闇
痩せた少女は、鋭くこちらを睨んでいる。まるで、部外者の僕たちを警戒するかのように。
「あー、突然お邪魔してすみません」
そんな彼女に、先生は戸惑いながらも声をかけた。勇気のある人だ。
「貴方はもしかして、この村に言い伝えられている、おゆいさまではないですか」
先生が尋ねると、彼女は不機嫌そうに眉をしかめた。
「さまをつけられるほど大したものじゃないから……」
謙遜をするにしてはふてぶてしい顔だ。が、そのいらえは彼女がおゆいさまであることを認めるものだった。
「でも、みんな貴方をそう呼んでいますよ」
「……」
先生がもう一言加えると、彼女は黙ってしまった。しかし先生は、お構いなしに声をかけ続ける。
「貴方が、この道をいつも使っているのですか」
おゆいさまの眉間の皺が深くなった。
「……だったら、何?ここを歩いたらいけないの?」
「いえ。ただ、ちょっと気になっただけなもので」
「……」
表情を一切変えないまま、彼女は再び黙った。
正直に白状すると、僕はすでにこの時点で心がくじけていた。
言い伝えでしか知らなかったおゆいさまが、目の前にいるのだ。
一歩間違えれば、僕らはふたりしてあの世へ連れて行かれてしまうかもしれない。そんな恐怖が僕を支配していた。
「先生、戻りましょう。ここはやはり危険です」
引け腰を恥じる気持ちも捨てて、僕は先生に嘆願した。
が、先生は聞く耳を持たなかった。
「おゆいさま。実は我々は今日、そちらの黄泉小径の中の様子を探索いたしたく、こちらに参った者なのですが、入れてもらう事は可能でしょうか」
「先生!」
「落ち着きなさい、竹田君。これはまたとない好機です。今、この時を逃せば、もう二度とおゆいさまには会えないかもしれない」
「貴方は、おゆいさまと遭遇するという事が、何を意味するか分かっていないのです! 戻りましょう! これ以上は深入り出来ません!」
「では、君はここに残りなさい。私ひとりで黄泉小径の中を見てきます」
「ちょっと待って」
僕らの口論は、おゆいさまの一声で断たれた。
「あなたたち、勝手に話を進めないで。誰も中に入るのを許可していないわ」
彼女の言葉に僕は安堵した。だが、先生は食い下がる。
「そこを何とかお願いします。今度の私の論文に、是非黄泉小径の事を書きたいのです」
おゆいさまは、先生と僕を二度、交互に見た。そして、何故か僕のところで視線を動かすのをやめ、目を細めた。
真意をつかみ兼ねるその表情に、僕の鼓動は早まった。
「では、あなた」
彼女は、僕を指差してきた。
「……はい」
「あなたがこの人と一緒に来るというのなら、黄泉小径に入る事を認めます」
「ええ!?」
そんな馬鹿な!
僕は関係ない!
ただの案内役だ!
「竹田君! 頼む!」
先生が、僕に深々と頭を下げる。
「……そんな……」
やめてくれ、先生。
あなたに頭を下げられたら、断れない。
分かってくれ。
ここは危険なんだ。さっきも言ったじゃないか。
「竹田君!」
先生は、すがるように僕を見る。
……。
……。
「……分かりました。ご一緒します」
僕が言うと、おゆいさまは薄く笑った。
初めて見る彼女の笑顔は、ただただ薄気味が悪かった。
*
竹藪を通る道は、ただ狭く、暗かった。
「念のために言うけど、ここはただの細道だから」
「ほう、そうなんですか?」
おゆいさまの説明を聞く先生は、こちらがイラつくほどに上機嫌だ。
「ここは、現世と黄泉小径をつなぐための、中継ぎの場所。ここでみんな、黄泉へ向かうための準備をするの」
「なるほど!」
いつになく声を張る先生。彼女の言っている真意を、本当に理解しているのか、甚だ疑問だ。
「この竹藪の一番奥に、黄泉小径はあるわ。そこまで、来るでしょう?」
「もちろんですとも!」
先生は、おゆいさまにどんどんついていく。僕は、ただ先生の背中を追いかけるのみだ。
「先生、ほどほどにしてください」
「何を言いますか、竹田君!ここまで来て引き下がれるわけがないでしょう!」
先生は、こちらを全く振り返らないままそう答えた。まるで、気性まで変わってしまったように見える。
僕たちは竹藪をひたすらに進んだ。まだ昼時にもなっていないはずなのに、周りはありえないくらいに暗かった。
「どれくらい進んだら、黄泉小径にたどり着くんですか?」
「はっきりとした境はないわ。辺りが真っ暗闇になったら、黄泉小径に入ったと思ってちょうだい」
それを聞いて、僕はゾッとした。
それでは、知らないうちに僕らは黄泉小径に入り込んで、帰れなくなるかもしれないという事ではないか。
矢も楯もたまらず、僕は先生の肩をつかんだ。
「先生!やっぱり戻りましょう!」
事ここに至り、ようやく先生はこちらを振り返った。
「うあああ!!」
その顔は、腐っていた。蛆が大量にわいている。
「何をするんだ、竹田君。もうすぐ黄泉小径じゃないか。私と君は、貴重な伝承の目撃者になるのだよ」
先生はそう言うと、僕の肩をがっちりとつかんだ。
「嫌だ!よせ!やめろおおお!」
「聞き分けのない子だなあ」
先生は、僕をつかんだまま、強引に黄泉小径への道を進んでいった。
辺りは、もうほとんど漆黒の闇だった。
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