第47話 聖女魔王、大森林への侵攻を開始させる
撃退した水の邪精霊はただの水と化して周辺に飛び散っている。池の水位は半分にも満たなくなってしまっているが、これぐらいなら雨が降れば元に戻るだろう。少なくとも水の神殿ほど深刻じゃない。
これで大森林を侵食していた邪精霊は片付いた、ってなればだいぶ楽なんだが、そうもいかないだろうなぁ。人里から一直線に聖地を目指してもコラプテッドエルフやトレントと遭遇してたんだ。森全体がどれほど汚染されているのやら。
「ミカエラ。この森を汚染する邪精霊はこれで終いだと思うか?」
「ここを拠点に邪精霊達が大森林へ散開したのは事実ですし、今の戦いで大幅に戦力を削げたのも事実です。けれど、これで異変が解決したわけじゃあありませんね」
「やっぱり、ここからは机をひっくり返すように駆除し回らないといけないわけか」
「ええ。地道で面倒な掃討作戦が必要でしょうね」
うへえ。やりたくねえ。実際に携わるのはエルフなんだが、想像するだけで辟易する。巻き込まれないうちに退散するのが吉だな。エルフのお偉いさんも排他的だし、協力してやる義理は無いね。
ところがミカエラはティーナの方へと視線を向ける。いつになく真剣だったものだからさすがのティーナも固唾をのみ込んで覚悟を決めたようだ。「何だ?」と問いかけた声が緊張を伴って若干硬い。
「ティーナ。この大森林を見捨てて立ち去るつもりですか?」
「大森林の守護者は現役世代だ。過去の亡霊でしかないうちの出る幕は無いね。それにうちのやり方はあの英雄様が今も反対してるんだ。後ろから罵倒されてまでやるほどお人好しじゃあないぞ」
「じゃあ、余が何とかする、と言ったら協力してくれますか?」
それは意外な提案だった。ミカエラのことだから聖地巡礼さえ済ませたらもうこの地は用無しかと思ってたのに。ティーナもやはり同じで軽く驚いたが、しかしすぐに表情を
「大森林をこれ以上傷つけないと約束するならな。もし害する気なら――」
ティーナは弓を引いて矢をミカエラへと向けた。俺は射線上に割り込んで盾を構える。図体はでかいからミカエラの全身をかばえているけれど、ティーナなら矢の軌道を変えるなんて造作も無いだろうな。
「魔王対元魔王の全面戦争になるぞ。どちらか死ぬまでのな」
「あいにく余は戦闘狂じゃないのでそんなの望みませんよ。尤も、魔王と戦うなら勝つのは聖女たる余ですけれどね!」
「くくっ! まあいいさー。で、どうやってこの広い大森林から邪精霊共を駆逐して堕ちたエルフ達を排除するつもりなんだ?」
「本来ならもっと後に、しかも別の目的でやるつもりだったんですけど……しょうがないですねー。悲痛な顔をしてるティーナのために余が頑張っちゃいましょう!」
とてつもなく自信満々にミカエラは池の方へと向いた。そして彼女が権杖を上空へとかざすと、池の上にとてつもなく大きな魔法陣が瞬時に書き上がった。これは明らかに聖女の奇跡ではなく、魔王の大魔法なのは確定的だった。
「サモンダークスピリット!」
ミカエラの力ある言葉と共に魔法陣が黒く輝いた。いや、この表現は正しくないんだが、本当に黒く輝いたんだ。それこそ黒水晶とか黒い宝石みたいにさ。閑話休題、魔法陣が効果を発動すると、途端に溢れ出てきた何かが池へと注ぎ込まれる。
それは泥だ。それも大量の。池を覆い尽くして余りあるほどの。
そして俺達はこの汚泥を見たことがある。
土の邪精霊マッドノーム、邪精霊の中で唯一魔王ミカエラに与する者達だ。
すぐさま汚泥達は人やゴーレム、魔物を形作っていく。ざっと数えただけで数千は下らないだろう。もはや一国を滅ぼしかねないほどの大勢力は、あの水の神殿があった湖で精霊を取り込んで力を蓄えた結果だろうか。
「げぎゃぎゃ。邪精霊軍長ディアマンテ、並びにその配下。魔王ざまの招集命令により馳せ参じましだ」
「計画は変更です。エルフの住むこの大森林内に正統派を名乗る連中が潜んでいますから、総力を上げて討ち果たすのです!」
「承知じましだ。エルフだぢはどうじますか? あど我々に同調じた連中は?」
「エルフやトレントとはなるべく戦わないこと。これ絶対条件ですからね。防衛と撤退のために反撃するのは認めます。堕ちた輩は一掃しなさい」
「仰ぜのままに!」
ディアマンテが号令をかけた途端だった。汚泥の軍勢は大森林へと侵攻を開始する。前回の一戦で大量に部下を焼却したティーナを睨む個体もあったが、結局池を満たす程度の汚泥共を待機組として残す以外は全て森の中へと消えていった。
進軍を見届けたミカエラは俺に荷物を下ろすよう命令すると、それから野営道具を取り出し、なんとテントを組み始めたではないか。しかも賛美歌を鼻歌で歌いながらとかなんて罰当たりで恐れ知らずな。
「余の軍団が作戦を終了させるまで時間がかかります。のんびり待ちましょう」
「ミカエラ。こいつ等は信用出来るんだろうな?」
「神と余の誇りに誓いましょう」
「……ならいい。待ってやるよ」
ティーナは焚き木用の枝を取ってくると言って森へと向かった。俺とティーナはお泥共が駄目になった池から水を汲むのを諦め、池に流れ込む小川まで足を運んで水を汲むことにした。こういう時のために小さくても桶があるのは便利が良いもんだ。
で、水汲みから戻って来ると、何故かディアマンテが石を積んでかまどを作っていた。いちいちミカエラに作り方を聞いているのが実に奇妙この上ない。まさか水の大精霊もこんな風に自分の体を使われるとは思っちゃいなかっただろうな。
ティーナは枝以外に仕留めた小動物も抱えて戻ってきた。危険を察知する能力が鈍くて逃げそこねてたんだろうな、とティーナは呟きながら手際よく捌く。良かった、またちょっと保存具材の入った塩スープになるところだった。
俺達は食前の祈りを捧げた。俺とミカエラは信仰する唯一神に。実はイレーネもまた勇者イレーネの名残で同じように唯一神に祈ってたりする。ティーナは森の恵に感謝をする。ディアマンテは……精霊王に? 水の大精霊を乗っ取った影響か?
「なかなか美味いなこの肉。主食にしてもいいぐらいなんじゃないか?」
「もっと大型の肉食動物の餌にもなるからなー。取り過ぎると個体数が減っちゃう」
「ミカエラ、ちょっとお匙取って。おかわりしたいよ」
「いえ、余がおかわりをよそいでからです! イレーネは待て、です!」
「美味」
何だか久しぶりに落ち着いた食事を取った気がする。大森林に入ってから歓迎されたり危険地帯のど真ん中で野営したりで緊張してたからな。これぐらい和やかで賑やかな食事の方が俺は好きだな。
「で、ミカエラ。実際のところ、ディアマンテ達に命じたのは掃討作戦なのか?」
とは言え、ただ座して待つばかりじゃあいられない。
問題なのはこのまま終わるか否か、だ。
そして俺の予感が正しければ……。
「いえ、きっと違うでしょうね」
ほれみろ、やっぱそうじゃねえか。
ミカエラの断言にティーナが顔をしかめた。
「どういうことだ? 邪精霊共を駆除するからこいつ等の侵入を見逃してやったのに、これで終わらないのか?」
「風と火と水の邪精霊をまとめる師団長は余達が道中で倒しましたよね。土はディアマンテが統括してるからいいとして、肝心な奴が残ってます」
「肝心な奴……?」
「そう、本来邪精霊軍の長を務めていながら正統派として余に背いた反逆者。奴は多分この大森林に潜んでると思うのですが、確信は持ててませんので」
邪精霊軍を従える、つまり地水火風の邪精霊を取りまとめる存在が……?
確か地水火風の精霊達の上位には教会では聖霊と呼ぶ存在、光の精霊がいる。
とすれば、光の精霊に対応する邪精霊がいるとしたら……。
「闇の邪精霊ダークマタースピリット。その親玉を倒さない限りは大森林の侵食は止まらないでしょう」
闇の邪精霊、それが真の敵……。
一体どんな風なんだろうか?
まあ、あれこれ想像するより会ったほうが手っ取り早いか。
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