3月24日 新聞販売店という魔境

 今日から春休みだ。その初日は、もーすぐ終わろうとしている。そしてアタシの仕事が、始まろうとしている。


 結局アタシは、新聞配達のバイトを引き受けることにした。というか、無理やりやらされることになった。倉科さんがうちに泣きながら電話したみたいで、ママは怒ってこう言ったんだ。


 「卒業したらすぐ働くことになるんだから、今のうちに少しでも社会経験を積んでおきなさい!」


 ごもっともな言い分だ。なんも分からずに社会に放り出されるよりは、いくらかバイトの経験はあったほうがいいに決まってる。ま、お金も稼げるわけだし、やるだけやってみるかー。


 ……といっても、貯金はもう百万円ぐらいあるんだよね。高校生でこの金額は、破格っしょ。もちろんアタシにバイト歴はない。これは今までのお小遣いやお年玉、その他もろもろが積もりに積もった結果だ。


 物欲がないわけじゃない。ただ、取り立てて欲しいものもないというか。流行りものはすぐに飽きるのが目に見えてるし、だからって誰も知らないようなものに手を出すほど酔狂じゃないし。要は無趣味なんだよね。


 食べ物も、洋服も、化粧品も、漫画も、ゲームも、音楽も、なーんも興味ない。つまらなくはないんだけど、しっくり来ないんだ。心に留まらない。だから夢中になれるものを持っている人が、ちょっぴり羨ましいなーと思ったり、思わなかったり。


 まあ一応、オシャレは自分なりにこだわりがあったりするけどさ。腐っても高校生だし。でも、オシャレ自体が楽しいとは思わないかな。美容室の予約をするだけでも、けっこうエネルギーがいるんだこれが。


 時計が十二時を回った。はー、バイトだバイトだ。昼寝はたっぷりしたから、仕事中に眠くなることはないと思う。でもこれ、学校が始まったら生活リズム狂いまくるよね、どう考えても。話では、金曜と土曜の夜、あとどこか一日ってことだから、配慮はしてくれてるみたいだけど。


 外に出る。うーさむさむ。この寒い中、新聞配達するのかー。チャリを出して、ギコギコ、ギコギコ。

 よく分かんないけど、確か新聞って毎日届くものだよね。てことは倉科さんたちは、雨の日も風の日も、こうして荷物を運んでるわけだ。はー、よくやるよまったく。

 てか、それってぜんぜん楽ちんじゃなくね? だって……毎日運んでたら、休みなんかないじゃん。あれ、うそ、マジ? もしかして新聞配達って、ヤベー仕事? 

 ……やっぱ違法なんだな、うん。まあいいや。どーせ週三勤務のアタシには関係ないし。



 新聞販売店に着くと、見たことないオッサンが縁石に座っていた。うまそうにタバコ吸ってる。アタシも吸ったことあるけど、あんま好みじゃなかったな。残ったぶんをパパにあげたら、泣かれちゃったのはナイショ。


 ……そしてなんか、めっちゃ見られてる。まあ、こんな時間にアタシみたいなのがうろついてたら、そりゃ気になるよね。でも敷地内にチャリ停めてる時点で、新しいバイトなんだって察してほしい。


 「おぅ、姉ちゃん!」

 「へーい」


 なんとなく軽いノリで手を挙げてみた。そして声ガラッガラ。酒焼けしすぎだろ。


 「吸うかい!?」

 「アイム未成年、ドント喫煙」

 「うるせぇ、吸え!」


 スゥ……って息吸った。なかなかないよ、アタシがこういう反応するの。


 「おっちゃん、アタシ女の子だからさ。美容によくないものは控えてるの」

 「お……そ、そうか……」


 いや弱ぇな。そこは強引に押してこいよ。やっぱ女の子が女の子ってワードを発すると、魔法かかるんだな。


 「じゃあ……酒は飲むか!?」

 「これから仕事なんで」

 「オレもだよ、一杯飲んで景気つけようぜ!」


 この人、明らかに配達員だよね? これ止めないと、アタシまでなんか言われるんじゃね?

 と思ったら、裏手から倉科さんが出てきた。そして血相を変えて、オッサンに飛びついた。


 「熊本さん、お願いですから飲酒は控えてください! 次は見逃さないって、署の方にも言われてるんですよォ!」

 「じゃあ乗らねぇよ、それでいいだろ!?」

 「それだと配達が捌ききれないんですゥ!」

 「知るか、新聞なんざどれもこれもくだらねぇ。この建物ごと燃やしちめぇ!」

 「誰か、誰かァァァ!」


 オッサンとオッサンがもみ合いになって、地獄絵図になっている。ま、アタシはなにも見なかったことにしよう。寒いから中にいようかな。表はうるさいから、裏から回っていこう。引き戸をガラガラ。


 「あ…ども」

 

 中に誰かいた。また男だ。でも今度は若いな。アタシよりは年上だけど、二十代そこそこに見える。


 「ども~」


 会釈して、近くのテーブルの上に腰かける。他人の前で、ちょっと行儀悪いかな。ま、いっか。


 ……というか、さっきからずっとここにいたなら、外の騒ぎにも気づいてるはずなのに、なんで様子を見に行かない? トンズラこいたアタシが言えた口じゃないけど、こういう荒事は女の子じゃなくて、男の仕事でしょ。


 「……」

 「……」


 沈黙。時計の針が動く音だけが、かすかに響いている。そしてまだもみ合ってるんだ、あの二人は。そろそろ近所迷惑なんじゃないかな。


 「……」

 「……」


 すっごく気まずい。なんだこの空間。アタシはスマホいじってるけど、あっちはなんもしてないの。ただただそこにいる。そりゃ、後から入ってきたのはアタシだけど……落ち着かないなぁ。ちょっと話しかけてみようか。


 「アタシ、新しく入ったバイトの入間リオナです。よろしくです」

 「あ、ども……」

 「お兄さん、なんていうんですか?」

 「ふ……わ」

 「え?」

 「……じ……」

 「なんて?」

 「ふじ……」

 「富士山?」

 「……わ」


 声が小せぇよ! なんだその蚊の鳴くような声は! お前は赤ちゃんの頃も「オ……ァ……ギギ……」って泣いてたのか!?

 さすがにアタシもこれは困っちゃうなぁ。耳はいいほうだと自負してるんだけど、日本語聞き取りレベルぶち抜いてるわこれは。


 「ふじ!?」

 「……さわ」

 

 あー、藤沢ね。はいはい。名前を訊くだけでこんなに疲れたのは初めてだよ。もう喋らないぞ、アタシは。


 「……ん?」


 また誰か来たみたいだ。二度あることは三度ある。アタシはでっかいため息をついた……。


 「おはようございます~」

 

 現れたのは、この前の女の子……くるみちゃんだった。そして後から倉科さんと、アル中のオッサンがとぼとぼと入ってくる。もしかしてこの子が、荒ぶる二人を仲裁したのか? すごいな、おい。


 「どーも」

 「あ、リオナさん! やっぱりここで働いてくださるんですね!」

 「まあね」


 目をキラキラさせて駆け寄ってきて、なんなら手まで握りしめられる。この子、前はアタシのことすげー怖がってなかったっけ。ま、顔を合わせるたびにビクビクされるよりはいいけど。


 「うわぁ~、まさかこんなところで同年代の人と一緒に働けるなんて、嬉しいです!」

 「そ、そう……」


 なんかくるみちゃんの圧がすごい。こういうの、ちょっと苦手なんだよな。別に嫌な気持ちはしないけど……なんだろう、恥ずかしい? うーん、分からん。


 「分からないことがあったら、なんでも訊いてくださいね! あとは、そっちの世界のことも色々聞かせてください!」

 「……そっちの世界?」

 「はい! リオナさん、ヤンキーさんなんですよね?」

 「いや違うわ!」


 やっぱ勘違いされたままだった。てか、ヤンキー呼ばわりされるとなんかゾワゾワするな。どっちかというと不良のほうがいい。素行が悪いのは事実だしね。


 でも、他人に迷惑をかけることはしてないからなー。いやもちろん親にはかけまくってるけど、赤の他人に対してはアタシはなんも害はないと思う。だから不良っていうのも、正確には違うんじゃないかな。


 アタシは空っぽだから、何でもない。平凡な高校生だ。

 ……いや、それも違うか。だってここにいること自体が、もう平凡じゃないもんね。

 そして遠くから響いてくる、地鳴りとエンジン音。なんだこれ。


 「あっ、新聞が来ましたよ、リオナさん!」


 アタシはくるみちゃんに手を引かれ、寒空の下に舞い戻っていった。

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