第2話

 僕は直ぐにスマホを取り出し、画面をのぞき込む。

 召喚呪文成功! メッセージの送り主は、東雲先輩だった。

「あ、噂をすれば!」

 青村さんが僕のスマホを覗き込んで、声を上げる。

「それで? 何の要件なんですか?」

「ええと…、『少し話したいことがあるから、部室に来ておくれ』だってさ」

 メールのメッセージには、淡白な文字列でそう書かれていた。

「多分、金の無心だろうな」

「はあああああ」

 清楚な見た目には似合わない、喉の奥で空気を擦るようなため息が洩れた。

「いいですか、水無瀬さん、絶対に行ったらダメですよ」

「いやあ、お金以外の件かもしれないし、ちょっと行ってくるよ」

 僕はなぞる様にそう言うと、スマホをポケットにねじ込んだ。

 つま先が、学生会館の方を向いたところで、青村さんが僕の腕を掴んだ。

「水無瀬さん、もう少しお金は大切にしましょうよ。あなたが優しい人だっていうのは知ってますけど…、付き合う人間は選ばないと。でないと、そのうち身を滅ぼしますよ?」

「わ、わかってるって」

 僕は声を震わせながら頷き、彼女の手をやんわりと振りほどいた。

「確かに、先輩は酷い人だけど…、なんだかんだ、良いところもあるんだ」

「もう!」

 そう声を上げ、地団太を踏む青山さん。

「私は水無瀬さんが心配です」

「金の無心なら断ればいいし、そうじゃないなら、それ相応に相手をすればいいだけさ」

「だったら、私もついていきましょうか?」

 青村さんは自身の薄い胸に手を当てて言った。

「水無瀬さん、押しに弱いのはわかってますから、私が話をつけますよ」

「やだな、僕はそういう金銭的なことは大事にするから、きっぱりと断るよ」

「そう言って、今まで、東雲さんにいくら貸したんですか?」

「……………」

 急に黙り込む僕。

 青山さんはため息をつき、頭を抱えた。

「私も一緒に行きます」

「いいっていいって!」

 ついには立ち止まり、僕は激しく首を横に振った。

「ほら! クズだけど、なんだかんだ筋は通してくれる先輩なんだ! もしかしたら今回呼び出されたのも、十二万返してくれるのかもしれないだろ?」

「十二万も貸してるんですか!」

「あ! いや、ほら、返してくれる可能性も十二分にあるっていうか…。十二万くらい、二か月トリプルワークすれば稼げるっていうか…」

「もうだめです。これ以上、水無瀬さんのお金を奪われるわけにはいきません」

 頬を膨らませつつそう言った青山さんは、そのしなやかな手を強く握った。

「私も行きます。話をつけに行きましょう」

「ええ…」

 とにかく彼女についてこられたら困る僕は、首筋に手を当てて、立ち往生した。

 さっきから金の話をしているせいか、通りすがる者たちの稀有な視線が背中に突き刺さる。

 青村さんは恥じらいもなく僕に詰め寄り、大きな声で言った。

「もっとお金は大事にしましょう。別に、使うなって言ってるわけじゃありません。もっと、有意義な使い方があると思うんですよ。小説を買ったり、映画を見たり、お食事に行ったり…。絶対に、東雲さんのギャンブル代に消えるよりかは楽しいはずです」

「まあ、そうなんだけど」

 彼女の薄い唇から放たれる言葉のすべてが、ぐうの音も出ない正論だった。

 さて、どうやってこの場を乗り越えようか? 

 横目で、壁に貼られた「今月のイベント情報」のポスターを眺めながらそう考えていると、廊下の向こうから、青村さんを呼ぶ声がした。

「せいらー、何やってんのー」

 どうやら、青村さんの女友達のようだった。

 名前を呼ばれた彼女が、髪を翻して振り返る。

 その隙に僕は、彼女に片手をあげた。

「それじゃあ、僕は行ってくるから、また今度ね」

「あ! 水無瀬さん!」

 彼女の言葉を置き去りにして、僕は軽快なステップを踏むと、食堂から出てくる人込みに紛れる。そのまま、渡り廊下を横切って学生会館へと続く中庭に出た。

 たった百メートルあるかないかの距離だったというのに、僕の頬には汗が浮かび、最近買ったばかりの冷感パーカーが背中に貼りつくような感じがした。心なしか喉がひび割れるように乾き、スニーカーのソールがアスファルトに焼け付くような感覚もある。

 夏だなあ…と思い、生暖かいため息をついて見上げると、頭上には白い太陽があって、この世界の全てを溶かさんとする勢いで熱線を振りまいていた。

 いつもなら盛って鳴き喚いている蝉の気配が全くしない辺り、この暑さの異様さを物語っていて、少しぞっとするものがあった。

 これがエルニーニョ現象…、いや、地球温暖化か? そんなどうでもいいことを考えながら、学生会館に辿り着くと、反応の悪いセンサーに手を翳し、自動扉を開けた。

 一歩踏み入れただけで冷えた空気が押し寄せ、火照った肌を撫でていく。

 氷水に浸した素麺みたく、少し硬い動きで階段へと向かった。

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