第4話

 こほん…と大げさに咳をすると、本題に入る。

「それで…、今回君を呼び出した要件なのだが…」

「あ、お断りします」

 先輩と出会って約一年半。彼女に金を集られること、約二十六回。

 彼女の美しさと、その怠惰さと、クズさをずっと目の当たりにしてきた僕の目は、彼女が胸の前で手を合わせようとするところを見逃さなかった。

 この動きは、「金を貸してくれ」と頼むときの動きだ。

「お金以外でお願いしますよ。肩もみとか肩もみとか肩もみとか」

「肩もみはもういい!」

 先輩は納得していないように椅子から立ち上がった。

「ってか、まだ何も言ってないだろ! 失礼な奴だな!」

「いや、絶対金を貸してくれって言おうとしたでしょ」

「馬鹿か! 私をなんだと思ってる!」

「人に金を貸してくれ…と頼んだ挙句、借りた金でギャンブルやって溶かすクズ人間」

「うぐっ!」

 先輩は、胸に槍が刺さったかのようなうめき声をあげた。

 頬にじとっとした汗をかきつつ、酸欠の魚のように口をぱくつかせる。

「い、いや、それはっ…」

 足元にあった本の山を倒し、僕に詰め寄ろうとして固まった。

「そ、それは…」

「図星なんですね。バレバレなんですよ」

 僕はため息をつき、窓の淵にもたれかかった。

「もういい加減、散財やめましょうよ。どうせ今日だって、馬券買ったんでしょう?」

「か、買ってないもん」

 先輩が目を逸らすときは、大抵嘘をついている時だった。

「ああ、そうですか」

先輩に近づくと、そのセーラー服を模したパーカーの胸倉を掴んだ。

「あっ! ちょっと、何すんのさ、この変態!」

抵抗する先輩を無視して、彼女の軽い身体を揺すると、どこからともなく、今日のレースの日付が記された馬券が落ちてきた。

 それを見て、僕は大げさにため息をついた。

「ほら買ってる。どうせ当たらないんだから、やめたらいいのに」

「馬鹿だね。競馬ってのは、金を得るためにやるんじゃない。お馬さんらの迫力あるレースを楽しむためにあるのさ」

 開き直った先輩は、にやりと笑いながらそれを拾うと、僕の鼻先でそれを揺らした。

「金が当たるかどうかなんて二の次さ。私はレースが楽しめればそれでいいんだよ。当たればラッキーって言って拳を握り、外れたって、まあそんなもんか…って、馬券を捨てるだけさ」

「ああ、そうですか」

 ポケットからスマホを取り出し、今日のレースの結果を検索すると、先輩の鼻先に翳した。

 にやついていた先輩の目が見開かれる。そして、血眼になってスマホを凝視した後…。

「ちっ」

 舌打ちと共に、馬券を握りつぶした。

「なんで舌打ちを? そこは『まあこんなものか』って言って、捨ててくださいよ」

「マア、コンナモノカ」

 なぞる様に言った先輩は、粉々に破った馬券を宙に放った。

 紙吹雪が、悔しくも美しく舞い、埃っぽい床に落ちていく。

 スニーカーのつま先に落ちた一欠けらを、僕は邪険に振り払った。

「もういいですか?」

 帰ろうと踵を返すと、先輩が肩を掴んだ。

「まあ待てよ。今日は金の無心をしに君を呼んだわけじゃない」

「まじで?」

 金の亡者である彼女が、二度、三度に渡ってそれを否定するということは、本当に今回の要件は金銭が絡んでいないということだった。

「なんだ、肩もみですか? だったら早く言ってくださいよ」

「ばか! 肩もみでもないわ! あからさまに喜びやがって!」

 先輩は我が身を抱くような仕草をして半歩下がる。

「いや、やっぱ揉め! 最近肩が凝って酷いんだ!」

「でしょうね」

 彼女の目の下には、炭を擦りつけたような、浅黒い隈ができていた。

 どうせ、昨日も小説の執筆で徹夜をしたに違いない。まったく、二年も留年したうえに、就職活動もしていないというのに、のんきなことだ。

 先輩は「ったく」と洩らすと、再び椅子に腰をかけた。

「とっとと揉みほぐしておくれ」

「はいはい」

「ただし、『おっと手が滑った!』なんて言って、私の胸に触るのは無しだからな。いいか? 触るなよ。触るな。絶対に触るなよ」

「…ありがとうございます、先輩。では、遠慮なく」

「触るなって言ってんだよ!」

 ばちーんっ! と、先輩に頬を殴られた後、僕は気を取り直し、彼女の凝り固まった肩を揉み始めた。

 先輩はすぐに力を抜き、とろけた。

「ああー、気持ちいい」

「やっぱ凝ってますね」

「結構いいネタが浮かんだから、昨日は眠らずに書いてたんだ」

「また今度、読ませてくださいね」

「任せろ。傑作を読ませてやるよ」

「…それで、なんなんです? 金の無心でもない、肩もみでもない話ってのは」

「ああ、そうだ。そのことだ」

 うっとりしていた先輩が、我に返ったように手を叩く。

「そろそろ、卒業論文を書こうと思ってね」

「お断りします」

 僕は冷たく言い放ち、彼女の皮膚を抓った。

「どうせ、代わりに書けって言うんでしょう?」

「私を馬鹿にするな。文章関連で私が手を抜くことは無い」

「ああ、そう言えばあんた、文芸部でしたね。そして威武火大学文学部日本文学科」

 すっかり、僕と大学に寄生するクズ野郎だと思い込んでいた。

 赤くなった彼女の皮膚を指で拭い、改めて揉みながら聞いた。

「それで、卒論がどうしたって?」

「隣町にある村の伝承について調べようと思ったんだが…」

 彼女はそう言いつつ、横目で僕を見た。

「どうだい? 君も一緒に来ないか? 正直、一人で行くのは物寂しいんだよ」

「え…」

 心臓がどきっとする。

「一人で行くのが寂しいから、連れしょん感覚で僕を誘おうと?」

「言い方は悪いが、まあ、そういうことだ」

 先輩は言いにくそうに頷いた。そして開き直ったように肩を竦める。

「いつも巻き込んで申し訳ないと思ってるけど…、どうだ? 私のにも…じゃなくて、同伴者として来てくれないか? 悲しいことに、私の、こぶ…じゃなくて、友達は君しかいなくてな」

「お断りします」

 ため息をつきつつ言う。

「僕は先輩の荷物持ちでもないし、子分でもありません。そりゃあ、興味深くはありますが、僕だって暇じゃないですからね。あんたに貸した分の金も返ってきてないから、バイトしなきゃならないんですよ。ってか、もう夏休みはシフト入れてしまったし」

「シフト変更お願いしろよ。頭の固い奴だな」

「あんたはもっと社会人の勉強しろ」

 急なシフト変更なんて、同僚に迷惑をかけるに決まっていた。いやまあ、できないことはないのだが、そんなこと、小心者の僕ができるわけがなかった。

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