第39話 上陸

《side トール》


 とうとう、僕たちは魔王と決戦するために、魔族領へ踏み込んだ。


 魔族領の港街、ハマーべに到着するまで船旅の間、船上では幾度か魔物に襲われることもあったけれど、何とか無事にたどり着いたことに安堵の気持ちがこみ上げてくる。


「やっと着いたわね、トール」


 アネットが僕に笑いかけながら、船の甲板から下りる。彼女の戦士としての力強い歩みを見ていると、ここまでの旅がどれだけ大変だったかが思い返される。

 

 最近は女性らしい姿を見えるようになったので、つい彼女の大きな胸に視線を向けてしまう。


「うん、みんな無事で良かったよ」


 僕はアネットの言葉に頷きながら、続いて下りてくる仲間たちを見やった。


 セリーヌ王女は僕たちの船旅に加わり、今ではすっかり打ち解けている。


 彼女とは、まだ夜の仲は深められていないが、いつかは仲間になりたい。


 昼間は、僕たちにとって大切な仲間となった。気品あふれる彼女の姿勢は、どんな状況でも崩れることはない。


「ハマーべは魔族と人族が共存している街なのね」


 セリーヌが周囲を見渡しながら、興味深げに言った。


「そうだね、魔族領だからもっと荒れた場所だと思ってたけど、意外と栄えてるみたいだ」


 僕は同意しながら、街の活気に目を奪われた。市場には様々な商品が並び、魔族や人族が行き交っている。ここまでの道中で目にした荒廃した風景とはまるで違う。


「トール、あの屋台を見て! なんだか美味しそうなものが売ってるわ!」


 マジュが目を輝かせながら、屋台の方を指差す。彼女は知識豊富な魔導士だけど、食べ物に関しては好奇心旺盛だ。僕たちは彼女に誘われるまま、賑やかな市場へと足を運んだ。


 ザイールがいた時には難しい顔をよくしていたけど、最近は明るくなったと思う。


「おいしそうだな…ちょっと試してみるか」


 僕は屋台で売られていた焼き立ての肉串を手に取り、口に運んだ。ジュワッと広がる肉汁が口いっぱいに広がり、思わず笑みがこぼれる。


 ジュナは聖女として普段はお淑やかだけで、最近は妖艶に見える時があった。


「これ、美味しい!」


 ジュナが同じく肉串を手に取り、嬉しそうに笑う。彼女の天使のような笑顔を見ると、僕も自然と心が和む。


「セリーヌ王女もどうぞ」


 僕は王女にも肉串を勧めた。彼女は最初少し躊躇していたが、一口かじるとその美味しさに驚いた様子で目を見開いた。


「これ、本当に美味しいわ。魔族領の料理も悪くないわね」


 セリーヌが微笑みながら言った。その様子を見て、僕たちは再び笑い合った。


「あんたら人間族だね」


 そう言って屋台を営んでいるゴブリンの商人に話しかけられた。


「そうだよ」

「なら、勇者ザイールは知っているか?」

「えっ? うん、もちろん」

「彼にはこの街を救ってもらって感謝しているんだ。これはオマケだよ。あんたら人間族はいい奴らだ」


 そう言ってもう一本ずつ、僕らは串肉をもらった。


 ザイールの話をこんなところで聞くとは思っていなかったので、全員が驚いた顔をするが、王女だけは笑っていた。


 そのまま僕たちが食事を楽しんでいる間、街の中は周囲には笑顔が溢れていた。魔族と人族が共存している光景は、まさに理想的な未来の一端を垣間見せてくれるかのようだ。


「トール、この街の人たちは魔族でも穏やかで親しみやすいわね」


 アネットが目を輝かせながら言った。


「うん、こんな場所がもっと増えればいいな」


 僕は静かにそう答えた。


 だけど、心の中には一抹の不安があった。この穏やかな街も、いつまで続くかは分からない。僕たちは魔王討伐の使命を帯びている以上、この街もまた巻き込まれるかもしれないという危機感があった。


「ところで、魔王城はどうなっているのかしら?」


 セリーヌが街の商人に尋ねると、商人は一瞬顔を曇らせた。


「最近、魔王城が氷で閉ざされているんです。以前とは違う何かが起きているとしか…」

「氷で閉ざされている…?」


 僕たちはその言葉に驚きを隠せなかった。


「ええ、魔王様が変わったんです。どうやら新しい魔王が現れたとか…氷の力を操るとか聞きました」


 商人の言葉に、僕たちは互いに顔を見合わせた。新しい魔王の登場は、僕たちの予想をはるかに超えている。


「トール、これは急いだ方が良さそうね」


 アネットが険しい表情で言った。


「うん、でもまずはこの街をしっかりと見ておこう。この平和な街がどうなるかは分からないけど、今を楽しんでおくことも大事だと思う」


 僕は仲間たちにそう言って、再び街を歩き始めた。


 魔王城が氷で閉ざされているという不安が心の奥底にあるものの、今この瞬間を大切にするために、仲間たちと共に魔族領の街を楽しむことにした。


 セリーヌが王族らしい気品を持ちながらも、時折見せる無邪気な笑顔が僕たちの心を癒してくれる。


「トール、ありがとう。この旅を通して、あなたたちと一緒にいられて、本当に良かったわ」


 セリーヌがそう言ってくれた時、僕は彼女の言葉に心から感謝の気持ちが湧き上がった。


「こちらこそ、セリーヌ。君がいてくれるおかげで、この旅がより素晴らしいものになったよ」


 僕は微笑みながら、彼女の手を軽く握った。仲間たちと共に過ごすこの時間が、僕たちの心に深く刻まれていく。


 魔王城がどんな状況になっているかは分からないけど、今はこの穏やかなひと時を楽しむことに集中しよう。そう心に決めた僕は、仲間たちと共に魔族領の街ハマーべを歩き続けた。

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