米(メートル)」と「蒼州・空州境之碑」との、二つの石碑が建っていた。綱に結わえられた五色の祈祷旗が、石碑の左右と後ろの三方にびっしりと張られていた。遠目には、石碑が三角の天幕に覆われているように見える。
「雲が近い! 雲の中を通ったら、晴れているなんて不思議ね」
空を見上げた銀鈴が、声を上げた。
「きのうの吹雪がうそのようね」
香々もうなずいた。
「夏であれば、この天届山(てんかいざん)など、高い山を表する『雪の冠、雲の帯』がお分かりいただけるかと存じます。『雲の中』が、ちょうど『雲の帯』でございます。ただ、冬でございますで、しかも昨日(さくじつ)の吹雪で、ふもとまで雪が積もっておりますので、実感しづらいことではございますが」
蒼寧地方鉄道局長が口を挟んだ。
「急に、身が引き締まるというか、神聖な空気を感じるわ」
香々が、真っ白な山々を眺めながら言った。
「左様でございます。この天届山脈は、神山の一つでございます」
蒼寧地方鉄道局長が説明した。
「無事に峠を越えられたお礼(れい)と、国運発展のために、こちらを撒いてください」
銀鈴は、忠元からは青・白・赤・緑・黄の五色のお札(ふだ)を受け取った。忠元は仁瑜と香々にも、お札を渡していた。五色の札(ふだ)には、経文、馬、虎、麒麟、鳳凰、龍が刷られていた。。
銀鈴は、仁瑜と香々と並んで、展望台(デッキ)から、右に左に五色のお札(ふだ)を撒いた。
一羽の鳳凰が空を舞っていた。
御召列車は、天届(てんかい)峠の最高地点からやや下がった、海抜五〇六五米(メートル)の天届駅(てんかいえき)に、定刻の一六時ちょうどに到着した。駅の周りには、山並みが見え、雪で覆われた広原だった。
最後尾の展望車から、銀鈴たちが降り立った。
歩廊(ホーム)には、駅長、天陽教の法王とその侍者、空州州牧、駅員、保線員が整列していた。「大寿帝国最高所之駅 海抜五〇六五米(メートル)」の石碑があり、軒には五色の祈祷旗がのれんのように吊るされていた。
「長途のご道中、お疲れさまでございます。昨日(さくじつ)の吹雪を心配しておりました。お体のほうもいかがでござりましょうや?」
僧衣姿の法王が進み出て、ひざまずこうとした。
天陽教の長は、代々法王に封じられることとなっている。
「法王、それには及ばない」
仁瑜は軽く手を挙げて、ひざまずこうとする法王を止めた。
天陽教の法王が皇帝に拝謁する場合、一応はひざまずこうとするそぶりを見せる。だが、皇帝はそれを止めるのが習わし。天陽教の開祖が太祖の師であったためだ。皇帝と天陽教との関係も“君臣関係”ではなく、皇帝は天陽教の保護者である“大施主”との立場だからだ。
仁瑜は言葉を続けた。
「わずかな共揃えだけで天届峠を越えられた太祖のご苦労に比べれば、日程が一日延びるぐらい大したことではない。鉄道官吏の働きで大事もない。それに、一日延びたのはかえって幸いだった。おかげで、体を山に慣らすことができた。同行の者たちも、軽い不調を訴える者はいるが、ひどい山酔いにはなっていない」
「それはよろしゅうございました。天地、神仏のご加護でござりましょう」
法王は合掌して、侍者から白絹の長巾を受け取り、それを仁瑜の首にかけた。
天陽教や雲表文化圏では、神仏への拝礼、来客の出迎え、見送り、祝い事の際に、白絹の長巾を供えたり、相手に首にかけたりするのが習わし。
「皇后さま、太后さま、これよりはこれなる尼、ルンラグ・セルニャがご案内を務めさせていただきます。何なりとお申し付けください」
法王は、銀鈴と香々の首にも白絹の長巾をかけ、案内役 のルンラグを紹介した。
ルンラグ家は、雲表族五大名家の一つ。
「ルンラグ・セルニャでございます。これからは、わたくしがご案内申し上げます。よろしくお願いいたします」
ルンラグは合掌して、銀鈴と香々に礼をした。ルンラグは十八歳、尼らしく清楚な美人。
「ルンラグとの姓は雲表語で“風”を意味します。名のセルニャは、八吉祥(はちきっしょう)――八つの縁起の良い文様――の一つで“双金魚(そうきんぎょ)――二匹一対の金の魚――”ございます。悟り、豊かさ、豊穣、豊かさ、幸福を象徴しております」
法王が、ルンラグの姓名の意味について説明し、合掌して頭を下げた。
天届駅待合室。
「皇帝陛下より、勅語を賜ります」
忠元が、声を張り上げた。
立ち並んでいた、蒼寧地方鉄道局長、天陽地方鉄道局長、天届駅長、天届門・天届両区の保線区長、機関区長、客貨車区長、車掌区長および区員は、一斉に拱手して、頭を垂れた。また、同席していた法王以下、僧侶・尼僧も合掌して頭を垂れた。
仁瑜が黄色の巻紙を読み上げた。
「朕ここに、天届峠を通行するに当たり、雲表本線天届峠区間の保線、並びに運行に携わる、鉄道院官吏各員に告ぐ。古来より、天険中の天険と称される、この天届峠の山々に隧道(トンネル)を開け、谷には橋を架け、鉄路を通したる先賢、今日に至るまで安全運行に務めたる鉄道院諸官に厚く敬意を表す。先賢の偉業は、蒼寧地方鉄道局長より詳細な説明を受けたり。太祖がお若いころ、順調であれば二十日程度で越えられるところを、天候に恵まれず、わずかな共揃えだけで苦心され、ひと月半がかりで越えられたり。また、数多(あまた)のいにしえの旅人が艱難辛苦の末に越えたる天届峠を、雲憩湖駅にて吹雪に遭い、同駅において一日抑止されたといえども、汽車にて朕(ちん)のほか、末端の供奉員に至るまで食住行き届き安楽に二日で越えたることを、驚愕するともに、深く喜ぶ。抑止は、これ適切な処置なり。抑止の間、駅長以下は鉄道規則を厳守し、極めて冷静沈着で一切の遺漏なく、かつ旅客の保護も行き届きたること、通票通過授受の受け取りを誤り、これを落としたる際、機関助士は果敢に飛び下り通票を拾い上げたること、実に見事なり。諸官は、ますます奮闘努力し、聖地天陽と外界を結ぶこの大動脈の、安全確実たる運行を望む」
仁瑜の言葉が終わると、天届峠を管轄する蒼寧地方鉄道局長が、再び拱手し、奉答した。
この天届駅は、“局界駅”。天届峠を含む雲表本線蒼寧―天届間が蒼寧地方鉄道局管轄、天届―天陽間が天陽地方鉄道局管轄。
「天届峠運行にかかわる鉄道院官吏一同を代表し、小官が謹みて奉答仕ります。御召列車の抑止につき、お咎めなきどころか、過分なおほめにあずかり恐悦至極にございます。雲憩湖駅に置ける措置は、鉄道規則に定められた通りに、行うべきことを行ったまでにございます。勅語を拝し奉り、鉄道官吏一同、ますます運輸の安全便益を旨とし、職務に精励する所存でございます」
天届駅の視察と勅語の間に、御召列車の増結が行われた。五号車の食堂車と、六号車の皇后用御料車との間に、今回の聖地巡幸のためにと、黄色に塗り替えられた法王一行用の貴賓車一輌が加わった。
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