第11話
早速僕は、青村さんと共に、その割引券が適用される店へと向かった。
それは、我が威武火市が誇る、老舗菓子メーカー、『堂々咲製菓』が経営するケーキ専門店で、名前を『AMANE』と言った。
大学の裏を流れる川の対岸にあり、多分、五百メートルと歩かなかったと思う。
ビスケットの屋根に、チョコレートの扉。街灯はキャンディーのように丸く、お菓子の家を髣髴とさせるポップでファンタスティックな外観。とはいえ、流石に窓ガラスやアスファルト舗装の駐車場まではお菓子風にできなかった詰めの甘さ。
駐車場を横切り、入り口まで歩いていくと、傍にドレスを着た女の子の人形があった。話によると、現社長の娘さんがモデルになっているらしい。
まあ、そんなことはどうでもよくて、僕は扉を開けて中に入った。
「いらっしゃいませ」
甘い香りと共に迎えてくれたのは、ケーキ屋には少し似つかわしくないメイド服を着た女性だった。僕は彼女に「店内で」と告げると、川の見える窓際の席に座った。
遅れて、さっきの店員の女性がやって来て、おしぼりと水を置いた。
「ご注文は?」
「僕はチョコレートケーキで…」
目線を青村さんに向ける。
「あ、私はショートケーキ。あと、この割引券使えますか?」
「使えますよ。お会計の時に出してくださいね」
そう言ってほほ笑んだ店員さんは、一礼して店の奥へと引っ込んでいった。
数秒の沈黙。
「そんなに、良い人なんですか? 東雲さんは」
青村さんは椅子の背にもたれると、肩の力を抜きながら言った。
「なんか、水無瀬さんって、いつも東雲さんと一緒にいるイメージがあるのですか」
「ああ…」
まーたその話題か。と僕は辟易する。
「まあ、確かに、そうだね。基本的に東雲先輩と一緒にいるね」
実際、昨日も一緒にいたし、今日も一緒にいる約束をしていた。
僕の言葉に、青村さんは頬を膨らませた。
「なんなんですか? お二人は付き合っているんですか?」
「あははは~、ないない」
真面目で清廉潔白で、顔も良いし、お洒落だし、頭もいい。大学に入学した頃からずっと僕の友達でいてくれる青村さん。そんな、純潔も守っていたそうな彼女から、「付き合っているんですか?」などと世俗的な疑問が出てくるとは思わず、僕は肩を竦めて笑った。
「あの人とは、まあ悪友みたいな感じだよ」
「悪友…」
青村さんは何か思うような顔をした。
「それで、十二万も貸しているわけですか?」
それを言うのは卑怯っていうもんだ。
僕が目を逸らしたタイミングで、店員さんが、コーヒーとケーキを持ってやってきた。
洗練された動きで、僕の前にチョコレートケーキとアイスコーヒー。青村さんの前にショートケーキとアイスコーヒ―が置かれる。
「ごゆっくり」
店員さんがレジカウンターの方に戻っていくのを横目に、青村さんはため息交じりに言った。
「もうやめたらどうですか? 付き合う相手は考えないと」
「い、いやあ…」
ごもっともな意見に、僕は歯切れ悪く笑った。
話を逸らすようにコーヒーをストローで啜り、それから、何とか言葉を絞り出す。
「君が思ってるほど、東雲先輩は悪い人じゃないよ」
「そうなんですか?」
「そりゃあ、確かに、二年留年して、自分の好きなものにしか興味を示さない。人に興味を示さない。お金の亡者のわりに、ギャンブルで簡単に溶かし、挙句人に集って、人を顎で使って、僕を便利屋としか思っていない。夢は小説家だけど鳴かず飛ばずで、心労が限界に達したのか、書籍化小説を読んでは批判し、読んでは罵るようなクズ人間だけど、良いところはあるんだ」
「あの…、クズの要素しかないのですが…」
「大丈夫、ちゃんと良いところはある」
躓きそうになりつつ、しっかりと言い切った。
だが、青村さんは怪訝な顔をして、ショートケーキのイチゴを摘まんだ。
「たとえば?」
「ええ、例えば…、ね。うん、例えば」
僕はコーヒーを一口飲み、こくりこくりと頷いた。
「ええと、あれだ。良いところって言ったら、あれだ。その、あれ。わかるだろう? あれだよあれ。その、あれとか、あれとか…」
「どれなんですか?」
ダメだ。普段からあの人のだらしないところしか見ていないせいで、青村さんの求める「良いところ」が思い浮かばない。
東雲先輩の良いところ? なんだかんだ、ゴミはポイ捨てしないところか? それとも、ラーメンはスープも飲み切るところか? 小説ばっかり書いてるから、文具系の話題には強いところか? はたまた、友達がいないから、人込みに出ると吐きそうな顔をするところ…。
顔。
「ああそうだ! 顔が良い!」
やっとこさ、僕は絞り出した。
「いや、顔は良くない!」
いや、確かに顔は良い。ちゃんと手入れすれば、大学のミスコンで優勝できるくらいには綺麗な顔をしている…のだが、それを言うと、僕の株が下がる気がした。
「いや! やっぱ顔は良い!」
だが、「顔は良くない」と断言するのもまた僕の株を下げるのだった。
青村さんは、目を細め、口をゆがめた。
「水無瀬さんって、女性を顔で見ているんですか?」
「そういうわけじゃないけど…、あの人の良いところって言ったら、顔しかないっていうか…」
言った後で、慌てて首を横に振る。
「もちろん、そんなことは無いよ? 他にも良いところはあるはずなんだよ」
「なんなんですか? はずって…」
青村さんは呆れたようにため息をついた。
「とにかく、忠告はしておきますよ。水無瀬さんあなた、これ以上あの人に関わったら、きっと痛い目見ますからね」
「うーん…」
あの人に二十万近く金を貸しているのも然り、会ったら必ずパシリに使われるのも然り、もう十分見ているんだよな。この前なんて、一緒に居酒屋で飲んだ後に、酔った勢いで柄の悪い人に突っかかって行って、結局カツアゲに遭ったのは僕の方なんだ。当の本人は泥酔して路上で服を脱ぎだす始末だし…。
「でも、あの人にはなんだかんだ良いところがあるし…」
それは、言葉で説明できないものだった。
「それに、僕にはあの人くらいしか、友達がいないっていうか…」
言った後で、はっとする。
恐る恐る見ると、青村さんは口をフグのように膨らませていた。
「水無瀬さん…」
「ああ! いや! 青村さんも立派な友達だよ! 大切な人だよ!」
話を逸らすように、僕は運ばれてきたチョコレートケーキにフォークを立てると、一口大に切って、食べた。たちまち、緊張で粘ついた口内に、天使の吐息のような甘さが広がり、鼻先から脳天に掛けて、幸せが駆け巡った。
「うん、うん、美味しいなあ! 青村さん、今日はありがとう!」
ダメダメ人間の東雲先輩と、良い人の青村さん。この二人の大きな違いは、多分、気が疲れないかどうかなんだろうな…と、笑いながら思うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます