一  銀鈴、西域庭園で昼餉を食すのこと

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 ・本作は、「鉄道が存在する中華風ファンタジー世界」がどう表現できるか? との実験作です。中華風ファンタジーと鉄道(特に、豊田巧氏の『RAIL WARS』『信長鉄道』、内田百閒氏の『阿呆列車』、大和田健樹氏の『鉄道唱歌』)がお好きでないと、好みに合わないかもしれません。あらかじめ、ご承知おきください。お好みに合わぬ場合には、無理に読まれる必要もなく、感想を書かれる必要もありません。あくまでも【趣味】で、「書きたいもの」を「書きたいように」書いた作品です。その点は十二分にご理解ください!

 

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  某年晩夏、四方を城壁で囲まれた城郭都市の寿国(じゅこく)の都、長洛(ちょうらく)。

 皇帝の住まいである宮城(きゅうじょう)。後宮の一角、お椀を伏せたような丸屋根、ネギ坊主型の塔、直線の水路、四角い池、噴水がある西域庭園。他の場所が、純寿国の様式の黄色い屋根、真朱の柱と壁に対し、ここ西域庭園は、その名の通り西域の異国風だった。

西域宮殿の建物の屋根や外壁には、丸、三角、四角、菱形など図形や唐草を幾何学的に描いた青色や青緑色の薄い装飾板(タイル)が貼りつけられていた。そして、ぶどう、柘榴(ざくろ)、いちじく、西瓜(すいか)、梅、扁桃(アーモンド)、りんご、みかんといった果樹類、薔薇(バラ)などの花が植えられ、池には蓮が浮かんでいた。

「大ばさま、起きてください。昼餉(ひるげ)ですよ」

 張銀鈴(ちょうぎんれい)は、ぶどう棚の下で昼寝をしていた麹香々(きくこうこう)を起こした。巨大な氷風扇(ひょうふんせん)が冷たい風を送り、地面には深い赤を主体とした唐草文様のじゅうたんが敷かれていた。氷風扇とは、宙に浮かび冷たい風を送る扇形宝貝(パオペイ)。

 銀鈴は、十四歳。同じ年ごろの娘と比べて小柄な体系。耳の上に、鳶色の髪の毛を二つの団子に結っていた。六品―九品下級女官のお仕着せ――緑色――である、小ぶりの広袖のj襦(じゅ)――膝までの短い上衣――に裙(スカート)を着ていた。彼女は普段、皇后としての豪華な衣装は、目立つし、動きにくいからといって、下級女官のお仕着せを着ていた。

 一方、香々は、外見は二十五、六歳、緑眼、彫りの深い顔立ちの女性。腰まである赤毛の髪を幾本もの細い三つ編みにして、金糸で唐草紋様の刺繍がある涼やかな水色の胡服――西域の衣裳――をまとっていた。

「もうそんな時間? 踊りの朝げいこで疲れたから、眠くなっちゃったのよね。ぶどう棚の下はひんやりして、噴水の音も心地良かったのよ。ふるさとのような庭園、よく造ったわね。里帰りしたみたいで落ち着くのよね。果物も多いし。薔薇(バラ)が多く植えられていて、池には蓮が植えてあるのが、東西折衷でいい味出してるわね。夏の薔薇(バラ)は見逃したけど、秋の薔薇(バラ)が楽しみね」

 銀鈴に起こされた香々は、じゅうたんの上に置かれていた、正方形、つばなし、水色の下地に幾何学文様が刺繍された帽子を拾って、頭に乗せた。

 香々は、長洛から荒野や砂漠を越えた先にある域の交易都市、火昌(かしょう)の生まれ。

 今は晩夏。夏の薔薇(バラ)は初夏に見ごろを迎える。香々が蘇ったのは盛夏のころで、夏の薔薇(バラ)の見ごろは過ぎて、刈り取られていた。

「西域熱は時々はやりますからね。歴代の皇帝や皇后も、西域趣味だった方も多いですし。太祖さまが、『植えるなら食えるものにしておけ。籠城戦になったら、貴重な食料にもなる』とおっしゃったそうですから、果物は多いですよ。採って食べてもいいですし」

 太祖とは、寿国の初代皇帝。

「西域でも、庭にはよく果物を植えるわ。楽園にはお花と果物が付き物なのは、西も東もかわらないのね。東の言い方だと、“桃源郷”かしら。砂漠だから、緑があるだけでも貴重だし、安らぐのよね」

 香々は辺りを見回してうなずいた。

「それにしても、よく寝てますよね。三百年も寝てて、まだ寝足りないんですか?」

「何よ! 銀鈴だって、“お菓子食べ放題”で後宮に来たんじゃないの?」

 香々がそう言って、銀鈴に向けて手をかざした。すると、銀鈴の体が宙に浮き、逆さ吊りになった。

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

「まあ、いいわ」

 香々は、銀鈴を降ろした。

「そうはそうと、今日の昼餉は羊肉泡モー(ヤンロンパオモー)なんで、時間がかかるんですよ」

 銀鈴は、香々に掌大の丸い焼き麺麭(パン)が二枚入ったどんぶりを渡した。

「これね。前にも食べたけど、結構時間がかかるのよね」

「とにかく、麺麭(パン)を細かくちぎってください。それはそうと、年明けの聖地巡幸での奉納舞や公演の踊り、どうします? この間の温泉はわたしたちだけだったし、後宮のみんなとの旅行は楽しみですよ。古馬族(こばぞく)の部族長さん主催の宴席のお礼に、踊りを披露しよう、って話になっているんですが」

 古馬族とは、北方および西方の遊牧騎馬民族。

「聖地巡幸? 年明けでしょ? まだ八月よ。早いんじゃないの?」

「それはそうなんですが、『いろいろ準備の都合があるからそろそろ考えておいてほしい』って、仁瑜と越先生から言われてまして」

 仁瑜とは、銀鈴の夫である、今上皇帝(きんじょうこうてい)・紀仁瑜(きじんゆ)のこと。越先生とは、仁瑜の兄弟子で側近で、後宮太学(こうきゅうたいがく)の教師、裁判・官吏監察を司る役所「太法院(たいほういん)」の長官たる太判事(たいはんじ)兼ねた、越忠元(えつちゅうげん)のこと。仁瑜が十八歳、忠元は二十五歳。

「それにしても、最終目的地が天陽(てんよう)と卍湖(まんじこ)となると、結構時間がかかるんじゃないの? 一年とか、それぐらいかかるじゃないの?」

「細かいことはまだ聞いていませんが、多少寄り道しても、半月からひと月ぐらいで、行って帰ってこられるようですよ。これを、見てください」

 銀鈴は、香々に聖地巡幸日程表草案をみせた。

「えっ⁉ 半月からひと月? あんな険しい山を越えた先にある聖地に、そんなに短時間で行って帰ってこられるのよ?」

「今は汽車がありますから」

「そうだったわね。汽車には乗ったけど、まだ感覚が追い付いてなくて。汽車の中で泊まるの? 目が覚めたら、遠く離れた場所ってどんな感覚かしら? 銀鈴、汽車の中で泊ったことってあったわよね?」 

 香々は草案に目を落とした。

「はじめて夜行列車に乗ったのが、ふるさとから長洛へ出てきた時でしたね。うちは米農家ですし、ふるさとは水田が多かったんですが、一夜明けたら水田がなく、麦畑ばっかりになって驚きましたよ」

「それに、この『御召列車(おめしれっしゃ)』って何?」

 香々は「聖地巡幸日程表草案」を指差した。

「御召列車っていうのは、皇帝のための専用列車です。越先生が『御召列車は皇帝の権威を臣民に示すものでもある』って言ってました。今回の聖地巡幸は、“仕事”なんですよ」

「わたしのときの花嫁行列と似た感じかしら? このときも火昌王国の権威を見せる目的もあったからね」

 火昌王国とは、香々の実家・麹家が治めていた王国。火昌が首府。長洛の西方の砂漠の水場(オアシス)都市。百六十年前に、火昌王国側の申し出で、平和的に火昌王国領は寿国に併合。百七十年前には、仁瑜の祖父の祖父の月旅帝(げつりょてい)に、香々の弟の曾孫の姫が嫁いだ。それと入れ替わるように、月旅帝の妹が、香々の弟の曾孫の火昌王に、王妃として嫁いでいる。また火昌王家も、領地統治権は失ったものの、“王位”に封(ほう)じられ、香々の弟の子孫が継いでいる。寿国帝室と火昌王家は、“君臣関係”というより“親族関係”である。

 

 銀鈴と香々が、麺麭(パン)をちぎり始めて五、六分たったころ。

「大おばさま、まだまだ大きいですよ。それじゃ、おつゆがしみ込みませんよ。大豆ぐらいの大きさで、これ以上ちぎれないぐらいまで、小さくちぎらないと」

 銀鈴が、香々のどんぶりを見て言った。

「分かっていたけど、この麺麭(パン)は硬いわね。指が痛いわよ。ちぎらないとダメ?」

 香々は、手首から先をブラブラさせた。

「そりゃ、包丁でみじん切りにしてもいいですけど。実際、お店によっては麺麭(パン)を、あらかじめみじん切りにしておいて、注文すれば、すぐにみじん切りの麺麭(パン)をどんぶりに盛って、おつゆをかけて出してくれるところもあります。でも、包丁でみじん切りにすると、おつゆがしみずに、おいしくないんですよね。やっぱり自分でちぎらないと」

「おいしいのが食べたいから、ちぎるわよ。硬くなった胡餅(ナン)も、お茶や羹(スープ)に浸して食べることはあるけど、こんなに細かくちぎらないわよ。八つぐらいに割るぐらいね」

 香々はそう言って、堅麺麭(パン)をちぎり出した。香々の言う「胡餅(ナン)」とは、中央が窪み、周辺が土手になっている、丸くて浅い鉢状の焼き麺麭(パン)。丸い固まりの生地に、独楽(こま)状の麺棒を当てて、押し広げて成形する。

「休み休み、やってください」

 銀鈴がそう言った。銀鈴・香々付きの侍女の留茘娘(りゅうれいじょう)と程棗児(ていそうじ)が、七輪の火をおこしていた。

 茘娘が十八歳、棗児が十六歳。二人とも、銀鈴とは後宮太学の同期。


「このお茶を淹れようと思いまして」

 茘娘が、蓋碗(がいわん)に入れた赤茶色がかった緑の茶葉を見せた。蓋碗とは、蓋・受け皿付きの茶碗。急須代わりにして、茶を淹れたり、茶葉を入れたまま、上澄みのお茶を飲んだりする。

「これがお茶葉? 枯れ葉じゃない。それに、こんなに使うの? 蓋碗で、烏龍茶を淹れてくれるけど、こんなに多くなかったわよね」

 香々が、茶葉を見て驚きの声を上げ、蓋碗の中から山盛りの茶葉を一枚つまんだ。

 茶葉は、蓋碗の中からはみ出さんばかりの山になっていた。烏龍茶は、湯に茶葉を漬けっぱなしにすると、苦味や渋味が出やすくなるので、蓋椀で淹れる場合は急須代わりにして、小さな茶盃に移して飲むことが多い。そして烏龍茶は、銘柄によって茶葉の形状が違い、かさも大きく変わるが、蓋椀からはみ出すことはない。

「枯れ葉といえば、枯れ葉なんですよね、これ」

銀鈴も、蓋椀の中から茶葉を一枚手に取った。

「これは白茶(はくちゃ)の『寿眉(じゅび)』です。これで、適量なんです。急須で淹れる場合、緑茶のようにお茶葉をお湯に漬けっぱなしにする場合を除いて、だいたいどのお茶も五瓦(グラム)程度で、使う量は変わりません。お茶葉によって、嵩がかなり違うんですが、寿眉は特に嵩張りますから」

 茘娘が説明した。

「白茶? お茶にはいろいろと種類があるのは聞いているけど。黒茶と緑茶以外には、烏龍茶と紅茶は知っているけど」

 香々が質問をした。

「わたしも、後宮に来るまでは白茶というお茶があるなんて知りませんでした。普段飲むのは、緑茶か茉莉花(ジャスミン)茶で、たまに紅茶や烏龍茶を飲むぐらいでした。茘娘も、棗児も一緒よね」

 銀鈴は、目線を茘娘と棗児に向けて問うた。

 茉莉花(ジャスミン)茶とは、緑茶に茉莉花(ジャスミン)の香りを移した茶。“花茶”に分類される。

「そうです。わたしも後宮に来るまではお茶にたくさん種類があるのは知りませんでした」

「後宮では、いろんなお茶が楽しめるので楽しいですよ」

 茘娘、棗児の順で答えた。

 銀鈴は軽くうなずき、言葉を続けた。

「お茶の種類は、摘み取ったお茶葉をどう加工するかの違いで、お茶の木の違いじゃないんです。緑茶は、摘み取ってすぐに釜で炒ります。黒茶は、緑茶をうずたかく積み上げて、湿り気を与えます。烏龍茶は、お茶葉を萎れさせた後、ゆすって、熱を加えます。紅茶は、お茶葉を萎れさせた後、揉んだり切ったりしてから、乾燥させています。白茶は、摘んだお茶葉を、重ならないようにざるの上に並べて、そのまま放っておきます。すると、自然と萎れますから、それを乾燥させます」

「銀鈴、お茶に詳しいわね?」

「後宮太学で、茶芸の授業もありましたから。お茶の淹れ方やお作法がほとんどでしたが、一応お茶の作り方もならったので。この程度なら、茘娘も棗児も知ってますよ。そうよね?」

「はい」

「そうですよ」

 茘娘と棗児が答えた。

「煮出しますので」

 茘娘が、寿眉の茶葉を荒布のきんちゃく袋に入れ、茶葉の入った荒布を沸騰したやかんに放り込んだ。

「あら、煮出すの? こっち(長洛)じゃ、お茶を煮出すとは思わなかったわ」

 香々が、茘娘に聞いた。

「そういえば、煮出したお茶はお出ししていませんでしたね」

「煮出すお茶って、固まっていなかったっけ? 長洛に来るまでは、お茶といえば、磚(レンガ)のように長方形や円盤状に固めてあるものだったわ」

「固めたお茶は、遊牧民との交易品なことが多いんですよ。運ぶのに便利なようにって」

「寿眉は、煮出すのもおいしいですよ。簡単にたくさん淹れられますし」

 銀鈴、棗児の順に答えた。

「今度、白茶を作ってみます? 後宮にもお茶の木は植えられていますし、お茶葉を摘んで、ざるの上に並べるだけですから、簡単ですよ」

「銀鈴、作れるの?」

「はい。ほかのお茶は特別な道具や技術が要って大変だけど、白茶なら摘んで、放っておくだけだからと、茶芸の授業で作りましたよ」

「そんなことまで、してるのね。面白そうね。ほかにどんな授業があるの?」

「そうですね。南方の茶農家が飲んでいる、『竹筒茶』ってのがありましたね。摘み立ての生の茶葉を、茶芸の先生が取り寄せた甘蕉(バナナ)の葉っぱに包んで、甘蕉(バナナ)の葉っぱが焦げるまで蒸し焼きにして、竹筒に入れて煮出します。ほんのりとした甘いお茶でした。それから、生のお茶の葉の塩もみ、『涼拌茶(リャンバンチャ)』も作りましたね。お茶の葉を揉んで、砕きつぶした生姜、にんにく、唐辛子と混ぜて、塩を振ります。それから、熱湯を入れて、三十分ほど置きます。菜っ葉のお漬物、って感じで、ご飯に合いますよ」

「いろいろやってるのね。白茶作りは面白そうね。竹筒茶や涼拌茶(リャンバンチャ)も、今度作ってくれる?」

「はい。いいですよ。でも、甘蕉(バナナ)の葉っぱは手に入るかしら?」

 銀鈴が首をかしげた。

「銀后さま、甘蕉(バナナ)の葉っぱは竹の皮で代用できるって、茶芸の玉露(ぎょくろ)先生と甘露(かんろ)先生が言ってましたよ」

 後宮では、姓ではなく、名の頭文字に位の名をつけて呼ぶのが習わし。銀鈴なら「銀后」、香々なら「香后」。

 玉露先生と甘露先生とは、後宮太学茶芸講師で、宮中御用達の茶商、休(きゅう)家の双子姉妹。

「そうだったわね、棗児。じゃ、今度作ってみますね」


 そうこうするうちに、茶が煮立った。

「出来ました。どうぞ」

 茘娘は、やかんをじゅうたんの上に置いて、白磁の茶盃に、透明感のある茶色の茶を継ぎ分けて、皆に配った。

「こちらもつまんでください」 

 棗児が、前菜が載った盆をじゅうたんの上に置いた。前菜は、にんにくの甘酢漬け、冬瓜の漬物、茶葉蛋(チァーイエダン)――烏龍茶の煮卵――、鶏だしの煮豆、豆腐のみそ漬け、小葱拌豆腐(シャオツォンバン)――豆腐の冷たい和え物――だ。

「目が覚めてきわね。頭がすっきりし出したわ」

 茶を飲んだ香々がつぶやいた。

「それは、寿眉のおかげですね。白茶は、もともと眠気覚ましの効き目が強いんですが、特に寿眉は成長した葉っぱを使うので、より効き目が強いんですよ.」

「そうなの?」

「そうです。ほかには二日酔いにも効くって聞いています」

 銀鈴が答えた。

「南の方では体の熱を出すと、よく飲まれているようです。だから夏向きなんです。お肌に良いせいか、後宮太学のころから食事の時には、煮出した寿眉がやかんで出されますね。寿眉は、比較的お安いので」

「良家の奥様や、お嬢さまも、お肌が荒れたときには、白茶しか飲まない、ってこともありますから」

 銀鈴に続いて、茘娘、棗児が言った。

「お肌に良いなら、これからは白茶もお願いね」

「かしこまりました、香々さま」

 茘娘と棗児は、そろって頭を下げた。


 銀鈴と香々が、堅麺麭(パン)をちぎり始めて、約一時間。銀鈴、香々、茘娘、棗児の四人でお喋りしたり、前菜をつまんだりしながら、手を動かしていた。

「そろそろいんじゃない?」

 銀鈴が、七輪で串刺しにしたひと口大の羊肉を焼きながら、香々、茘娘、棗児のどんぶりを見回して言った。どんぶりの中には、ちぎられた堅麺麭(パン)が山になっていた。

「銀鈴、料理できるの?」

 香々が銀鈴に尋ねた。

「お肉を焼くぐらいなら。後宮太学のころは、お小遣いがもらえるので、厨房のお手伝いをしてましたし」

「お小遣いよりも、まかないの料理やおやつでしょ」

「食い意地が張ってますからね」

「茘娘、棗児、二人とも何言ってんの!」

 銀鈴がむくれた。

「羊肉泡モー(ヤンロンパオー)の羹(スープ)と堅麺麭(パン)も、あなたたちが作ったの?」

 微笑みを浮かべた香々が尋ねた。

「いえ、羊肉泡モー(ヤンロンパオ―)は、厨房で用意してもらったのを、保温しておいただけです。お肉は焼き立てが食べたかったので、自分で焼きましたけど」

 銀鈴が答えた。

「では、羹(スープ)を注ぎますので」

 茘娘と棗児が、立ち上がった。

 茘娘と棗児は、目の前の七輪で保温してあった羹(スープ)の鍋から香々、銀鈴、茘娘、棗児のどんぶりに、羹(スープ)を注いだ。

 だしは、羊。具は、羊の薄切り肉、ネギ、青菜、豆腐、たっぷりの春雨。

 羊肉泡モー(ヤンロンパオモ―)は、鉄道院が東方の島国、和人向けに発行した『寿国名物料理案内 和語編』には、「長洛一の名物。ご飯の代わりに、細かくちぎった堅麺麭を使っただし茶漬け」とある。

 銀鈴は甜麺醤(テンメンジャン)、香々は豆板醤(トウバンジャン)をどんぶりに入れた。

 皆、ニンニクの甘酢漬けをかじりながら、羊の串焼き肉と羊肉泡モー(ヤンロンパオ―)を食べた。

「そういえば、豆腐が多いわね。羊肉泡モー(ヤンロンパオ―)にも豆腐だし、豆腐の冷たい和え物や豆腐のみそ漬けもあったしね」

 香々は、レンゲで羊肉泡モー(ヤンロンパオ―)のどんぶりの中身をすくって、口へ運んだ。

「豆腐の和え物? ネギがかかってて、ゴマ油と塩味の冷たい豆腐の『小葱拌豆腐(シャオツォンバン)』ですか?」

 銀鈴が、香々に尋ねた。

「それそれ。その冷たい豆腐」

「そういえば料理名は言ってなかったですね」

「『小葱拌豆腐(シャオツォンバン)』っていうの? あっさりして、おいしかったわ。夏向きよね。どうやって作るの?」

「作る、っていうほどじゃないんですよね、あれは。大皿で取り分けやすいように賽の目に切ってありますが、豆腐に青ネギ、塩、ゴマ油をかけただけですから」

「たったそれだけなの? ずいぶん簡単ね」

「そうです。今日は、ニンニクの甘酢漬けがあるから、味つけは塩とゴマ油だけでしたけど、しょうがやニンニクを載せたり、豆板醤(トウバンジャン)や甜麺醤(テンメンジャン)、醤油をかけたりすることもあります。とにかく厨房にある調味料や薬味を適当にかけるだけなので楽なんです」

 銀鈴は、香々の問いに答えた。


「食後のお茶にしませんか?」

 一同が食し終わったのを見て、 茘娘が言った。

「せっかくですから、これも飲んでみましょう」

 茘娘が、茶筒から茶葉を取り出し、小皿に盛った。

「緑茶? ずいぶんかわいいわね」

 香々は、小皿に盛られた緑がかった白く、針のような茶葉を見て言った。

「白茶の『白毫銀針(はくごうぎんしん)』です。ちょうど飲み比べになりますね」

 銀鈴が説明した。

 茘娘は、懐中天秤で茶葉を一人前ずつ量った。茶葉を細長い玻璃盃(グラス)に入れた。そして、やかんの熱湯を湯冷ましに注ぎ、湯を少し冷ました。冷ました湯を茶葉が浸るぐらいに注いだ。

「あら、煮出さないのね?」

 香々は、茘娘から玻璃盃(グラス)を渡された。

「はい。白毫銀針はやわらかい芽の部分だけを使いますので、煮出すと苦味や渋味が出てしまいますので。お湯の温度も、熱湯ではなくて、少し冷ましたぐらいがちょうどいいんですよ。それに、針のように細く、とがった茶葉の場合、玻璃盃(グラス)のほうが見ていて楽しいので。飲み方は、緑茶の直飲みと一緒です」

 直飲みとは、茶葉を入れた玻璃杯(グラス)などに、湯を注ぎ、茶盃に移すことなく、上澄みだけを飲むこと。湯に茶葉を漬けっぱなしにしても、苦味や渋味が出にくい緑茶や芽の部分が多い白茶では一般的な飲み方。

「そう」

 香々はうなずいて、玻璃杯(グラス)をくるくると回した。これは、茶葉に湯をなじませるためだ。それから、玻璃杯(グラス)を鼻先に近付けて、香りをかいだ。

「少し甘い香りがするわね。それに青い感じも」

 そう言って、香々は玻璃杯(グラス)を茘娘に渡した。茘娘は、四つの玻璃杯(グラス)に、湯を七分目まで注いだ。

「じゃ」

 香々は、玻璃杯(グラス)に口を付けようとした。

「大おばさま、早いですよ。まだ味が出てませんよ」

 銀鈴が、香々を止めた。

「そうなの?」

「はい。白毫銀針は味の出が遅いので、四、五分は置かないと」

「結構かかるのね」

 この間に茘娘と棗児が、噴水につけてあるスイカを切り、ぶどうを皿に並べた。

 香々は、玻璃杯(グラス)を手に取って、中身を眺めている。

(大おばさまも、玻璃杯(グラス)の中のお茶葉がかわいいから、白毫銀針を気に入ったみたいね。あんなにうっとりして眺めてるわ)

 銀鈴も、玻璃杯(グラス)を眺めた。

 玻璃杯(グラス)の中の茶葉は、まだ表面に浮いているものの、湯はごく薄い黄緑色になってきた。

「そろそろ良さそうですね。緑茶と同じで、飲み切っちゃダメですよ。三分の一ぐらいは残しておかないと」

 銀鈴は、そう言って玻璃杯(グラス)に口を付けた。息を吹きかけて、表面に浮かんだ茶葉を反対側に寄せて、隙間から茶をすすった。

「分かったわ。ついつい飲み切っちゃって、二煎目の味が薄くなるから、気を付けないと」

 香々はそう言って、茶をひと口飲んだ。

「淡いわね。ほんのり甘い感じ。ご膳と一緒なら、同じ甘い香りでも、さっきの寿眉のほうが合うわね」

「そうでしょ。白毫銀針をご飯に合わせると、お白湯をのんでいるようなもので、もったいないんですよ。寿眉なら、同じ甘い香りでもしっかりしてるんで、ご飯にも負けないんです。南のほうでは、普段使いで、ご飯のときにもよく出るそうですよ」

「そうようね。これぐらい繊細なら、お茶請けは果物のようにあっさりしたものがいいわよね、銀鈴」

「ですね」

「さあ、おかわりを」

 茘娘が、香々と銀鈴の玻璃杯(グラス)に、湯を足した。

「今度は、すぐ飲んで大丈夫ですよ」

 銀鈴は、茘娘から玻璃杯(グラス)を受け取った。茶葉の大半は底に沈んでいた。

「二煎目のほうが、味がしっかりしてるわね。飲み切らなくて正解よね」

 香々も、二煎目をひと口のんだ。


 数日後。午後三時ごろ、後宮内の茶園。腰の高さぐらいのチャノキが植えられていた。

 銀鈴は、茘娘と棗児と一緒に茶を摘んだ。

「この間、話してくれた白茶、竹筒茶、涼拌茶(リャンバンチャ)かしら? 銀鈴」

「はい、大おばさま。ちょっと試してみるぐらいですけど」

 銀鈴たちは茶園の一角にあるあずまやに移動した。あずまやは、屋根の端が天に反り返っていて、四方に壁はなく、簡単なかまどがあった。

 銀鈴が、摘み取った茶葉をひとつかみ、木製の鉢に入れ、揉み始めた。草の香りが漂った。

 茘娘が別の器で、しょうがとニンニクをつぶした。棗児がかまどのやかんで湯を沸かした。茶葉が十分にもまれたところで、つぶしたしょうがとニンニク、トウガラシが加えられた。銀鈴が塩を振り、棗児が木鉢の半分ほどの湯を注いだ。

「三〇分ぐらい待つのね」

「はい。飲んでみます?」

 銀鈴は木鉢の中をかき回して、汁を匙(さじ)ですくって香々に差し出した。

「しょっぱいわね。後から、ヒリヒリくるわ。トウガラシね。しょうがが爽やかで、茶葉の青い香りと渋味が少しするわね」

 そうこうするうちに、棗児が茶葉を包んだ竹の皮を火にくべた。一〇分後、火から竹の皮包みが取り出されて、開けられた。甘い香りが漂った。

「甘い香りね」

 香々は香りをかいだ。

 蒸し焼きにされた茶葉は、先端を斜めに切り落とされた竹筒に入れられ、水を注がれ、火にかけられた。沸いたところで、銀鈴が、菜の花色の玻璃杯(グラス)につぎ分けた。

 香々が玻璃杯(グラス)に口をつけた。

「あまいわね。でも、泰西(たいせい)式に、紅茶に砂糖やハチミツを入れたときは、違うわ。ほんのりとした、やさしい甘さね」

銀鈴も竹筒茶をひと口飲んだ。

「そうでしょ、大おばさま。わたしも初めて飲んだとき、驚きましたよ。それまでに飲んだどのお茶とも違う香りと味でしたから。あっ、そろそろ涼拌茶(リャンバンチャ)も食べごろですね」

 銀鈴は、木鉢から涼拌茶(リャンバンチャ)を小皿に取り分けた。茶葉は、汁を吸って軟らかくなっていた。

 香々は涼拌茶(リャンバンチャ)を口に運んだ。

「ほろ苦くていいわね。これはクセになりそう。白粥(しらがゆ)や白いご飯に合いそうね。朝粥にもちょうどいいんじゃない? お茶だから目も覚めそうだし。おやきにしても良さそうね」

 おやきとは、焼きまんじゅうの一種。漬物を具にすることもある。

「そうですね。尚食(しょうしょく)や宮市(きゅうし)のおばちゃんたちに献立に加えるように頼んでみます。お茶って不思議ですよね。お茶葉のまま食べると苦いけど、ちゃんとお茶にして飲めば、苦くないし、それどころかほんのり甘いこともありますから」

 銀鈴も涼拌茶(リャンバンチャ)に箸をつけた。

 宮市とは、軽食、菓子類、茶、衣類、文具その他、後宮内で必要な物を取り扱う商店。尚食は後宮の食事を司る部署。

「銀鈴、茶摘みか? 大おば様もこちらでしたか」

「おじゃましますよ。お茶でしたか?」

 仁瑜が、忠元とともにやって来た。仁瑜の容貌は、“男装の麗人”と紹介しても違和感のないほどの女性的な美形。

 仁瑜と忠元は、円衿(まるえり)、広袖で足首丈の“文官朝服”型の袍――上衣――姿で、二人とも黒のボク頭(ぼくとう)――頭巾――をかぶっていた。仁瑜の袍は、“皇帝の色”である明るい黄色の一種。山吹色、胸には緑色の五本爪の昇り竜の刺繍。忠元の袍は、司法官朝服である黒色に、三品以上の高官の色である深紫色の襟元・袖口の縁取り、胸には同色の解豸(かいち)――正義を象徴する牛に似た一角獣――の刺繍。朝服とは、官吏が通常時に出仕する際に着用する衣。

「あっ、仁瑜に、越先生。白茶を作ってみようと思って」

 銀鈴は摘み取った茶葉を入れた籠に目線をやった。

「ちょうど良かった。今日、火昌王殿下より、香后様宛に献上品が届きまして。たくさんあるのですが、取りあえずひと壺持ってきました。ほかには、目録に書いてある通り、入浴剤や匂い袋用の干した薔薇(バラ)も届いています」

 忠元はそう言って、風呂敷包みを解いて、壺を取り出し、献上品目録を香々に手渡した。

 香々は、献上品目録にさっと目を通し、壺を開けた。

「あっ、そうなの。ありがとう。バクラヴァ!」

 香々が笑顔で叫んだ。

 壺の中には、親指大で、薄いきつね色のバクラヴァが詰まっていた。バクラヴァとは、香々の故郷・火昌など西域で好まれている菓子。薄い生地を何層にも重ねて、砕いた木の実を巻いた蜜漬けの焼きまんじゅう。

「実家からの仕送りですか、――それとも“お供え”って言ったほうがいいですか――大おばさま? この甘み、クセになるんですよね」

 銀鈴も壺の中をのぞき込んだ。茘娘と棗児もうなずいた。

 香々がよみがえったことは、仁瑜が香々の実家である火昌王家へ伝えていた。

「まあ、わたしは幽霊だし、お供えと言えばお供えかしら? たくさんあるから、みんなも食べてね。茘娘と棗児も遠慮しないでね」

 香々は笑った。

「ありがとうございます、大おばさま」

「ありがとうございます。お相伴にあずかります」

 銀鈴、茘娘、棗児の三人そろって、香々に軽いお辞儀をした。

 銀鈴は、箸をバクラヴァの壺に入れた。茘娘と棗児は皿を並べて、仁瑜と忠元の茶を用意した。

 香々がバクラヴァを食べた。

「……この味は、三百年前と変わらないわね。三百年もこの味が残ってるなんて!?」

「長洛の西域人街のバクラヴァは何度か食べましたけど、これはずいぶん違いますね。蜜がしみて、ほんとに甘いですね。でも、嫌な感じじゃないですね」

「そうだな。確かに甘いは甘いが、品があるな」

 銀鈴と仁瑜も、バクラヴァを口に運んだ。

「薄きつね色のだけなんですか?」

 棗児が遠慮がちに尋ねた。

 緑色のバクラヴァとは、皮に緑色の木の実である阿月渾子(ピスタチオ)を練り込んだもの。

「日持ちさせるために、かなり甘いですね。届いた分には、いくつか種類がありますから、緑色のものもあるかもしれませんね、棗児。ところで銀后、香々様、年明けの聖地巡幸の件ですが。既に草案は書類でお渡ししていますが、行先は蒼州(そうしゅう)州城・蒼寧(そうねい)とそこの蒼塩湖(そうえんこ)、翠塩湖(すいえんこ)、空州(くうしゅう)州城・天陽、卍湖です。翠塩湖では地元の古馬族(こばぞく)の部族長主催の宴席があるので、その返礼として、何かしろの公演をやりたいので、考えておいてください。それから、鉄道院から『奉納舞拝観団体旅行』を販売したい、と言ってきています」

 忠元が口を開き、鉄道院作成の「奉納舞拝観団体旅行草案」の書類を卓の上に広げた。

 州城とは、地方行政区画で最も大きな単位の州の州庁所在地。鉄道院とは、官設鉄道の運営を行うとともに、旅館など旅行関係産業、辻馬車や辻駕籠(かご)などの交通機関に対する監督を行う役所。

「『奉納舞拝観団体旅行』の販売って、認めるんですか?」

 銀鈴は、忠元に尋ねた。

「地方公演の際に、専用列車などでかなり無茶なお願いをして、お世話になってますので、断るわけにはいかないんですよね。席数にも限りがありますので、転売防止も兼ねて、後宮劇団友の会の会員限定で販売してもらいます」

「忠元、無茶なお願い、って?」

 香々が、忠元に聞いた。

「そうですね。地方公演の屋外公演で雨が降ると、どうしても予定が狂いますよ。一日、二日の順延でも困るのに、季節外れの長雨があると、予定が無茶苦茶になりますから。大まかな日程は、一年以上前には鉄道院に伝えています。細かい調整は直前まで続きますが、大規模な人数の増減は一カ月半前ぐらいが限度です。一般の列車を使うにしろ、専用列車にせよ、人数もまとまっていますし、荷物も多いので。急に「まとまった席を用意してほしい」「大量の荷物を送ってほしい」「臨時列車を出してほしい」と言われても、鉄道院側も予定がありますから。そこを何とかしてもらうために、地方公演の引率責任者は、最寄りの駅長や地方鉄道局長、列車運行図表(ダイヤグラム)の責任者に、頭を下げまくることはよくあります。私も、連絡を受けて、鉄道院本院に行って、鉄道院総裁や各指令長に頼み込むこともあります。汽車は、好き勝手に走っているものではなく、事前の緻密な計算のもとに、予定を立てて走っています。その予定が時刻表です」

「そんなことまでやってたのね」

 香々はうなずいた。

「翠塩湖のお礼公演ですが、草案にも書いてある通り、場所の都合もあり、屋外公園になります。しかも、予定の都合で冬の夜なので、それに合わせた衣裳や演出を考えてもらえますか?」

 忠元は、卓の上に広げた草案を指差した。

「銀鈴、大おば様、古馬族との友好関係は大事なので、冬の屋外で寒さが大変ですが、よろしくお願いします」

 仁瑜は、銀鈴と香々に向けて頭を下げた。

「分かりました。後宮のみんなと相談しておきます」

 銀鈴が返事をした。

「夜の演出、楽しみね」

 香々もうなずいた。

「それから、翠塩湖では古馬族が、馬で案内してくれる、とのことなので、お二人とも、乗馬の稽古をしておいてください。後で朝礼の場でも話しますが、聖地巡幸同行の女官・宮女も、ある程度馬に乗れるようにしておく必要がありますね」

「えっ、馬ですか、越先生?」

「何も、馬に乗ったまま障害物を飛び越えたり、剣や槍を振るったり、騎射をしたりとの“馬術”をやれ、とは言いませんよ。長くても半日、よくしつけられた馬に乗って、行きたい方向へ進ませることができれば十分です。実際、乗馬未経験でも一時間弱、簡単な説明を受け、練習した後、二、三時間の乗馬遠足、との企画もありますから」

 銀鈴は、忠元の説明をうなずきながら聴いた。

「銀鈴、馬に乗ったことないの?」

「……ないことはないんですが、大おばさま。でも、後宮太学の授業で、引き馬に乗せてもらった程度です。ちゃんと自分でたづなを持って、馬に乗ったことはないので。大おばさまはあるんですか?」

「そりゃ、あるわよ。さすがに馬を走らせながら弓を射る、まではできないけど。遠乗りぐらいなら、だいじょうぶよ。火昌じゃ馬は大事な交易品だったし、花嫁道中で長洛へ来たときも、砂漠では駱駝に乗ったわよ。とはいえ、三百年ぶりだし、うまく乗れるかしら?」

「まだ時間はありますから、年明けまでしっかり稽古をしておいてください。

 それから、天陽では、天陽教(てんようきょう)の総本山、光明宮(こうめいきゅう)に泊めてもらうこととなります。聖地の卍湖(まんじこ)では銀后と香后さまには、女官・宮女と一緒に、舞を奉納していただきます。詳細は礼部と詰めていますので、決まり次第、お伝えします。また、奉納舞では聖なる色である、青、白、赤、緑、橙の五色(ごしき)の衣がふさわしいのでは? と、尚服(しょうふく)と相談をしています」

 忠元が説明を続けた。

 天陽教とは寿国の国教。開祖は、太祖――寿国初代皇帝――の師で、太祖の天下取りでは、風向きを変えて火計を成功させたり、真夏に大河を凍らせて軍勢を渡河させたりなど、天候を操って、太祖の勝利に多大な貢献をしたと伝えられている。

 尚服とは後宮の衣裳、装飾品を司る部署。

「あれ、“五色”は五行(ごぎょう)と色が違いませんか? 黒がなくて、青が入ってますね」

 銀鈴は首を傾けて、忠元に尋ねた。

「よく気付きましたね。奉納舞の“五色”は、五行でなくて、“五大(ごだい)”です。似てるので、よく混同されますが、別モノです。五行の五色は、緑が木、赤が火、黄が土、白が金、黒が水を示します。対して天陽教の五大の五色は、天の青、風の白、火の赤、水の緑、地の黄です。ただ、黄色は皇帝の色なので、遠慮して橙色で代用します」

「ねえ、忠元。“五大”と“五行”って、どう違うのよ?」

 香々が忠元に聞いた。

「万物を構成する要素、という点では同じです。ただ、別モノとはいっても、重なっている部分も多く、結構ごちゃ混ぜになっていますね」

「そう」

 香々はうなずいた。

「じゃ、わたしたちからも尚服と相談しますね」

 銀鈴が香々に目線を向けた。

「そうね。古い衣裳や装飾品なら、わたしにも助言できるかもしれないしね」

「香后様に監修していただければ、助かります。古式にのっとる必要もありますので。それではお二人とも、お願いします。今回の聖地巡幸、特に舞の奉納は、陛下のご即位の奉告で、一世一代ですから。一連の即位の儀式の総仕上げとなりますので」

 忠元が、銀鈴と香々に頭を下げた。

「大おば様、申し上げにくいのですが、卍湖での奉納舞の際ですが、しきたりで(や)の当主も招くこととなっております。よろしいでしょうか?」

 仁瑜がばつの悪そうな顔で、香々に尋ねた。

「野家って⁉ 仁瑜」

 銀鈴と香々が、厳しい顔つきで同時に声を上げた。

「……確かに、大おば様を獄死に追いやった玉雉(ぎょくち)の子孫、にはなります、一応は。ただ、現在の野家の家系は、玉雉の家系とはかなり離れてはいます。玉雉の家系が、野上大将軍の武功を笠に着て横暴なふるまいをしているときにも、何度も強く諫めて、政権の中枢にいた玉雉の家系から冷遇された家系ですので。玉雉の家系はご存じの通り、大おば様の没後に因果応報で没落し、子孫も確認できませんから。今の野家は、政治にかかわらず、野上大将軍(じょうだいしょうぐん)の祭祀に専念しています」

 銀鈴と香々の表情がいくらか和らいだ。

 上大将軍とは、最高位の大将軍のさらに上の位(くらい)。野大将軍が死後に追贈されたのが、唯一の例。

「それでしきたりというのは、新帝即位の際には、新帝は“建国の三功臣”の子孫・継承者と宴席を囲んで、太祖と三功臣をしのぶこととなっています。その三功臣というのが、武の野上大将軍、心の天陽教開祖、財の休家当主です。鉄道が天陽まで通じてからは、卍湖での奉納舞に招くこととなっています」

 仁瑜が説明を続けた。

 子孫の玉雉は大の悪役だが、野上大将軍は“武で太祖を助けた英雄”として人気が高い。実際、野上大将軍は、配下の面倒見がよく、質実剛健を絵に描いた武人。太祖が敵に囲まれたときに、単騎で突撃して太祖を救い出したり、敵の大将と一騎打ちを挑んだりした。

「まあ、呼んじゃっていいわよ。玉雉とのことはもう終わったことだし、ずいぶん報いも受けているようだしね。それにしても、同じ祖先を持っても、家系よってもだいぶ違うわね」

 香々は考え深げに言った。

「畏(おそ)れ入ります。そのようです。しきたり通りに、野家の当主も招待します」

 仁瑜は香々に頭を下げた。

「左様でございます、香后様。現在の野家の家系は、香后様が投獄された際に、玉雉の家系に香后様の解放を強く求めています。そのために、当時の当主はじめ、諌言した者たちが、軒並み地方に左遷されていますね。さすがに“同族のよしみ”で殺されることはなかったのですが」

「あら、そうなの? 忠元。それじゃ、今の野家の当主に会ったら、お礼を言わないとね」

 銀鈴は、仁瑜、香々、忠元三人のやり取りを、ほほ笑んで聞いていた。

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