第33話 聖女魔王、土の邪精霊を帰還させる
その様子はどうやって表現すればいいかな。アレだ、風呂桶の水を抜くみたい、辺りだろうか。とにかくミカエラが発動させた帰還魔法の穴は湖の底に発生させたらしく、汚泥が大渦を巻いて流れ込んでいく。
「処分は追って知らせます。この場は帰還しなさい」
「畏まりまじだ。魔王ざま」
ディアマンテもまたミカエラへ頭を垂れてから汚泥へと飛び込んで姿を消した。良く見れば神殿へとへばりついた泥や中で彷徨っていた泥人形共の汚泥も引き剥がされて渦へと吸収されていく。
やがて、汚泥は一滴残らず闇の穴へと沈んでいき、邪精霊達の撤退は完了。
これによりティーナの目的は果たされなくなり、俺達の勝利が決定した。
しかし、この決戦で刻まれた戦場の爪痕は非常に大きい。
水の精霊が集まったとされる神秘の湖は一滴残らず枯れ果てた。精霊はおろか魚一匹すら残さず消えてなくなり、泥に埋もれていた湖底が湿った状態で露出する光景が無情さをにじませていた。
水の精霊を祀る神殿は荒れ果てていた。泥が取り払われても壁や柱などにこびりついた汚れは落ちておらず、遠くから見える限りでも汚泥に包まれて操り人形と化していた神官達が横たわっている。凄惨の一言に尽きた。
そして、紅蓮の炎。元湖の対岸、そして街の方は未だに燃えていた。全ての邪精霊を焼き尽くさんとばかりに火災の勢いは衰えない。いずれはこの一帯全域が炎に包まれて焼け野原になってしまうだろう。
「これ、どうするんだよ……」
これこそ地獄絵図と呼ぶに相応しい。
ミカエラ側に立ったことに後悔は無いが、その選択がこの結果をもたらした。
なんて無力。なんて無責任。俺はただぼやくしかなかった。
「ブレスドレイン!」
力ある言葉とともに枯れた湖の中央にいたミカエラから光の柱が立ち上った。それはどす黒い煙で覆われた空を貫き、次第に空模様がぐずつき始めると、やがて大粒の雨が降り注ぎ始めた。
恵みの雨をもたらす奇跡ブレスドレイン。そうか、ミカエラは汚泥共を回収した後は始めからこうして湖に水を戻そうとしていたのか。ティーナのもたらした地獄の炎もさすがに奇跡の雨には勝てなかったようで、次第に勢いを失っていく。
いや、待て。それより湖の向こう側、湖付近……段々と雨脚がこっちにまで伸びてきてないか? いやまずい。このままだと天然のシャワーを思う存分浴びちまう。早いとこ屋根の下に避難しないと……!
「ミカエラぁ! せめて俺達が神殿の中に戻ってからやってくれよ!」
「いいじゃないですか! 相合傘しましょうよ! 盾の下に入れてください!」
「馬鹿言ってないで早く避難だ! そっちは濡れないよう外套羽織っとけ!」
「ニッコロさんのけちー!」
駆け足で何とか神殿の中に滑り込んだ。一息ついた頃には土砂降りの雨になっていて、これじゃあ当分の間はここで雨宿りするしかないか。火災を鎮火させるまで止ませるわけにもいかないし。
祈りの広場から神殿に入ったミカエラとは離れ離れになったが、入口からは俺以外にもイレーネとティーナが逃げ込んできた。イレーネは兜を脱いで「錆びないように手入れしないと」と嘆き、ティーナは布巾で髪を拭きつつ「乾かすのだるい~」とつぶやく。
「あぁぁ~! 負~け~た~! く~や~し~い~!」
ひとしきり水滴を拭ってからティーナは身体を床に投げ出し、大声を上げる。これがかつてエルフの森を焦土に変えて畏怖された焦熱魔王の姿か? いや、むしろ本当はこちらの方が素で、魔王としての仮面を被って行動していたのかもしれない。
イレーネは乗っ取った身体で鎧の自分を拭くとかいう奇妙な構図で手入れしてるわけだが、魔王にもなったリビングアーマーが雨ごときで腐るものなのかね。それとも大丈夫なんだけど気分的に放置は無理ってぐらいなのか。
「負けたって言っても傷は負ってないじゃないか」
「邪精霊共を駆逐するって目標を達成出来なかった時点で負けは負けだってば。だいたい、勇者を乗っ取った鎧の魔王が味方してるなんてずるいぞー!」
「そっちも僕より昔の魔王だったくせに卑怯とか言わないでよ。みっともない」
「そんなの知るかー! 面子で飯は食えないんだよー!」
どうやらこの二人、戦いは終わったと見なしているようで、これ以上争う素振りはなかった。割り切ってもらえて助かった。戦闘続行されたら俺は一目散に逃げるつもりだからな。不毛な衝突はしない主義なんでね。
大雨はなおも降り続く。次第に大地は水たまりを作るだけでなく低い位置へ流れるようになり、枯れた湖へと注ぎ込まれていく。完全回復には程遠いだろうが、雨が止む頃にはそれなりに水が貯まるかもしれない。
「邪精霊共を憎んでるのは、やっぱエルフの森を侵食されたからか?」
「ん? どうしたんだ急に?」
「単なる暇つぶしだ。このまま雨を眺めて呆けるのもアレだろ」
「……んー。ああ、そうだなー」
ティーナは先程イレーネに斬られた弓の弦を張り直している。千切れることも想定していたのか幾つも予備を持っているらしく、手際よく修復作業を終えて、張りの具合を確認しているところだった。
「ウチが若造の頃は炎の邪精霊が魔王でなー。主力も邪精霊軍だった。それまで人類圏は何度も魔王軍に攻められたけれど、エルフの森は何度も連中を撃退してたんだぞ。だから当時の魔王軍は、侵食って形で侵略してきた」
「邪精霊達に歪められて堕ちた森の住人達と同士討ちするようになった、だったか」
「エルフは精霊に近い種族。邪精霊の影響を受けて堕落したエルフや森の住人達をうちらはコラプテッドエルフ、と呼ぶんだけど、エルフじゃあ連中に対抗出来なかった。倒しても倒しても最前線で戦った仲間が汚染されていくんじゃあな」
だからティーナ達一部のエルフは禁忌である火の力を使って汚染された森ごと堕落した森の住人達を焼き払うことにした。例え同胞のエルフ達に白い目で見られようと、エルフの森を守るために。
「焦熱の魔王はエルフの勇者に討伐された、って伝わってるけど?」
「それは事実だぞ。うちは今勇者だとか持て囃されてる奴と一緒にあの焦熱の魔王を倒したんだからな。その後後ろから襲われたけれどな」
「……ティーナが炎に手を染めたブラッドエルフだからか?」
「ああそうさ。ドサクサに紛れてエルフの汚点を切り捨てたわけさー。うちは命からがら逃げ出せたけれど、ほとんどの同士が自分達が禁忌に身をやつしてまで守った同胞に殺されたんだ」
弦の張り具合を確認するために何度も弓を引くティーナ。矢はつがえていないものの、彼女の視線の先にいるのは目の前の壁ではなく、もしかしたら何かしらの標的を射殺す光景を思い浮かべているのかもしれない。
「恨みがないと言えば嘘になる。けれどアイツ等がうち等を恐れるのも納得する。うちはもう割り切ったから、当時の魔王軍に憂さ晴らししてからはのんびり過ごしてるってわけさー」
「あんなさらっと言ってるけれど、実際のところは彼女、魔王城にまで攻め込んで当時の魔王軍を壊滅させたんだ。だから魔の者からすれば焦熱魔王は彼女を指す称号なんだよ」
イレーネがこそっと教えてくれた情報は無駄知識として頭の片隅に留めるか。
とにかく、ティーナが邪精霊を相手にあそこまで感情を顕にする理由は分かった。ミカエラの侵略計画はまさに当時の再現に近い形だもんな。撤退させたのだってディアマンテが独断専行したってだけだし。機会が悪かったら全面衝突してたかも……。
いや、待て。その独断専行の理由、確かディアマンテは副長共が正統派に寝返って行動に移したから、とか言ってたよな。となると、ここまで深刻な異変を起こす程に正統派の邪精霊共の作戦は着々と進行中なわけで。
「土の邪精霊共が起こした今回の騒動、正統派とかいう連中への対抗策、だったって言ってたよなー?」
「あ、ああ」
「その辺りは後で詳しく説明してもらうとして、ニッコロ達は連中をどうにかしたいのかー? あの聖女な魔王に逆らう派閥なんだろ?」
「邪魔をするなら直々に手を下すってだけで、粛清自体は部下に任せっきりだぞ」
「ふぅん。なら、しばらく一緒に行動した方が良さそうだなー」
「はい?」
正直、俺が嫌そうな顔をしたって罰は当たるまい。
人類圏にあだをなす邪精霊共を相手するなら現役魔王のミカエラといた方が遭遇率が高そうなのは分かる。けれど彼女は白金級冒険者だろ? 独自の情報網持ってるんだろうし、あんまり効率的じゃあない気もする。
いや、そもそも、だ。ただでさえ聖女な魔王の騎士やってるのに勇者な魔王が仲間に加わって、そのうえで焦熱の魔王まで一緒になるって、何の冗談だよ。全員可愛い女の子じゃないか羨ましいなオイ、とか言ってくる奴がいたらはっ倒す。
「じゃあこれからもよろしくな!」
「じゃあ、って何だよ? 文章つながってないぞ」
「うちは基本的に単独で冒険してるからな。戦闘以外でも役に立つさー」
「何で付いてくること前提なんだ?」
やいのやいのティーナと言い合ってたら、何か神殿の奥からこっちに戻って来たミカエラが恨めしそうな視線で俺を見つめてきた。まるで俺が全面的に悪いみたいな空気を醸し出してるので、お願いだから止めてほしい。
「我が騎士! 余は悲しい……! どうして迎えに来てくれないんですか!?」
「子供じゃないんだからわがまま言うんじゃないっての!」
頼むから世の常識よ、戻ってきてくれ。
このままだと俺が疲労でぶっ倒れそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます