第31話 戦鎚聖騎士、焦熱魔王と戦い始める

「焦熱の魔王、か。随分と懐かしい呼び方だなー」


 焦熱魔王、という単語を耳にしたティーナは若干寂しそうな表情を見せる。


 ブラッドエルフ、を自称するエルフの一団があったそうな。エルフの森を侵食する魔王軍に対抗すべく、魔を森ごと焼き払う術で対抗した異端者達。彼らはエルフの汚点と見なされて歴史の表舞台から抹消された。その存在を今も知るのは人類でもごく一部で、聖女はその例外の一つだそうだ。俺はミカエラから教わった。


 焦熱の魔王と呼ばれる存在は正確には二人いて、一人は正真正銘地獄の火炎の化身だったらしい。おそらく火の邪精霊だったんだろう、とはミカエラ談だ。この時の魔王軍は邪精霊軍が主力だったため、人類権は自然災害に苦しめられたそうな。


 もう一人の焦熱の魔王は、邪精霊に汚染される森を焼き払う為に火炎魔法を習得したブラッドエルフ達を指す。中でも最終的に焦熱の魔王を焼き尽くしたブラッドエルフがそう呼ばれたのだとか何とか。


 歴史上では両者共これから行こうとする聖地で討伐されたと伝えられている。しかしイレーネの例があった以上、ティーナもまた何らかの方法で生還を果たしたと考えられる。そして今なお人間社会で過ごしているのだ。凄腕の冒険者として。


「ま、ウチの事情は今どうでもいいな。それよりミカエラ達って正体はさておき一応聖女パーティーなんだろ? どうして邪精霊共の味方してるのさ?」


 ぐうの音も出ないぐらいの正論を突きつけてきたな。俺だってこんな汚泥共の片棒なんざ担ぎたくないわ。しかしミカエラが連中の面倒見るっつーならそれを叶えてやらなきゃミカエラの騎士とは言えねえよなぁ。


「詳しく説明してるとクソ長くなるからかいつまむぞ。魔王軍は魔王派と正統派で仲間割れ中、この汚泥共は魔王派。勇み足だったから強制的に帰還させようとしてる。魔王派の戦力が減るのは勘弁。分かったか?」

「ふーん。で、人間に結構な犠牲が出てることについては悔い改めないのか?」

「……後でミカエラが懲戒処分する、でどうだ?」

「話にならないな。邪精霊共は言葉こそ通じても意思疎通は無理な連中だ。頭を下げて謝ってきても内心では舌を出してるに決まってる」


 これまた反論のしようがない。邪精霊は人類と価値観が全く違っていて相互理解はまず不可能。真っ先に滅ぼすべき邪悪なる存在、というのが人類の共通認識だ。大人しく撤収しようとしてるのも魔王のミカエラが命じたからだ。


 あーやだやだ。俺だって本当なら汚泥共に落とし前をつけてやりたくてしょうがない。水の精霊を堕落させ、精霊の神官達を泥人形に埋め、神殿と街を汚泥だらけにしたんだ。帰ります、はいそうですか、は都合が良すぎるよなぁ。


「最後通告だ。そこをどけ」

「やなこった」


 俺が間違ってるのは分かってる。

 分かった上で俺はティーナに立ちはだかった。

 ティーナの端麗な顔が憎しみと怒りで歪む。


「おいニッコロ。それが何を意味するのか分かってやってるのか?」

「当然。それぐらいの覚悟は決めてるさ」

「魔王の騎士気取りか? 止めておけ。ろくな目にあわないぞ」

「関係無いね。魔王だろうが聖女だろうが知るもんか。ミカエラがやりたいと言うなら俺は手を貸す。それだけの話だ!」


 ティーナは視線を僅かにずらして湖の中央で帰還魔法を発動しようとしているミカエラを見やる。それも少しの間だけ。再び対峙する俺とイレーネを見据え、静かに矢を弓につがえた。


「しょうがないなぁ。気乗りはしないんだけれど、さ」


 ティーナの目つきが鋭くなった。獲物を逃さない狩人のそれだった。


「邪精霊滅ぶべし。慈悲はない!」


 ティーナの射た矢は俺の顔……いや、唯一兜に覆われていない目元めがけて飛んできた。俺はすかさず盾で庇い、直後に衝撃が左腕を襲った。どうやら魔法は付与していなかったようで、矢を盾で弾いただけで済んだ。


 しかし直後、俺の取った動作は無意識のものだった。ティーネの殺気を感じ取ったのか、それなりの経験から来る本能的な反応だったのか。ともかく戦鎚を掲げて脚の付根を覆い、直後に甲高い音が鳴り響いた。弾かれた矢が地面に落ちる。


 ティーナはなんと初撃で俺の目を、二撃目で全身鎧の隙間である股関節部を狙ってきたのだ。時間差なんてほんのわずか。狙いを付けるどころか弓を引く時間すら充分にあったかも怪しい。それもうんと遠くにいる相手めがけた正確な射撃を実行してのけた精密さ。戦慄するしかないだろう。


 イレーネはティーナの攻撃が俺に向けられたことを好機と捉えたのか、既に彼女に向けて疾走していた。ティーナは瞬く間に何本もの矢を射て、イレーネはそれを尽く剣で打ち払う。イレーネの突進する勢いは衰えない。


「でたらめな奴だな!」


 ティーナは距離を縮ませまいと駆け出した。その間も矢を射かける速度は変わらない。ティーナは円弧を描くように動くもイレーネの追走は止まらないものだから、やがてティーナはイレーネに背中を見せる形になった。こうなると身体を捻らないとイレーネを直接狙えないティーナが俄然不利なんだが、ティーナからは焦った様子が見られない。


 イレーネが猛烈な勢いで追いつき、相手を攻撃の間合いに収めた瞬間だった。イレーネはとっさに上方へと二振りの剣をかざし、雨あられのように降り注ぐ矢の攻撃から身を守った。


 端から見てたからかろうじて分かった。ティーナはイレーネに攻撃を仕掛ける合間を縫って上空へと何本も矢を放っていた。それは各々別の放物線を描き、ほぼ同時にイレーネ目掛けて落ちていったのだ。全て計算ずくだとしたらなんて恐ろしい。


「あっちゃぁ~。今ので仕留められたと思ったんだけど、甘かったかー」

「もし本当に当たってたとしても、僕は貫けないよ」

「そんなのやってみなきゃ分からないさ、って強がるのも一興だけど、どうもそうっぽいな。イレーネは硬すぎる。技量だけじゃあどうしようもないかー」

「もっと貫通力の高い矢を使えばいいじゃないか。例えば、ほら」


 イレーネが顎で指し示したのはティーナの後ろ。彼女が背負った弓袋と矢筒だった。漆黒の布を幾重にも巻いた上に何やら札が貼られたソレは、ティーナがブラッドエルフの魔王だということを差し引いても似つかわしくないほどに禍々しかった。


 少なくとも旅の道中では彼女はあんな物を持ち運んではいなかった。ヘルコンドルを仕留めた時だって普通の弓矢を使っていた。異変の元凶である邪精霊を滅ぼす為に準備したものだとしたら、どんなに恐ろしい効果を持つ秘密兵器なのだろうか。


 だがイレーネの指摘にティーナは気分を害したようだ。


「コレとは腐れ縁なだけさ。ウチの相棒はあくまでこっち」

「こだわるのは別にいいけれど、それで僕らに勝てるとでも?」

「出来れば勝ちたかったんだけど、もう四の五の言ってられないか」


 ティーナは常に複数本指の間に挟んでいた矢を矢筒に戻した。それからやや前傾姿勢になると手と腕を水平方向に思いっきり振り切る。


「フレイムウェーブ!」


 直後、発生したのは神話を題材とした絵画でしか見たことがないような大津波を連想させるほど高い炎の壁だった。しかもかなりの速度でイレーネ、俺、そして背後のミカエラ目掛けて襲ってくるではないか。


「兜割り!」


 イレーネは炎の波を縦方向に引き裂いて難を逃れた。しかし彼女の左右を通過した炎は勢いが衰えずにこちらへと向かってくる。跳躍して回避するのは無しだ。無防備なミカエラ達が丸焦げになってしまう。ここは俺が受け止め……あ、無理だ。


「ソニックシールド!」


 闘気で練った風を前方で鋭角になるよう吹かせて、炎の波を受け流す!


 突風を超えて襲いかかろうとする猛烈な勢いの炎を何とか左右にちらしていく。火の粉が肩や腕をかすめる。熱は風越しにも伝わってくるのか無茶苦茶熱い。汗が吹き出るのも我慢して歯を食いしばって踏ん張った。


 やがて、炎の波は俺を境に左右へと別れて通過していった。


 地面の雑草は全て黒焦げ。地面すらあらわになっている箇所もある。後ろでは炎の波が通過した部分の汚泥の半分以上が灰と化していた。アレではもし汚泥の魔物や邪精霊が宿っていたとしても焼き尽くされたことだろう。


 これがエルフの森を焦土に変えたという焦熱魔王の炎……。

 俺は顎に流れた汗を拭い、唾を飲み込んだ。


「ミカエラー! 大丈夫かー?」

「こっちは大丈夫ですよー! 戦いに専念してくださいー!」


 念のために呼びかけたものの、ミカエラは元気いっぱいにこちらへ手を振ってみせた。ディアマンテは周囲の様子に顔色を失っており、自分で自分を抱きかかえていた。あの調子だと帰還魔法を発動させるのはもう少し時間がかかりそうだな。


 再び視線をティーナに戻す。イレーネは迂闊に飛び込まずにその場で警戒心を強めており、ティーナは一つ一つ確かめるような丁寧な動作で再び矢筒から矢を取り出して弓につがえ始める。


「今のはほんの挨拶代わりさー」


 ティーナは弓を引き絞り、矢を放った。標的はミカエラ。一直線に進む必殺の一撃の前に俺は滑り込み、盾で弾き返……そうとしたが、盾に当たった瞬間に矢が爆発した。とうとう火属性魔法を付与するようにしたか。盾でかばったからいいものを、戦鎚で打ち払ってたらやばかったな。


「地獄の炎をその身に味わえ!」


 ティーナが本性を剥き出しにし、俺達に向けてきた。

 戦いは正念場を向けた。

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