Ⅲ 謎の海賊船

「船だぁぁぁ〜っ! 右舷後方より正体不明の船影接近ぃぃぃ〜ん!」


 突如、メインマストの檣楼に立って見張り番をしてた団員の大声が、そのしんみりとした船上の静寂を場違いにもつんざく。


「右舷後方より船接近ぃぃぃ〜ん! ものすごい速度で近づいて来るぞぉぉぉ〜っ!」


「なに?」


 その危機迫る見張りの声に団員達は一斉にそちらを振り向き、ステージの奥で歌に耳を傾けていた団長ハーソンも急いで船尾後方の縁に取りつく……すると、確かに一艘の黒い船影が波を切り裂いて近づいて来ていた。


 どうやらよくあるタイプのガレオン船らしいのだが、その姿はじつに異様だ。砲撃戦でもやってきたのか? 船体はあちこち穴が空くと棘のように木材が飛び出し、黒く塗られた帆はビリビリに破けてたなびいている。


「あの異様……海賊船ですかな?」


「なんだか禍々しい空気を感じます」


 同じく縁に駆け寄ったアウグストはその正体を海賊だと断じ、勘の鋭い魔術担当のメデイアも何かを感じとっている。


「いずれにしろリサイタルは諸事情により休止のようだ……全員、緊急事態だ! 至急、迎撃体制をとれっ! 右舷、全カノン砲発射準備ーっ! ティヴィアスはアンケイロスとともに船の制御だ!」


 突然の事態にハーソンは即座に判断を下すと、矢継ぎ早に指示を飛ばす。


「オルペ、すまんな。そんなわけなんでおまえも迎撃に向かってくれ」


「ハァ…せっかくノってきたとこだったのに……ま、チケット払い戻しも面倒ですし、チャっチャと邪魔者を追っ払って演奏再開といきましょう!」


 ハーソンが申し訳なさそうにオルペにも言うと、彼は冗談めかした口調ながらも不機嫌そうに言葉を返し、船尾楼の階段を下の甲板へと駆け降りてゆく。


「アウグスト、砲撃の指揮を執れ! メデイアは念のため、魔術的処置を頼む!」


「ハッ!」


「かしこまりました!」


 そして、二人の側近にもそう告げると、ハーソン自らも甲板の右舷側へと向かった……。


 そこは精鋭部隊の羊角騎士団。この航海中も常日頃から訓練に余念がなく、一度ひとたび号令がかかればその動きは早い。


「右舷第一、第二砲列甲板、砲撃準備整いました!」


 わずかの後、上甲板の床の下、二層構造になっているアルゴナウタイ号の砲列甲板・右舷側に並ぶ無数のカノン砲はすべて発射準備を終える。


「ガハハハ…! 酔い覚ましにはちょうど良い運動だな!」


「フン。おもしろくなってきたじゃねえか。せっかくこんな特注のフリゲート艦に乗ってるんだ。やっぱこうこなくっちゃな」


 また、そううそぶいて腕をぶん回すティヴィアスやパウロスのように、ハーソンが新たに集めた団員達はいずれも武勇の者達ばかりだ。


「…霊よ、現れよ! 月と魔術と冥府を司りし偉大なる女神ヘカテーの徳と、知恵と、慈愛によって。我は汝らに命ずる! ソロモン王が72柱の悪魔序列15番・騎士公爵エリゴス!」


 一方、魔術担当官のメデイアは、先程までいた特設ステージの下、船尾楼内に設けられた魔術儀式用の一室で、魔導書『ゲーティア』を用いた悪魔召喚魔術を行っていた。


 その足下にはとぐろを巻く蛇の同心円と五芒星ペンタグラム六芒星ヘキサグラム、深緑の円を内包する三角形を組み合わせた〝ソロモン王の魔法円〟の描かれた絨毯が敷かれ、黒い修道女服の左胸に金の五芒星ペンタグラム、右裾には仔牛革製の六芒星ヘキサグラム円盤を着けると、手にした弓形の魔法杖ワンドを前方の闇に掲げている。


 エルドラニアを含む旧大陸のプロフェシア教国では、基本、悪魔の力を用いる魔導書の所持と使用が固く禁じられているが、彼女のように王権や教会から許可を受けている者だけは特別にその魔術行使が認められているのだ。


 当然のことながら、このアルゴナウタイ号にも、すでにメデイアの手により悪魔の力を付与した重層的な魔術的防衛が施されている。しかし、さらにハーソンに命じられた彼女は思うところがあって、『ゲーティア』に記されたソロモン王の悪魔の一柱を呼び出そうとしているのである。


「──まったく停止する気も交渉の気配もないようだな……よーし! 遠慮は要らん! 全門、放てぇぇぇーっ!」


 さて、その間にも迫り来る謎の船影に、上甲板で指揮を執る副団長アウグストの号令一下、一斉に二層の砲列甲板からカノン砲が放たれる。


 船体を激しく揺らし、雷鳴が如き轟音と瞬時に噴き上がる爆炎を伴い、同時に無数の砲弾が黒いガレオン船へと飛翔してゆく……。


「やったか? さすがにこれだけの弾を食らえば、いくら魔術的防衛をしていても無事ではすむまい……な、なに!?」


 放たれた鉛弾はほぼ全弾命中し、余裕の態度で勝利を確信するアウグストであったが、よく見れば相手はまったくの無傷である。いや、無傷というよりは弾がすべて船体をすり抜けたように見える。


「ならばこいつで帆を使えなくしてやる……フラガラッハっ!」


 それを見て、今度はハーソンが腰にく魔法剣〝フラガラッハ〟に凛とした声で命じ、命じられた魔法剣はひとりでに鞘走ると、くるくると高速回転しながら海上をガレオンの方へと飛んでゆく。


 〝フラガラッハ〟はハーソンが古代異教の遺跡で手に入れた、今では造り出すことのできぬ失われた魔術による魔法剣であり、「ひとりでに宙を舞い、敵を斬り裂く」という力を秘めている……それを用い、彼はマストの索具(※ロープ)を切ってガレオンを航行不能にするつもりなのだ。


「……なに!?」


 だが、その魔法剣にしても、高速回転したままマストに激突したかと思いきや、まるで煙を斬っているかのようにスカっと空振りして向こう側へすり抜けてしまう。


「戻れフラガラッハ! ……いったいどうなってる?」


 黒い船影を突き抜け、またくるくる回転しながら飛んで戻ってきた魔法剣の柄をナイスキャッチすると、訝しげな表情でハーソンは呟く。


「さ、さあ? やはり悪魔の力による防衛でしょうか? ですが、このようなもの、これまでに見たことがありませんぞ?」


 そのとなりでアウグストも目を見開くと、困惑の表情をその顔に浮かべた……。


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