心の支え

 病院に着き、指定された診察室に行くと、妻が俺に泣きついてきた。


「どうしよう、トヨ~」


 妻が俺を結婚前の呼び方をするときは、本当に彼女が参っている時だ。先程の剣幕が嘘のように弱々しかった。


「沢沼美咲さんの、お父様ですね」


 院長先生が、俺を見ながら言った。


「はい。娘は、今病室ですか」


 先生は、厳しい顔をしてうつむいてしまった。


「美咲さんは、今こちらにはいません。救急車で総合病院まで搬送してもらいました」


「え?」


「ここでは処置が間に合わないほどの、大変な重症でした。とりあえず応急処置は施しましたが、大きいところでちゃんとした手術を受けてもらう必要があります」


 俺は頭がくらくらした。


「娘の命は、大丈夫なのでしょうか」


 先生の顔が、いっそう険しくなる。


「命にかかわることはないでしょう。ただ……」


 先生は言いにくそうにしている。妻はおそらく先に聞いたのだろう。ハンカチで両目を覆ってしまっていた。


「美咲さんは、下腹部を非常に強く打っていました。あくまで手術の結果を待たないことには、確かなことは言えませんが……」


「……」


「……下手をすると、もう子供が産めない体になってしまうかもしれません」



 ……美咲。

 お前は、どこまで……。



 俺たちは、娘が搬送された総合病院の場所を院長先生から聞くと、一礼して診察室を後にした。


 俺も妻も、無言だった。とてもではないが、何かを考えられるような状態ではなかった。


 失意のまま俺たちが駐車場に向かうと、知らない青年が車の前にいた。


「陽太君……」


 妻が、彼のものであろう名前を呼んだ。


「知った顔か?」


「美咲の新しい彼氏よ」


「なに?」


 知らないぞ、そんなの。


「おばさん、美咲さんの容体は……」


 妻は青年に尋ねられると、意見を請うかのようにこちらを見た。おそらくは、彼も一緒に連れて行きたいのだろう。


 俺は少し悩んだが、美咲の心の支えは、多ければ多い方が良い。


「知りたければ、一緒に来なさい。ただし、つらい話を聞かされるかもしれないぞ?」


 青年は、目に見えて俺の言葉にショックを受けていた。しかし、


「お願いします」


 真正面から俺を見据えて、彼はそう言った。


「そうか。では、乗りなさい」


 俺は車の鍵を開け、乗車するように促した。


 青年は礼儀正しく「失礼します」と言って、後部座席に乗り込む。


 俺は運転席に座り、エンジンをかけた。そして、一度ゆっくりと目を閉じる。


 瞼の裏に浮かんだのは、かつて美咲が連れてきた前の彼氏だった。


 三角関係の挙句、相手を殺してしまったその男と、今ここにいる青年を、頭の中で比べる。


「陽太君、と言ったね」


「はい」


「君は……いい男だ」


「……ありがとうございます」


 バックミラー越しに見る彼の顔は、緊張と不安でこわばっていた。が、この青年はこの状況から逃げ出すことなく、とどまっている。


「どうか、美咲を頼む。あれには、君のような男が必要だ」


 陽太君は、ミラー越しに俺と目を合わせると、力強く黙礼をした。俺はそれへ首を縦に振り返すと、車を発進させた。


 美咲、頑張れ。

 陽太君のためにも、どうかめげないでくれ。

 どうか、どうか……。

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