黄泉小径

 翌朝。


 朝食まで御馳走になった後、僕らは鈴木家を出発した。


「この辺りの畑は、全部与平さんのところのものなんですよ」


「ほう、これは大変ですね」


「収穫の季節になると、僕もたまに駆り出されます」


 黄泉小径は、山向村にとってひときわ特別な場所だ。誰一人として近づこうともしないので、かつてはこの辺りの畑は荒れに荒れていたという。


 それを、与平さんのお父さんが一斉に買い占めたと聞いている。なかなかたくましい性根の方だったようである。


「あ。見えてきましたね」


 しばらく行くと、薄気味の悪い竹藪が見えてきた。午前中の、幽霊とは無縁な時間帯のはずなのだが、それでも僕の心には恐怖心が禁じ得なかった。


 昨日廻った場所とは桁違いに危険な噂が飛び交う場所。誰もしかとは言わないが、ここに迷い込んで行方不明になった者も、何名かいるのではないかと僕は思っている。


 竹藪の前に着いた。僕はおずおずと先生の顔を覗き見た。この人の事だ。下手すると中に入ろうとも言い出しかねない。正直それは、勘弁してほしいのだが。


「藪に、小さな道がありますね」


「けもの道みたいですね」


「いいえ。けもの道にしては少しばかり広すぎます。この辺り、熊は出ますか」


「熊ですか。さて、もう少し山奥に行けば分かりませんが、ここらではさすがにいないと思います」


「そうですか。では、頻繁にここを通る『人間』がいるということになりますね」


 先生は、断言した。


「……まさか」


 この竹藪に入る?


 近づくことさえ、皆して恐れている場所なのに?


 先生の言葉は、僕には同意しかねるものだった。


 先生は、竹藪の入り口まで歩み寄ると、屈みこんで地面を触りだした。


 真剣な表情だ。


「竹田君。これは、一旦戻った方が良いかもしれない」


 少しの間、その場を動かなかった先生だが、不意に立ち上がるとそう切り出した。


「え?」


「やはり人間だ。間違いない。誰かが、日常的にここを使っている」


「まさか」


「いや、この踏み固められた地面の感じは、人間の仕業だ。一体だれが、何の目的でここに出入りしているのか、是非とも確かめたい」


 先生の顔に、冗談を言っている素振りは微塵もなかった。


「そんな、馬鹿な……」


 僕は言葉を失い、口を半開きにしたまま、その場に立ち尽くした。


(誰が一体、こんなところに……鈴木家の誰かに訊けば、分かる話なんだろうか?)


 あるいは、政子の兄の正一に尋ねてみようか。あいつは霊感が人一倍強い。真実を知らなくても、何か感じ取ってくれるかもしれない……。


 考えにふける僕を見つめながら、先生も思案をあれこれを巡らせている様子だった。そして、腕を組みながらこちらにゆっくり近づき、


 ……急に、何かに気が付いたかのように後ろを振り返った。


「先生?」


「今、何か音がしなかったかい、竹田君」


「え?」


 僕は何も気づかなかったが。


「誰かが、枯れた枝を踏み折るような音だったのだが……」


「さあ」


 僕がそう言って首を横にかしげた、その次の瞬間。


 藪から、ひとりの少女が現れた。


「……竹田君!」


「はい!」


 どうにか声を荒げることは抑えられたが、二人の間には緊張が走った。


 着古された汚い着物に、痩せこけた肢体……その姿はまぎれもない、おゆいさまの風貌そのものだったのだ。

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