陸 明治三十四年

再婚は良縁に候

 もしもあの時、父が持ってきた見合いの話を断っていたらと思うと、俺は背筋が凍る。


 それほど、いわとの出会いは俺を救ってくれた。


 いわは美人ではない。というか、はっきり言ってしまえば不細工そのものだ。


 見合い写真で初めて彼女のご尊顔を拝した時、父はこんな俺になんていう嫌がらせをするんだと腹が立ったほどだ。


 しかしながら、父の見立ては間違ってはなかった。


 実際に会って話をしてみると、その竹を割ったような口ぶりは非常に心地よかった。俺といわはとにかく馬があった。彼女が大切な存在になるまで、それほど時間はかからなかった。


 俺は彼女の家まで、足しげく通った。いわの家は遠く、山をひとつ越えなければならなかったが、苦ではなかった。


 死別した前妻の事も、いわにはあっさり話せた。その人の事が好きなままでも良いから、私の事も愛してくださいと、彼女は言ってくれた。その代わり、それ以外の女に目移りしたら俺は殺されるらしいので、心しなければならない。


 いわに会いに行く唯一の気がかりは、前妻との間にもうけた息子の大吉だった。しかしある日、大吉は俺に向かって言ったのだ。


「おいわさんのところに行くと父さんは元気になるから、行ってきてください」


 これの母親と死に別れた時、俺は酒に逃げて自暴自棄になっていた。それを見られていたのだ。


 大吉だって辛かったはずなのに。俺はそれを聞いて、自分を恥じたものである。


 そんな様々な思いがある中、その日も俺はいわの家に厄介になっていた。俺はいわの家族に混ざって、夕飯を馳走になる。


「すまないね、栄之進君。いわを押し付けてしまって」


 いわの父、重右衛門さんがそう言って杯を傾ける。


「いいえ、とんでもないです。僕の方こそ、こぶつきにもかかわらず良くしていただいて」


「聞こえましたよ、お父さん。押し付けるって、何ですか」


 いわがのしのしとやって来て、俺と重右衛門さんの間に割って入った。


「ははは、すまんすまん。そう気を悪くするな。ホレ」


 重右衛門さんは上機嫌に笑い、自分が飲むつもりだった酒をいわに手渡した。


 彼女はそれを一気に飲みほし、空の杯を突き返した。惚れ惚れする飲みっぷりだ。


「しかし、いわがこんなに早く嫁に行くとは正直思わなかったな」


 今度は、俺たちのやりとりを見ていた草太郎さんが口を挟んできた。草太郎さんは、いわの兄にあたる人だ。


「よしてくださいよ、兄さん。私もそんなに若くないですよ」


「いやいや、てっきりはなの方が先に結婚すると思ってたからなあ」


「馬鹿言わないで下さい。私の方が歳上なんですから、私が先に嫁に行くに決まっているではないですか」


「あれ? はなの方が姉ではなかったかな?」


 草太郎さんのふざけた物言いに、いわは自分の兄を思い切りにらみつけた。


「……兄さんのそういうところ、良くないと思いますよ」


 いわが言うと、重右衛門さんと草太郎さんは、二人して爆笑した。いわは呆れたようにため息をつくと、空いた皿を持って台所の方へ行ってしまった。

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