十 銀鈴、歯車の鉄道に乗ること
【ご注意!】
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・本作は、「鉄道が存在する中華風ファンタジー世界」がどう表現できるか? との実験作です。中華風ファンタジーと鉄道(特に、豊田巧氏の『RAIL WARS』『信長鉄道』、内田百閒氏の『阿呆列車』、大和田健樹氏の『鉄道唱歌』)がお好きでないと、好みに合わないかもしれません。あらかじめ、ご承知おきください。お好みに合わぬ場合には、無理に読まれる必要もなく、感想を書かれる必要もありません。あくまでも【趣味】で、「書きたいもの」を「書きたいように」書いた作品です。その点は十二分にご理解ください!
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長洛出発の九日目。
銀鈴たちは、長洛出発の六日目の、朝の八時に翠塩湖を出て、同日の午後七時ごろに天届門(てんかいもん)に着いた。天届門で、二泊し、その間に城市(まち)の視察、寺院参拝を行った。
午前七時半ごろ、天届門駅。
先頭に山男を思わせる、無骨ながら力強さを感じさせる蒸気機関車一輛、供奉員用の客車、食堂車、御料車、展望車、蒸気機関車三輛。展望車の後ろの蒸気機関車は三両輛とも、進行方向とは反対側に顔を向けている。
銀鈴、香々、仁瑜をはじめ、随行の官吏、女官、宮女たちも、古馬族の衣裳から寿服の朝服に着替えていた。
翠塩湖では気候的に都合が良く、古馬族との友好を示す意味でも、古馬族の衣裳を着ていた。ただ天届門は、雲表族(うんぴょうぞく)の地、空州の玄関口であり、皇后の銀鈴や皇帝の仁瑜が、公式の場で古馬族の衣裳を着ると、古馬族を優遇し、雲表族を下に置く、とも受け取られかねない。もっとも、蒼州も広い意味で“雲表文化圏”であり、雲表族がそれなりに住んでいる。
一番歩廊(ホーム)には、既に御召列車が入線していた。
「こんなに要るの⁉」
香々が声を上げた。
「この先は、天届峠(てんかいとうげ)越えですからね。ここ天届門の標高が二九八〇米(メートル)で、峠の最高地点が、五〇七二米(メートル)です。約四〇粁(キロ)で、二〇〇〇米(メートル)以上登ることになり、勾配もきついので、どうしても機関車の数が要りますよね」
忠元は、歩廊(ホーム)の天届峠の案内板と模型を指差しながら、説明した。
「はい、左様でございます。この天届峠は我が国鉄道最大の難所でございます。平均勾配は、一〇〇〇分の四九.三、最大勾配一〇〇〇分の六六.七です。常用の勾配限度は、一〇〇〇分の二五ですので、天届峠の平均勾配ですら、常用限度の約二倍、最大勾配では約二倍半となります。当駅天届門がふもとで、中間に雲憩湖(うんけいこ)駅、峠の上に天届(てんかい)駅がございます」
忠元の後を受けて、蒼寧地方鉄道局長が説明を引き継いだ。
「坂がきついのは分かるけど、機関車が後ろに多いのは?」
香々が、重ねて尋ねた。
「この天届峠の区間では、『引っ張り上げる』というよりも、『後ろから押し上げる』必要があります。また、万一列車が止まれなくなった場合、後ろ側――ふもと側――の責任となりますので。ちょうど今、入ってまいりましたが、峠を下る上り列車は、あのように先頭の天届門方三両、天届方一両を連結しております」
蒼寧地方鉄道局長は、天届門駅に入線してきた上り列車を指差した。
「下り坂なら、力は要らなんじゃないの?」
「おっしゃる通りです。ただ、山道というのは、登りよりも下りのほうが、むしろ危険なものでして。季節・天候に関わりなく、凍り付いた急坂をかけ降りるようなものです。前の機関車が、踏ん張って、制動(ブレーキ)をかけねば、速度がつき過ぎます。速度が出過ぎますと、脱線・転覆で大惨事になります。ですので、人の速足程度の、時速八、九粁(キロ)で、ゆっくりと登り下りしております」
香々の問いに、蒼寧地方鉄道局長が答えた。それから、
「さあ、こちらへ」
そう言って、天届峠側の歩廊(ホーム)の端へ、一同を誘導した。
天届門駅長と蒼寧地方鉄道局長の先導で、銀鈴たちが向かった先には、小さな祠があった。歩廊(ホーム)と祠の軒には、経文が刷り込まれた青、白、赤、緑、橙――黄の代用――の五色の祈祷旗が、のれんのように吊るされていた。
祠に祀られているのは、旅人の守護神「草鞋大王(そうあいだいおう)」。その姿は、わらじを無数に吊り下げた大きな木の下で、旅人の荷物を運んであげている親切な兵士の姿で表される。
寿国の鉄道駅では駅長室や待合室に、鉄道の安全を祈願し、草鞋大王の姿絵や神像が祀られている。この天届門駅では、難所の天届峠越えが控えていることもあり、駅長室、待合室のほか、歩廊(ホーム)にも祠があって祀られていた。
(結構大きいわりに、ちょっと撫でただけで回るのよね)
銀鈴は、香々とともに、塀にいくつも設置された摩尼車(マニぐるま)に掌を当てて回しながら、草鞋大王の神像の前に進み出て、三度お辞儀をし、菜箸ほどの長さと太さの線香を捧げた。仁瑜は先に拝礼していた。
摩尼車(マニぐるま)とは、刷った経文を入れた筒。筒を一回回すと、中の経を一回読んだことと同じ功徳が得られる。銀鈴たちは、これまでの寺院参拝で、摩尼車(マニぐるま)着いての説明を受け、かつ回していた。
展望車展望台(デッキ)。天届門駅を出て、一粁(キロ)弱。
列車は、ほとんど止まるかのような超低速になった。線路脇には、小さな小屋が建ち、保線員が直立不動で立っていた。
「これより、天届峠名物の『歯軌条(ラックレール)式』区間に入ります。『歯軌条(ラックレール)』とは、ひと言で申せば『歯車の鉄道』です」
列車が曲線に入った。
蒼寧地方鉄道局長は、展望台(デッキ)から、やや身を乗り出して、先頭を指差した。
「一瞬なので、ご覧いただけますでしょうか? 二本の軌条(レール)の間に、もう一本の軌条(レール)がございます。この真ん中の軌条(レール)は、のこぎりの刃のような形でございまして、これに機関車側の歯車を噛み合わせて、坂を登り下りしております。歯車がなければ、すべってとても登れませんし、下り勾配では速度が速すぎて、脱線・転覆になります。申し遅れましたが、先ほどの小屋は『歯軌条起点(エントランス)』です。ここで、機関車の歯車が線路とうまく噛み合わないと、列車は停止し、登ることも、下ることもできなくなります。保線員が厳重に看視しております。万一、歯軌条進入に失敗し、列車が停止した場合、常備してある予備部品を使って、直ちに修理いたします」
御召列車は、木の一本もなく、地面の薄灰色、枯草の茶色、薄っすら雪の積もった白色の山の中をゆっくりと、だが力強く登っていった。
「汽笛がおしゃべりしてるみたいですね、越先生」
機関車の交わす汽笛の音が銀鈴たちの耳にも届いた。
「よく気付きましたね、銀后。この区間では、下り列車ではいちばん後ろ、上り列車ではいちばん前、つまり天届門側の機関車が運転の指揮を執っています。ほかの区間では先頭の機関車が指揮を執るのですが、天届峠があまりに勾配が急なので、ふもとの天届門側の機関車が責任を負うことになっています。二輌以上の機関車が協力して運転する場合、運転の指揮を執る機関車が、速度を出す、緩めるといった合図を汽笛で出し、その他の機関車がそれに答える汽笛を鳴らします。ですよね、蒼寧地方鉄道局長?」
忠元は、後ろに控えていた蒼寧地方鉄道局長に話を振った。
「左様でございます。この天届峠の区間であれば、一輌につき、機関士一名、機関助士二名の計三名が乗務しております。機関車が四輌必要です。四輌で機関士が四名、機関助士が八名、合わせて十二名がひと組です。運転の指揮を執る機関車の機関士が頭となり、十二人の心をひとつにしております。汽笛で冗談を言い合えるぐらいの“以心伝心”にならなければなりません。そのために、頭は他の機関士・機関助士たちを招いて、食事や酒を振る舞ることもあります」
「また隧道(トンネル)、夜になったり、昼になったり忙しいわね」
展望台(デッキ)に立っていた香々がつぶやいた。御召列車は、隧道(トンネル)を出(い)でてはくぐるを繰り返した。
「外なのに、煙たくないですね。夏に汽車に乗って、隧道(トンネル)に入って窓を閉め損ねると、黒い煙で顔が真っ黒になっちゃうんです」
銀鈴が、隣の香々に話しかけた。
「普通は、そうですよ。隧道(トンネル)中で、展望台(デッキ)に立つ人はいませんよ。いるとしたら、子供が面白がって展望台(デッキ)に出ちゃうぐらいですかね。でも、展望車は一等車しかないので、乗っているとしたら、結構いいところのお坊ちゃんですね。顔が真っ黒になると、親やお付きに洗面所へ強制連行され、顔を洗わされますよ。女の子は、隧道(トンネル)の中を走ってるときに、展望台(デッキ)に出たがることはあまりないですね」
後ろにいた忠元が話した。
「他の区間であれば、おっしゃられたように隧道(トンネル)に入ると、どうしても煙が充満してしまいます。この天届峠は、発車前に模型でご覧いただいたように、四割は隧道(トンネル)でございます。しかも、寿国一の急勾配が連続し、機関車も四輌も必要です。四輌もの機関車が、大量の石炭を炊くと、真っ黒な煙がどうしても出てしまいます。その状態で走らせると、単に『煙たい』では済みません。下手をすると煙の毒にやられて、死者を出しかねません。現在では、『除煙丹(じょえんたん)』という仙薬を石炭に混ぜて炊いております。ですので、ご覧の通り、機関車から煙もございません。除煙丹ができるまでは、『機関士・機関助士に窒息・吐血する者珍しからず』との記録が残っております。
またそのころでは、客車も窓を閉め切っても、煤煙はどうしても入り込んでしまいます。お客様も、列車が隧道(トンネル)に入るや窓閉め、口や鼻を手ぬぐいで覆い、隧道(トンネル)を出るや真冬でも窓を開け放ち、煙を逃していました。この先の雲憩湖駅では、機関士・機関助士の交代、機関車への石炭・水の補給がございますので、全列車が停車いたします。そのため、歩廊(ホーム)に降りたお客様が、列車に戻られるのを嫌がり、駅員・車掌が何度も頭を下げて何とかお戻りいただき、ようやく発車することがたびたびで、時刻表通りの運行ができませんでした。
今日(こんにち)では、除煙丹のおかげで、お客様は快適に、機関士・機関助士は安全に峠を登ることができるようになりました。とはいえ、除煙丹はお値段も高く、使い過ぎると機関車の罐(ボイラー)を痛めることになりますので、天届峠のほか、極めて煙の害がひどいごく限られた区間でしか使えません。ほかの区間では、煙でご迷惑をおかけしている次第でして……」
忠元の隣の蒼寧地方鉄道局長が、最後のほうでは苦笑しつつ説明した。
御召列車は、隧道(トンネル)を出て、深い谷にかかる石の橋に差しかかった。谷にかけられた石や磚(レンガ)の橋を何度も渡っていた。
銀鈴は展望台(デッキ)の欄干(らんかん)――手すり――を握り締めた。彼女の顔は、やや青かった。
「銀鈴、怖い?」
「大おばさま、ありがとうございます。高い所は苦手じゃないんですが、さすがにこれには、血の気が引きますよ」
銀鈴は香々に背中をなでられて落ち着いた。説明役の蒼寧地方鉄道局長と蒼州牧に尋ねた。
「こんな険しい山の中を、昔はどうやって通っていたんですか?」
「蒼寧より、天陽までは、早くても三月半(みつきはん)はかかります。それも、大半は集落さえない、無人地帯を行くこととなります。ですので、釐牛(ヤク)が、騎乗用、三月半分の食料の荷運び用と三頭要ります。天届門辺りまでであれば、わずかな集落はありました。ただ、食料も旅人に分けるほどの余裕もなく、もちろん宿などありません。ですので、自炊で、天幕を張ることとなります。天幕泊りの隊商は、一日に二十粁(キロ)程度進むのが例でございます。ただ、道が険しくなると、進める距離はもっと短くなります。まあ、街道沿いに飯屋・宿屋があれば、自炊や天幕張りの手間がないので、四十粁(キロ)前後は進めますが。
特に障害になるのが川でございます。橋が架かっておりませんので、釐牛(ヤク)や馬の背に乗って渡ることとなります。冬は寒さには悩まされますが、川を渡ることは、比較的楽です。乾季でございますので、水量自体も少なく、場所によっては川が凍っております。夏は雨季で、川の水かさが増えます。背が高い釐牛(ヤク)や馬はまだマシですが、背の低い羊は川に溺れてしまうこともありますし、羊自体が川を怖がって、水に入らないこともあります。隊商は羊を連れ、目的地で売ったり、道中の食料にしたりしますから」
「しかも、標高が上がるにつれて、山酔いの恐れが高くなります。山酔いのためや、谷底に落ちて、命を落とした旅人も数え切れません。太祖陛下が、わずかな共揃えだけで天届峠を越えられ、天陽に達せられたのは、太祖陛下だからでございましょう。凡人がまねをできることではございません。ひとり旅だったり、少数だったりすると、大規模な隊商に混ぜてもらうことが普通です」
蒼寧地方鉄道局長、蒼州牧の順に答えた。
「ずいぶん厳しそうですね」
銀鈴が答えた。
「左様でございます。隊商の食事も、お茶でこねた麦焦がしの団子と干し肉ぐらいです。麦焦がしの団子は、今でもこのあたりの常食でございます。運が良ければ、野生動物を狩って新鮮な肉を煮て食べることもありますが」
蒼寧地方鉄道局長が述べた。
麦焦がしとは、炒った大麦の粉のこと。
「おふたりとも、詳しいですね」
「小官は、鉄道屋でございますゆえ、旅の歴史は自然と耳に入っております」
「赴任地の歴史について、ひと通り知るのも州牧としての職務の一環でございます」
蒼寧鉄道局長、蒼州牧ともに、拱手した。
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