六 銀鈴、遊牧民から天幕での宴席に招かれるのこと
【ご注意!】
・本作の「目的」は【趣味で執筆】、作者要望は【長所を教えてください!】です。お間違えないようにお願いします。
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・「作者を成長させよう」などとのお考えは不要です。執筆はあくまでも【趣味】です。執筆で金銭的利益を得るつもりは全くありません。「善意」であっても、【新人賞受賞のため】【なろうからの書籍化のため】の助言は不必要です。
・ご自身の感想姿勢・信念が、本作に「少しでも求められていない」とお感じなら、感想はご遠慮ください。
・本作は、「鉄道が存在する中華風ファンタジー世界」がどう表現できるか? との実験作です。中華風ファンタジーと鉄道(特に、豊田巧氏の『RAIL WARS』『信長鉄道』、内田百閒氏の『阿呆列車』、大和田健樹氏の『鉄道唱歌』)がお好きでないと、好みに合わないかもしれません。あらかじめ、ご承知おきください。お好みに合わぬ場合には、無理に読まれる必要もなく、感想を書かれる必要もありません。あくまでも【趣味】で、「書きたいもの」を「書きたいように」書いた作品です。その点は十二分にご理解ください!
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長洛出発の四日目。
日が傾いている一六時三〇分、蒼寧一〇時〇〇分発の御召列車は定刻通り翠塩湖駅に着いた。
列車から降りた銀鈴一行は、歩廊(ホーム)で翠塩湖周辺の部族長夫妻の出迎えを受けた。
「ご安着、恐悦至極でございます。翠塩湖ご滞在中は、我ら夫婦がご案内申し上げます。これは妻でございます」
部族長は、拱手し頭を下げ、妻を紹介した。
「部族長の妻でございます。皇后さま、太后さまのご案内を務めさせていただきます。ところで皆さま、あらかじめ献上いたしました、長袍はいかがでございますか?」
部族長夫人も、拱手し、仁瑜、銀鈴、香々を見渡した。
「出迎え大儀。世話になる」
仁瑜が答礼した。
銀鈴、仁瑜、香々の三人は、あらかじめ献上を受けた古馬族の衣裳をまとっていた。足首丈の長袍――上衣――と、爪先が反り返った焦げ茶色の膝丈の長靴姿だ。男女とも同型で、筒袖、立襟、喉元から肩、脇にかけての鉤状の合わせ目が特徴。長袍の表地は絹、裏地は毛皮。また、茘娘、棗児をはじめ、随行の女官・宮女の多くも、古馬族の衣裳姿だ。
銀鈴の古馬族衣裳は桃色、香々のは深紅(こきくれない)色の下地に金糸で鳳凰が織り込まれていた。銀鈴、香々の二人とも、長袍とおそろいで、毛を内側に、外側が布地の頭巾をかぶっていた。仁瑜は、瑠璃紺色――深い青紫色――に金糸で龍が織り込まれた長袍に、長袍と同じく瑠璃紺色に金糸の龍の玉ねぎ型の帽子。帽子の四方は、跳ね上げられて、裏地の黒い毛皮が見えていた。男性がまとう色として、青色系は特に格が高いとされる。
「良き献上の衣に感謝いたす。乗馬の稽古をするのにも、寿服と違い、非常に乗りやすかった。さすがは馬の民の衣(ころも)、と感服した」
「ほんとにいい物をありがとうございます。もらったのが秋ごろだったので、その時は暑かったんですが、冬に着るのはちょうど良いですね。毛がふさふさで。それに、この桃色がかわいいですね。じん、じゃなかった、陛下もおっしゃったように、来る前に、乗馬のお稽古もしたんですが、普段着ている寿服と違って、古馬族の服は、馬に乗りやすかったです」
「ほんとにいい物をありがとう。深紅色に金糸が美しいわ」
仁瑜、銀鈴、香々の順で述べた。
「我らの衣がお気に召しまして、何よりにございます」
部族長は、部族長夫人とともに一礼した。
翠塩湖駅長の先導で、貴賓室代わりの駅長室へと向かい、一息ついたのち、部族長らの案内で、騎馬にて古馬族の宿営地へ向かった。空は青く、茶色の枯草に、うっすら白い雪が積もっていた。
「汽車の窓からも見えたけど、翡翠色と白の湖なんて、不思議ね」
銀鈴の目の前には、鮮やかな翡翠色と白の湖、翠塩湖が広がっていた。
「白いのは、塩です。湖の底には、塩がたまっているので、いくらでも取れますよ。詳しくは明日、です」
忠元が説明した。
宿営地には、白い天幕が多数建てられていた。肉まん型の丸い天幕だ。
銀鈴たちを歓迎し、部族長主催の宴席が開かれた。
大きな天幕中央には、暖房・煮炊き兼用の炉が置かれていた。下から見上げると、広げた傘の下のようだった。天井の幕は、橙色の骨に載せられ、天井は炉を囲んだ四本の柱で支えられていた。
入り口が南側で、一人一卓の座卓が、奥から一口に向けて横に並ぶ。西側には男性、東側には女性が分かれて、分厚いじゅうたんの上に座っていた。
「ずいぶん暖かいんですね、布の家なのに。寒くて凍ってしまうかと思っていました。少し暑いぐらいです」
銀鈴は帯にはさんでいた扇子で顔をあおいだ。
「この天幕は、三百年前から変わらないわね」
香々もつぶやいた。
席についていた銀鈴と香々の二人は、頭巾の端を上にまくっていて、内側の毛皮を見せていた。人前では頭巾や帽子をかぶるのが、古馬族の礼儀。ただ、頭巾で顔全体を覆っていては、天幕の中では暑い。
「お二人とも、お召し上がりください。まずは乳茶(ミルクティー)を。布と申しましても、薄いものではなく、羊の毛を何度も巻き固めて分厚くした毛氈(フェルト)を使っておりますので。外に水を張った桶を出しっぱなしにするとカチコチに凍ってしまうほどの寒い夜でも、中で火を焚けば凍えることはございません。寒さのご心配はご無用にございます。冬なら毛氈(フェルト)とそちらの蛇腹の骨組みに二重に巻き付け、床にも二重に敷きます。夏なら、骨組みの巻き付けは一重で、暑ければ壁の裾をめくれば、風がよく通って涼しいんですよ。常に移動しておりますので、遊牧の民たるわたくしどもにとっては、この毛氈(フェルト)の天幕は、欠かせぬものでございます。解体も一時間ぐらい、くみ立ても一時間ぐらいです」
部族長夫人は、壁の橙色の骨組みを指さし、床のじゅうたんをめくってみせた。
「そうなんですか。これぐらい暑ければ、寒さを心配しなくてもいいですね。じゃ、いただきます」
銀鈴は笑みを浮かべて、乳茶(ミルクティー)をひと口のんだ。
「えっ⁉」
銀鈴は、眼を白黒させた。
「おどろいた、銀鈴? 懐かしい味ね。長洛までの花嫁道中のときに、宿場でよく飲んだわよ」
香々も乳茶(ミルクティー)を飲んでいた。
「おいしいはおいしいんですが、まさかしょっぱいとは思わなかったので。乳茶(ミルクティー)は、泰西式(たいせいしき)しか飲んだことがないので」
寿国の遊牧民は、塩味の乳茶(ミルクティー)を飲むことが多い。泰西とは、寿国のある最大大陸の西の地域のこと。
「わたしは、泰西式乳茶(ミルクティー)を飲んだときのほうがおとどいたわよ。乳茶(ミルクティー)にお砂糖を入れるとは考えなかったわよ」
「お供の皆さまも含めて、乗馬がおじょうずですね。ずいぶんお稽古をされたんですね」
「馬で案内してもらえる、ってことで、後宮のみんなでお稽古したんです。初めは、おっかなびっくりでとまどった女官や宮女も居ましたが、何とか乗れるというか、馬に乗せてもらえるようになりました。乗馬のお稽古も楽しかったですよね、大おばさま」
銀鈴は、部族長夫人に乗馬をほめられて、照れたように笑った。
「そうそう。銀鈴の言う通りよ。稽古も、久しぶりの乗馬で勘が鈍っているかと心配したけど、そんなことはなかったわ」
香々もうなずいた。
名手が弾く馬頭琴(ばとうきん)の調べのなか、宴(うたげ)は進む。
天幕中央の炉に乗せられた鍋の蓋が開かた。羊の骨付き茹で肉が木の大皿に盛られ、配られた。
「えっと、どうすれば?」
銀鈴は、目の前に置かれた、大きな茹で肉のかたまりに目を丸くした。
「それは、骨を手に持って、小刀で肉を削ぎ落しながら、手づかみでお召し上がりください。まずは、何もつけずに。味が薄ければ、豆板醤(トウバンジャン)、甜麺醤(テンメンジャン)、醤油、からしをお使いください。また、お好みで、薬味の千切りネギや生姜ともに、花捲(ホアジュアン)や焼餅(シャオビン)に挟んだり、乳茶(ミルクティー)に入れたりしてもおいしいですよ」
花捲(ホアジュアン)とは、花に見立てて、渦巻き状に丸めた肉まんの皮の生地に具を包まずに蒸した麺麭(パン)。焼餅(シャオビン)は、表面にゴマをたっぷりとまぶした掌大の丸くて平べったい焼き麺麭(パン)。そのまま食べたり、二つ割にして具を挟んだりして食べる。
ひと口肉まんのような見た目のきんちゃく型の羊肉の蒸し餃子、丸くて平べったい揚げ餃子、餃子が浮いた白みがかった薄茶色の羹(スープ)も出されていた。
「揚げ餃子は、餡を皮に包むところまでは蒸し餃子と、一緒です。蒸し餃子は、きんちゃく型のまま蒸し上げますが、揚げ餃子はきんちゃく型に包んで、まな板の上でペタンコにつぶしてから、揚げます」
部族長夫人は、右の掌を拳に握って、まな板に見立てた左の掌に叩きつけ、餃子を平べったくつぶす真似をした。
「お肉ばっかりですね」
銀鈴は感想を述べた。
「ええ。わたくしたち遊牧民は、夏には『白い食べ物』、冬には『赤い食べ物』を取ります。『白い食べ物』というのは、乾酪(チーズ)、乳酪(バター)、馬乳酒、凝乳(ヨーグルト)といった乳製品のことです。『赤い食べ物』は、お肉です。火を通す前のお肉は、赤いですから。冬になると、馬乳酒は造れないので」
部族長夫人は、説明した。
「ばにゅうしゅ?」
銀鈴は首を傾げた
「馬乳酒とは、馬の乳から造ったお酒です。夏は、馬乳酒が“主食”で、他に何も食べなくても、だいじょうぶです。お酒といっても、ごく弱いものなので、子供から、大人までみんな飲んでますよ」
「お酒だけ?」
「ええ。夏は、冬にお肉ばかり食べていて疲れた胃を休ませる季節でもありますので」
銀鈴は、部族長夫人に言われた通り、小刀で削ぎながら肉を口に運んだ。
「羊のしゃぶしゃぶはよく食べますけど、塊を食べるのもかみ応えがあって、おいしいですね。部位によって、味や食感もだいぶ違いますね。塩味だから、お肉の味がよく分かりますよ」
「上洛したときに、羊のしゃぶしゃぶを食べることもありますが、紙のように薄くて、食べた感じがしないんですよ。やはりお肉は、塊で食べないと」
部族長夫人は、そう言いながら、肉の塊を削いだ。上洛とは、長洛へ行くこと。
銀鈴は、肉の塊を食べる合間に、餃子入り羹(スープ)を飲んだ。
(えっ、これも乳茶(ミルクティー)? びっくりしたけど、これもおいしいわね。遊牧民の乳茶(ミルクティー)って、“お茶”というより“羹(スープ)”?)
「おどろかれました?」
銀鈴は、部族長夫人から尋ねられた。
「はい。お茶がしょっぱいとは思いませんでした。餃子入り羹(スープ)も、見た目は馬鈴薯(じゃがいも)の泰西羹(たいせいスープ)に似ていたんですが、まさかお茶だとは思いませんでした」
部族長夫人が怪訝な顔をした。
「馬鈴薯(じゃがいも)の泰西羹(たいせいスープ)とは? わたくしたちは泰西のお料理には縁遠いもので。馬鈴薯(じゃがいも)自体は蒸かしたり、煮たりして食べることはありますが」
泰西とは、寿国がある最大大陸(さいだいたいりく)の西の地域。
「そうでしたか。ゆでた馬鈴薯(じゃがいも)をつぶして、牛乳で煮た羹(スープ)です」
銀鈴は、部族長夫人の問いに答えた。
「作り方はご存じでしょうか? 乳を使うのであれば、わたくしたちでも作れるかな? と」
部族長夫人は茘娘と棗児の顔を見た。
「銀鈴なら知ってるんじゃない? 汽車の中でも料理を手伝ってたし」
香々が口を挟んだ。
「えっ、皇后さまが料理をなさるんですか?」
「料理っていっても、肉まんなどの簡単なものや、お皿洗いとか、野菜の皮むきなんかのお手伝い程度ですけどね。後宮太学生のころから、厨房でお手伝いしてたんで。太学生には、もともと『紙墨料(しぼくりょう)』として、お小遣いが出るんです。厨房や宮市――後宮のお店――などのお手伝いをすると、さらにお小遣いをもらえるんですよ。授業でも、料理や食卓作法、茶芸もありましたし」
紙墨料とは、紙や墨の代金、すなわち文具代の意味。
「銀后さまの場合、お小遣いよりも、まかない目当てでしたよね」
「そうそう。“お菓子食べ放題”で後宮にやってきて、厨娘 のおばちゃんたちと仲良くなって、かわいがってもらって、おやつをいろいろともらってましたよね。まあ、わたしたちもおすそ分けにあずかりましたけど」
「ちょっと茘娘も棗児も、わたしが食いしん坊だって言いたいわけ⁉」
銀鈴が頬をふくらませた。
「まあまあ三人とも、けんかはしないの」
銀鈴は、茘娘、棗児ともども、香々になだめられた。
「皆さま、仲がおよろしいですね」
部族長夫人が微笑した。
「それはそうと、細かいところは、厨娘 に確認しますが、大まかなら分かりますよ」
銀鈴は頭をかきながら、話題を元に戻した。
「それでしたら、厨娘 さんにご教示願えませんでしょうか?」
「厨娘 に話してみますね」
羊肉がゆでられていた大鍋に水が足され、麺が入れられた。
「どうぞ」
銀鈴は、給仕から木椀を受け取り、木製のれんげで口に運んだ。
(あっ、猫耳(マオアール)。塩味だけだけど、いいお出汁よね)
猫耳(マオアール)とは、生地を小さなサイコロ状に切り、麺台の上で親指の腹で押しのばし、猫の耳の形にした麺。
「さあ、おかわりも」
「じゃ、お願いします」
銀鈴は、おかわりを受け取った。今度は、甜麺醤(テンメンジャン)、生姜、ネギを入れて食した。
「暑くなってきたわ」
銀鈴は、手で顔をあおいだ。
「でしたら、ご無理なさらずに、長袍を片肌脱ぎか、諸肌脱ぎにされれば? 羊は体が温まりますから。しかも、生姜やネギも入れられましたからね」
周りを見渡すと、片肌脱ぎや諸肌脱ぎの列席者も見えた。
銀鈴と香々は、部族長夫人の勧めに従って、長袍の紐釦(ボタン)を外して、諸肌を脱いで、上半身を中衣姿にした。二人の長袍は、内側の毛皮を見せていた。
「仁瑜、飲み過ぎじゃない? 部族長さんと仲良くやるのはいいけど」
銀鈴は、西側の男性の場所を見た。
そこでは、仁瑜と部族長が杯を交わしていた。さらに、部族の長老たちが次々と仁瑜にお酌していた。
「陛下には、白酒(パイチュウ)をお出ししています」
白酒(パイチュウ)とは、焼酎の一種。特に強いものは、古くは傷の消毒にも使われていた。
部族長と仁瑜も、長袍を諸肌脱ぎにして、上半身を中衣姿にしていた。
「白酒(パイチュウ)って、強いお酒でしょ? だいじょうぶかしら? じん、陛下は普段お酒を飲まないし。越先生も『お酒を飲み過ぎると、山酔いがひどくなる』って言ってたし」
銀鈴は、“仁瑜”と言いかけて、“陛下”と言い直した。
「それでしたら、陛下にお茶や羹(スープ)を多めにお出しします。水気を多く取れば、悪酔いはしにくくなります」
部族長夫人はそう言って、給仕にその旨を言い付けた。
ゆで肉の塊、猫耳(マオアール)をあらかた食し終わったところで、ふかし甘藷(サツマイモ)、砂糖がかかった揚げ麺麭、干し柿、干し桃、干しぶどう、干しあんずが大皿で出された。
「ふかし甘藷(サツマイモ)は、まずはお塩だけで召し上がってください。そのほうが、ここのお塩の味がよく分かりますので。今日、お出ししたお料理には、目の前の翠塩湖で採れたお塩を使っています。このお塩を交易するのが、わたくしたちの長年の生業(なりわい)でして。お塩に飽きられましたら、こちらの生乳酪(フレッシュバター)をお使いください。揚げ麺麭には、生乳酪(フレッシュバター)つけて、お砂糖をかて召し上がっても、おいしいですよ」
「おいも、甘い。お塩も、しょっぱいけど、ほんのり甘いわね」
銀鈴と香々は、部族長夫人の勧めに従って、ふかし甘藷(サツマイモ)に塩を振って食べ、次にふかし甘藷(サツマイモ)に、生乳酪(フレッシュバター)を塗って食べた。その後、揚げ麺麭を何もつけずに食べ、次に生乳酪(フレッシュバター)を塗り、砂糖をかけて口に運んだ。
「あれ? 生乳酪(フレッシュバター)って聞いたけど、乳皮(クリーム)にも近い感じ? 泰西式の乳酪(バター)よりはあっさり、生乳皮(クリーム)よりもこってり? ほんのり甘くて、おいしいですね、大おばさま」
「紅茶と一緒に出てくる、泰西の麺麭(パン)にスコーンってのがあったわよね? あれに添えてある乳皮(クリーム)に似た感じよね、銀鈴?」
「そうですね。泰西各国の駐在使節主催のお茶会で出てきても、おかしくはないですよ。遊牧民のごはんって、もっと素朴で、豪快だと思ってたんですけどね。この生乳酪(フレッシュバター)、かなり繊細ですよ。どうやって作るんですか?」
「お口に合ったようで、何よりです。この生乳酪(フレッシュバター)は、搾りたての乳を弱火で温めて、乳が温まったら溶いた小麦を入れます。そして、弱火で吹きこぼれない程度に煮立てて、柄杓ですくい上げて、高い所から落とすように、攪拌(かくはん)します。これを一時間以上繰り返します。ふわふわの泡が鍋を覆ったら、涼しい所へ移して一晩置きます。翌朝、鍋の表面が薄い黄色の膜で覆われます。乳を温めると、薄い膜で覆われますが、その膜が分厚くなった感じです。この膜がこの乳酪(バター)です。この膜を、崩さないようにそっと取り上げます。ところで、スコーンとは、どのような麺麭(パン)で? 作り方をご存じでしょうか? 作れるようなら作ってみたいのですが」
銀鈴は、部族長夫人の解説をうなずきながら聴いた。
「掌よりは一回り小さくて、丸く、ふくらんだ焼き麺麭(パン)です。乳皮(クリーム)と果物の砂糖煮(ジャム)をつけて食べます。サクサクしていて、口の中でホロっとくずれる食感なんですよ。……ただ泰西の麺麭(パン)は、泰西式の天火(オーブン)がないと無理かもしれません。ですけど、焼餅(シャオビン)とか、大餅(ダービン)とか、お鍋で焼いて作る麺麭(パン)類もありますから。天火(オーブン)なしでも、スコーンは作れるかもしれません。あとで、厨娘 に聞いてみます」
銀鈴は、掌を見て、考えながら部族長夫人に答えた。
族長夫人は、さらに銀鈴と香々に、白くて短い棒状のものが載った別の大皿を勧めた。
「こちらの干し凝乳(ヨーグルト)もお試しください」
「干し擬乳(ヨーグルト)があるの⁉ 懐かしいわ! 長洛へ行くときの花嫁道中で食べたのは丸くて、もっと塩辛かったけど」
香々が声を上げて、大皿に手をのばし、干し擬乳を口にした。そして、親指と人差し指で丸を作って、銀鈴と部族長夫人に見せた。
「こちらは、特に塩や砂糖は入れておりませんので。部族や地域、好みによって塩や砂糖を入れることもございます」
「干し擬乳(ヨーグルト)? 擬乳(ヨーグルト)って、固まるの?」
銀鈴は疑問の声を上げた。
「はい。水切りしてかなりねっとりとした凝乳(ヨーグルト)を、適当な大きさに切り分け、天幕の屋根に乗せて日干しにします。すると、このようになります」
部族長夫人が説明した。
「銀鈴、とにかく食べてみなさい」
「はい」
銀鈴は、香々に進められるまま、干し凝乳(ヨーグルト)をつまんだ。
「少し硬いですね。麻花(かりんとう)ぐいらい? ちょっと酸っぱくておいしい。“凝乳(ヨーグルト)”としか言いようがないですね」
「そういえば、蘇ってから干し擬乳(ヨーグルト)は食べていないわね。銀鈴も、干してない普通の擬乳(ヨーグルト)を食べたことはあったわね? 前にあぶり鶏の凝乳(ヨーグルト)あえを出してくれたことがあったわね」
「厨娘 のおばちゃんが、大おばさまのためにと胡食(こしょく)を作ってくれたときでしたっけ? 凝乳(ヨーグルト)のタレって、さっぱりしていいですよね」
胡食とは西域の料理のこと。
「そうそう。擬乳(ヨーグルト)は、東の味噌みたいなものよね。調味料として使わずに、そのまま食べることもそれなりにあるけどね。干し凝乳(ヨーグルト)は、日持ちするのよね? 西域に限らないけど、遊牧民は乳を加工するのよね? 搾りたてを飲むことはあるけど」
香々は、部族長夫人に目配せをした。
「左様でございます。今お出ししたのは、乳がたくさん採れる夏に作って保存していたものです。干し凝乳(ヨーグルト)は、硬いので歯の悪いお年寄りは、水やお湯、お茶に浸して軟らかくして食べることもございます」
「普通の擬乳(ヨーグルト)はないんですか?」
銀鈴が部族長夫人に尋ねた。
「申し訳ないのですが、冬場は採れる乳が少ないので、凝乳(ヨーグルト)は作っておりません。乳酪や乳茶(ミルクティー)用が優先ですので」
「お水もらえる? 思い出したんだけど、干し凝乳(ヨーグルト)は、水で戻したり、羹(スープ)にしたりもするから。水で戻せば、普通の凝乳(ヨーグルト)っぽくなるかも?」
「かしこまりました」
部族長夫人は、給仕の女性を呼び止めた。
湯冷ましの碗と匙(さじ)が出された。
香々は、干し凝乳(ヨーグルト)を砕いて、湯冷ましの碗に入れてかき混ぜ、ひと口飲んだ。
「少し薄いわね。これじゃ、凝乳水(アイラン)だわ。羊肉に合うのよね、これ」
「凝乳水(アイラン)?」
銀鈴は首をかしげた。
「凝乳水(アイラン)ってのは、凝乳(ヨーグルト)を同じ量か、二倍の水で割った飲み物よ。火昌に居たころ、よく飲んだわよ。銀鈴、まねしなさいよ」
銀鈴は香々に言われるまま、干し凝乳(ヨーグルト)を砕いて湯冷ましの碗に入れ溶いて口にした。
「真冬の天幕の中なのに、結構暑くて喉が渇いていたので、この少し酸っぱいのがおいしいですね、大おばさま」
「そうそう。こうやって、少しお塩を入れて飲むの。夏なんか、氷室(ひむろ)から氷を取り出して浮かべることもあったわ。ほんとなら泡立て器で泡立てたかったんだけど」
香々は塩を一つまみ、凝乳水(アイラン)に入れた。
宴席がお開きになった後、銀鈴と仁瑜の天幕。
「宴席で、部族長の奥さんから聞いたんだけど、部族の人たちは泰西の料理やお菓子に興味があるそうですよ。明後日は休息日だし、この辺りで手に入りやすい材料で、作りやすいお料理教室を開けませんか? できるならですけど。泰西の料理やお菓子には、乳酪(バター)を使いますし」
銀鈴は、集まった厨娘 、忠元、香々、茘娘、棗児を前にして発言した。
「材料が手に入りやすいのなら、料理教室を開いてもいいじゃないですか、陛下? 後宮劇団が地方公演すると、公演先で乞われて、古典や歴史の講義をすることもあったと記録にありますから」
忠元は仁瑜に顔を向けた。
「良いのではないか。世話になったし、古馬族と友好関係を保つのにも役立つ。やってくれるか? 銀鈴、厨娘 」
「分かったわ」
「かしこまりました」
厨娘 は仁瑜に頭を下げた。
入り口と正対する正面奥に祭壇があり、上座であるその前で銀鈴と仁瑜が座布団を敷いたじゅうたんの上に座り、座卓を囲んで、西側に男性の忠元が、東側には女性の香々、厨娘 、茘娘、棗児が座っていた。
内部は、入口から順に一直線に天井を支える二本の柱、柱の間に炉、座卓、祭壇が並び、壁際には寝台、棚やたんすが置かれていた。東の壁際の寝台は銀鈴が使い、西の壁際の寝台は仁瑜が使う。
「確かに、泰西のお菓子は乳酪(バター)などと乳類と、小麦粉ですから。肉の揚げ物なら、こちらでも揚げ麺麭(パン)を作っていますから。簡単なものであれば、材料は比較的手に入りやすいかと思います」
厨娘 が答えた。
「材料のことでしたら、何を作るか決まれば、明日の朝いちばんで、食堂車の厨師と翠塩湖駅長に相談してみましょう。中一日あれば、州都の蒼寧から取り寄せることもできるかもしれません」
忠元も続いた。
「どうせなら、泰西式のお茶会にしない? 泰西式の乳茶(ミルクティー)を添えて、あの生乳酪(フレッシュバター)をスコーンにつけて食べたいわ。果物の砂糖煮(ジャム)も忘れずに」
香々が提案した。
「おばちゃん、どうです?」
銀鈴が厨娘 に尋ねた。
「そうですね。ふくらし粉があれば、スコーンは作れそうですね。泰西式の天火(オーブン)がないとはいえ、大餅(ダービン)、空心餅(コンシンビン)のように鍋で焼く方法もありますから。乳と乳酪(バター)は、遊牧民の常食ですし。あの生乳酪(フレッシュバター)は、スコーンに合いますよ。果物の砂糖煮(ジャム)も、生の果物が少ない時季ですが、干し果物はよく食べられているようですから、それで作れますよ」
「一つはスコーンで決まりですね、おばちゃん。干しぶどうがあるなら、麺麭蛋糕(パンケーキ)のシュマーレンも作れませんか? あれも、小麦粉、卵、砂糖、干しぶどう、乳、乳酪(バター)ですし」
「いいんじゃないですか? もし、ふくらし粉が手に入らないようなら、シュマーレンだけは作れますからね。スコーンよりも、シュマーレンのほうが作りやすそうですよ」
厨娘 が答えた。
「遊牧民のほうが、乳類を常食にしているから、泰西菓子の材料は手に入りやすいかもしれませんね」
銀鈴と厨娘 のやり取りに忠元が感想を述べた。
「確かにな」
仁瑜も、銀鈴の横でうなずいた。
「料理のほうはどうします?」
茘娘が、銀鈴と厨娘 を見て尋ねた。
「そうね。見た目が乳茶(ミルクティー)に近い、つぶした馬鈴薯(じゃがいも)の羹(スープ)と、泰西式の牛の揚げ物はどうかと?」
銀鈴は、厨娘 に顔を向けた。
「こちらでは牛はあまり食べないでしょうが、羊に変えればいいでしょう。泰西の揚げ物は、具は変わっても作り方自体の基本は変わらないので」
「そうですね」
銀鈴が、厨娘 の答えにうなずいた。
「食器はどうする? 泰西式の食器はあるの?」
香々が聞いてきた。
「……さすがに泰西式の食器の用意はありませんが」
「どうします? なしで済まします、おばちゃん?」
銀鈴が厨娘 に問うた。
「なしで済ませても、だいじょうぶですが。匙(さじ)はありますから、羹(スープ)は飲めますし、揚げ物やシュマーレンも箸で食べやすい大きさに切ればいいです。スコーンは手づかみですし」
「鉄道院の駅食堂や食堂車の泰西食器を借りられないか? と翠塩湖駅長や食堂車の厨師に相談してみます。せっかくですから泰西式に盛りつけたほうがいいですしね」
忠元も口を開いた。
「越先生、お願いできますか?」
「分かりました、銀后。だいたい決まりましたね。明日の朝までに必要な物を書き出しておいてください」
「本当によろしいのですか、皇后さま、厨娘 さん? 料理教室を開いていただいて」
部族長夫人は、恐縮した顔つきで銀鈴と厨娘 に頭を下げた。
銀鈴は、先ほどの料理教室についてのやり取りを部族長夫人に伝え、材料の確認のために、食料用天幕へと来ていた。
「いいんですよ。ちょうどあさっては休息日で予定はありませんし、料理作りは楽しいですし、お世話になったお礼の意味もありますね、おばちゃん」
「そうですよ。お気になさらないでください。古馬族の皆さんは、乳類が主食のようですから、わりと泰西のお料理とお菓子の材料はそろっていますね。足りないのはふくらし粉や卵ぐらいかしら?」
厨娘 は、食料天幕の中を見て回っていた。
「だいじょうぶそうですね、おばちゃん」
「そうですね。必要な物は分かりましたので、取り寄せる物は越先生に書付を渡して、取り寄せてもらいましょう」
「参加者を募りますので、あさってはよろしくお願いします。材料は足りているとのことですが、用意しておくものはございますでしょうか?」
部族長夫人はお辞儀をした。
「そうですね。羊の揚げ物を作るので、できれば子羊の肉を。それから、生乳酪(フレッシュバター)、普通の乳酪(バター)もお願いします。それから、お料理教室の会場は、今日の宴席の大天幕を使いたいのですが、よろしいですか?」
厨娘 が部族長夫人に尋ねた。
「かまいませんよ」
「それでしたら、かまどは一台では足りないので、四台ほどご用意いただけますか? それから作業台も」
「かしこまりました」
「おばちゃん、終わりましたかね?」
「ええ」
銀鈴が厨娘 に問い、厨娘 はうなずいた。
「それじゃ、失礼します」
銀鈴は部族長に軽い会釈をした。
「こちらこそ、あさってはよろしくお願いします。楽しみにしております」
部族長夫人は答えた。
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