第7話

『いらっしゃい』

 入った時点で、そこに黒いローブを纏った女が座っているのはわかっていた。それなのに、思わず驚いた声が出る。

 後ずさった僕を見て、華奢な女は、ふふっと笑った。

『驚かせてごめんね。魔法屋をやってる身、気配を消すのが癖になってて…』

「あ…、え…」

 僕が震えた声を洩らすのを見て、店主の女は「おや…」と、なぞるような口調で首を傾げた。

『君はこの店が何の店かわからないまま、立ち入ったのかな?』

 鈴を鳴らすような、幼稚園児に話しかけるような、甘ったるい声。

 僕は逃げ出したい気持ちになりながら頷いた。

「はい。気がついたら、ここに辿り着いていて…、気になって…」

『ああ、なるほど』

 女はそう洩らし、下唇を湿らせた。

『ごめんね。多分、私の魔法のせいだ』

 そう言うと、すっ…と背筋を伸ばし、机についていた腕を動かした。その拍子に、静かに漂っていた空気が揺れ、心なしか香りが変わる。埃が、窓から差し込む光を反射して、キラキラと輝いた。

 まるで「私は怪しいものじゃないよ」とでも言うように、女は、黒いネイルが輝く指でフードを取り払い、銀色の髪の隙間から、吸い込まれるような金色の瞳で僕に微笑みかけた。

『軒先にね、魔法をかけていたの。願いを持つ者を呼び寄せる魔法』

 は?

「願いを持つものを、呼び寄せる、魔法?」

『うん、集客には便利な魔法だね』

 心なしか自虐気味に笑った店主は、俯きつつ、目元に掛かる銀色の髪を爪で梳く。

『願いを叶えたいと思っている人のみが…、この店に引き寄せられるの…』

 その言葉に、心臓にちくっとした感覚が宿るのが分かった。

 確かに、この女の言う通り、僕は「願い」を持っている。確かに、心当たりがある。

『恋心ってのは、純粋なものなんだよ』

 女はふふっと笑うと、そう言った。

「……はあ」

 脳裏に、ギャンブルで大損して、部屋の隅でしょんぼりとしている先輩の姿が浮かんだ。

 僕の顔を見て、女は何を思ったのか、また笑い、そのしなやかな指で店全体を指した。

『どうかな? これも何かの縁だよ。何か買っていかない?』

「あ、はあ…」

 なるほど、こうやって客を集めて商品を買わせているのか。よくよく考えたら、願いなんて、人間なら大体が持っているものじゃないか。

バーナム効果って奴だっけ?

 商いの匂いをぷんぷんと感じた僕は、今すぐにでもこの店から出たい気持ちに駆られた。

 とは言え、商品棚に並んだ商品は、どれも煌びやかだった。見るくらいなら、損は無いと思った。

「じゃあ、ちょっと、何か、見てみようかな」

 確かめるように言うと、店主はにこっと、美しく微笑んだ。

『好きなだけ見ていってね』

「は、はい」

 金色の視線を浴びながら、僕は商品棚を見渡す。

 香水のような小瓶や、ラムネ粒が入った瓶、何やら魔法陣のようなものが描かれた紙に、動物の形を模した人形、本物かどうかわからない髪の毛の束に、凝った意匠の指輪。

 時々変なものが混ざっているものの、パッと見た時の印象は、ショッピングモールの一角にあるお洒落な雑貨屋のような商品だ。

 なんとなく、ペアルックのペンダントに触れる。

 指にはめるにはやや太いリング。そこに、重厚感のある銀色のチェーンが通されている。不思議なことに、その表面はラメが施されたかのように七色に煌めいていた。

 値段は…いくらだ?

「あの、このペンダント、いくらですか?」

 そう言って振り返ると、店主は笑みを浮かべたまま、指を五本立てた。

「あ、五千円、くらいかな?」

『ううん、五十万円』

「え…」

 ぎくり…と心臓が跳ねる感覚。

まさか、ぼったくり? いやでも、このチェーン、なんか重いというか、手に吸い付いてくる感覚があるし、もしかしたら、本物の銀を使っているのかも…。

「あははは、ですよね」

 まるで、わかってました。とでも言うみたいに、ペンダントを商品棚に戻す。

 すると、店主が言った。

『そのペンダントには、恋の魔法がかけられているんだよ』

「え…」

 思わず振り返る。

 店主は僕の方を見ながら続けた。

『使い方は簡単で、意中の人に、そのペンダントを送るだけでいい。装着しなくとも、その人は君に惹かれるようになる。そして、装着すれば、完全に結ばれることとなる』

「へ、へえ」

 脳裏に、東雲先輩の横顔が浮かんだ。

 再び、商品棚のペンダントに目を向けた時、リングに埋め込まれた宝石が、熱した鉄のように光るのがわかった。

 つまり、このペンダントを彼女にプレゼントさえすれば、いつも僕に金を集り、顎で使い、従順な犬のようにしか思っていない彼女は、僕に心を惹かれるようになるわけだ。

 気になる。めちゃくちゃ気になる。ほしい。

「でも…、高すぎますね」

 僕は肩を竦めた。

『じゃあ、一つ値段を落として、五万円の恋の魔法はどうかな?』

 店主は首を傾げ、そう提案した。

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