第54話【閑話】死霊聖騎士、蘇る
「目覚めなさいよ、ヴィットーリオ。ほら、早く」
邪神軍との決戦の最中、邪神を討ち果たして満身創痍だったヴィットーリオは、まさかの聖女ラファエラの乱心によって首を落とされた。これにより彼は短い人生に幕を下ろした……筈だった。
そんな永遠と思われた眠りから覚めた時、彼の視界に入ったのは二人の人影だった。
ヴィットーリオを揺すっていた一人は外套、頭巾、そして手袋で全身を隠しており、顕なのは口元だけ。小柄で華奢で、かつ甘くて高い声色な点から、少女ないしは女子あたりの年代と思われる。
焚き木の前で暖を取っていたのはヴィットーリオも会ったことがある。聖女の祭服に身を包んだ落ち着いた女性で、おっとりとした雰囲気で温かな包容力を持つ。年代はヴィットーリオより一回り上で、端麗な顔には苦労の跡が刻まれていた。
「ガブリエッラ様……」
ヴィットーリオはまず彼の知る相手に声をかけようとしたが、違和感に気付いた。しわがれてかすれた声は本当に自分のものだろうか? 咄嗟に喉に手を伸ばして、自分に恐るべし異変が起こっていることを悟った。
手からも生気が失われていた。肉が落ちて骨と皮だけ、血が通っていない青白さ、握ろうと力を込めても振るえるばかりで指は開きっぱなし。それでも何とか喉元に手をやり、喉もまた肉が削げ落ち、体温が無いことが分かった。
「ヴィットーリオ。アンタは死んだのよ」
もしかして自分は発狂するのではないだろうか、とヴィットーリオは思ったらしいが、そんなことはなかった。むしろ彼は冷静に現実を受け止め、少女の突きつけた言葉もそんなものかと理解した。
「勇者一行として魔王軍と戦ったアンタは、こともあろうに聖女に後ろから攻撃されて怯み、首を落とされたの。聖女は無様に倒れるアンタをせせら笑ったわ。剣聖達も同じで物言わなくなったアンタを足蹴にしてたっけ。勇者は――」
「俺は彼女らの力になれなかった。なら俺が彼女らからどんな目にあっても仕方がないよ。それより死んだ筈の俺は生き返ったのかな?」
ヴィットーリオは段々と自分の身体がどうなっているのか理解し始めた。声の出し方すら今までと違った。肺に空気を入れて喉を動かして喋った生前と違い、呼吸を必要としない今は暗黒闘気で空気を振動させて声のような音を発するのだ。
「いいえ。アンタは死んだままよ。このあたしが超魔法で蘇らせたの。アンデッドとしてね」
「復活魔法レイズデッド……」
「どうやら現実を受け入れたようね。デスナイト、それがアンタの種族よ」
なぜなら、ヴィットーリオはもはや人間ではなくなった。
ラファエラに殺された彼は少女の復活魔法でアンデッドとしてこの世に縛り付けられたのだ。
生命力を燃やす闘気と全く異なる技術、死してなおこの世に魂を縛る未練、怨念により発生するのが暗黒闘気。肉体的に死んだ彼は暗黒闘気を血や肉と同様に体中に張り巡らされることで行動出来ていた。
「いくつか質問があるけれど、構わないか?」
「ええ、どうぞ。夜は長いもの。いくらでも付き合ってあげるわ」
「どうして俺を蘇らせたのかな? 手駒が欲しかったから?」
「勇者一行に異変が起こっているのは日々観察してて何となく分かっていたわ。そして力不足になったアンタをあの聖女共が切り捨てる日も近いって。けれど、要らないなら貰ってもいいわよね。自分だけの騎士だったのに勿体ないじゃないの」
そうだ。ヴィットーリオはラファエラの騎士だった。しかしその役目は果たせなかった。力不足であっても努力は続けたが、彼女には評価されなかった。全ては自分が至らなかったせい。見切りをつけられるのも当たり前だろう。
「あたし、丁度自分の騎士が欲しかったのよね。お姉様を見てたら羨ましくなっちゃった」
「二つ目、あの後戦いはどうなったのか分からないか? ドナテッロ達が邪神を倒せたのか気になってたんだ」
「ああ、それは安心しなさい。人類圏に攻め入った邪神達はみんな退治されたから」
「そうか、良かった……」
ヴィットーリオは胸をなでおろす。自分がどうなろうと、それこそ命を落とそうが、自分の役目を全うできなたらそれでいい。自分なんかより彼女達が無事な方がなによりも大事だ。少しは彼女らの役に立てたかな、と自然と笑みがこぼれる。
「呆れた。殺されてもなおあの聖女共のことを案じるのね。馬鹿じゃないの」
「仲間だったんだ。心配もするさ。けれど……」
「けれど?」
「これから先はもう関係なくなっちゃったな。もう俺は必要とされてないし。ラファエラ達は俺がいなくてもきっと成し遂げるさ」
少女はそんな脳天気なことを言うヴィットーリオに怒りを覚えたようで、声に僅かに怒気が含まれていた。しかし実際はそんなこともなかった。ヴィットーリオは過去は過去で気にかけたが、もはや所詮過去でしかなくなっていた。
この時のヴィットーリオにとってラファエラや他の幼馴染は、良く言えば後は全てを任せられる頼もしい存在であり、悪く言えばもう自分が気に掛ける必要もない存在に位置づけられていたのだ。
ヴィットーリオにはアンデッドの原動力である未練も怨念も無かった。過去の反省点は未来に活かせばいい。幸いにも目の前の少女が道から落ちかけた自分を救ってくれた。これからは彼女のために生き、過去の不甲斐なさは機会があれば詫びようではないか。
「それで、蘇らせた俺は何をすればいいのか、教えてくれないか?」
「あたしが蘇らせたんだから、あたしの手足となって働きなさい。あたしが死ねと言うまで決して死ねないんだから、覚悟することね」
「分かった。今日から俺は貴女の騎士として貴女を守ろう。これからよろしくな」
「驚くぐらいの切り替えの早さね。アンタを動かしてるのは使命感、かしらね。まあいいわ。じゃあよろしくね、あたしの騎士」
ヴィットーリオはこの時に今の自分を定義出来た。途端に彼の身体を巡っていた暗黒闘気が活性化し、アンデッドに相応しい肉体として再構築していく。失われた肉質は生前の状態を取り戻し、幾分か慣れた自分の手に戻ったことに安堵する。
そのうえでヴィットーリオは差し出された少女の手を取り、握手を交わした。少女の手はとても小さく、少しでも力を込めれば握りつぶしてしまいそうなほど柔らかかった。そして、手袋を外した彼女の手は……氷のようにとても冷たかった。
「さて、自分の境遇を理解したところで、あたしの旅の仲間を紹介するわよ。そっちの彼女はさっきヴィットーリオが呼んだ通り、聖女ガブリエッラで合ってるわ」
「お久しぶりね、ヴィットーリオ。本当なら再会を祝いたかったのだけれど、もっと別の形でありたかったわ。残念です」
少女の紹介でようやく聖女はヴィットーリオへお辞儀した。よかった、自分の記憶違いではなかった、とヴィットーリオは心の内で胸をなでおろしたとか何とか。
聖女ガブリエッラ。ミカエラやラファエラよりも先輩にあたる聖女になる。彼女は結構な頻度で人類圏国家を巡っては慰問、奉仕活動に明け暮れている。そして人々の悩み、苦しみを聞いて回り、時には教会を動かして改善する。そのため、複数名いる聖女の中でもガブリエッラは市民に特に慕われていた。
そんな彼女も魔王軍進撃を受けて救済の旅に切り替えて活動していた、と俺は噂を聞いた覚えがあったが、まさかこのようなパーティーを結成していて、更にはヴィットーリオと運命が交わるとは思ってなかった。
「おや、どうやら白馬の騎士様がお目覚めになられたようですわね」
「思ってたより結構美男子。へえ、こういうのが好みなんだー」
そんな三人のもとに新たな人影がやってきた。
一人は野営には場違いなほど派手で目立つドレスを着こなす貴族令嬢のような女性だった。身につける宝飾品の数々もヴィットーリオは夜会で目にした程度の逸品。髪は毎朝どれほどの時間をかけてセットしているのか分からないほど優雅に巻かれている。しかしこれこそが自分だと誇るように彼女の姿は実にしっくりきていた。
もう一人は戦士だろうか。俺も彼女に会ってびっくりしたんだが、あのティーナよりも背が高い。しかし密度ある筋肉をした引き締まった、しかし女性らしい身体の線を描いている。得物は身長と同じぐらいはあろう大剣。俺にもヴィットーリオにも使いこなせまい。
彼女らは狩りをしてきたようで、貴族令嬢(仮)は鳥を何羽かと水桶を、大女(仮)は大型の動物を担いで帰ってきた。そしてガブリエッラと共に手分けして食事の準備を始める。
「そっちの場違いな格好してるのはフランチェスカよ。このパーティーでは前列を担っているわ。撲殺令嬢なくせにどうしてドレスに拘ってるのかしらね」
「場違いとは失礼ですわね。それにわたくしは既に爵位を父より奪……賜っており、公爵令嬢改め公爵となっております。それとわたくしにとってはこれが戦闘衣装。社交界と戦場で区別はつけませんわよ」
「で、そっちの大きいのがアンラよ。フランチェスカと同じく前列を任せてる。普段は大剣を振り回してるけれど、彼女も徒手空拳の方が強いわね」
「殴って蹴ってばかりだと野蛮だと仰るのは貴女様じゃないですかやだー! もしもし職業斡旋所ですか?」
少女の仲間はとても気さくな関係を築いているようだった。ヴィットーリオは己の勇者一行を振り返り、そう言えば使命を果たそうと固くなっていたなと思った。これなら学院時代の方が親しく喋りあえていたっけ、と懐かしむ。
しかし、あの楽しかった頃はもう戻らない。ラファエラ達とヴィットーリオの道は分かれてしまった。なら自分は自分に出来る道を歩み、その道を示してくれた少女への恩を返していこう、と固く心に誓った。
「それで、君の名前も教えてくれないか?」
「あー、そう言えばあたし自身がまだ名乗ってなかったわね。いいわ、良く聞いて心に刻みなさい。自分が剣を捧げる主人の名をね」
ヴィットーリオの指摘を受けて少女は立ち上がり、優雅にお辞儀をした。その動作は庭園に咲き誇る薔薇のように優雅で、ぎこちなさが一切ない柔らかさを兼ね備えていた。しかし、ヴィットーリオはこう思ったらしい。とても可愛らしい、と。
「ルシエラよ。よろしくね」
この時、ヴィットーリオは恋をしたのだ。
ミカエラの妹の名を名乗る自分を蘇らせた少女に。
そして運命を構成する歯車は大きく動き出す。
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