第13話
さて、物語はこれで終わりへと向かう。初めがあるように終わりがある。小林秀雄はやはりこう語る。ドストエフスキーとは終わりから歩いてやってきた男だと。ドストエフスキーは処刑間近に皇帝の正しくドラマチックな演出により死から間逃れた小男であった。小林がドストエフスキーに何を読んだかは知らないが、彼のドストエフスキー批評は、かれにしては珍しくしっかりとベースに研究がある作品で、個々の作品の批評も、ほとんど唯一のまとまった、かつまともな作品評としてある。
しかし、どうしたことか。この動き回る遊牧民に惚れた哀れな日本の徒花は、風に抱擁されるのみであった。YMOがRipe Ageと歌った80年代、80年代に最後は正宗白鳥の古ぼけて読むに耐えない駄文を書いて彼は死んだ。最後は風に憧れることすら諦めたのだ。
七里ヶ浜は思ったよりも汚い海だった、小便と垢に溺れた、日本の恥だった。桜ではなく海に死体が上がる方が日本らしいのだ。それこそまさに神風だ!神風とは何か!殺人鬼だ!素晴らしいでは無いか。
この哀れな血塗られたホラーショーを目の前に、我らが主人公ウィンストン・チャーチルはこう語る。
(ほんの少し凡人よりも頭が良けりゃあ結構な話だ。ほんの少しリストカットして、流れた血をこれは大海だと説明さえすれば、納得して凡人はそれを大海だと信ずるだろう。こうして権威を得た者がどれだけいるか!)
ウィンストンは既に酔いはさめていた。酔うやつは馬鹿だとも思った。例えばこんな海を見て死にたいと思うやつ。
ウィンストンはここでようやく思い出した。そうだ、ランボーのやつの花嫁を探してやらないと行けない。どこにいるのだかは知っているのだから行けばいい話だ。彼は既に走り出していた。
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