第30話 戦鎚聖騎士、焦熱魔王に強襲される
「げぎゃぎゃ。このディアマンテ、魔王ざまに終生の忠誠を誓っでおりまずので」
耳元まで裂けた口から発せられるディアマンテの笑い声は透き通った声と濁った声が入り混じっていた。あれか、泥状だから声帯が上手く固定出来ずにいるのか。どうであれあまり耳障りが良いとは言えないな。
「魔王派なのにどうしてミカエラが制御出来てないんだよ」
「ちょっと待ってください。まずはそこを弁明させてくださいよ。確かに作戦の立案は余ですけれど、実行の許可は出してないんですって」
「火炙りだな。言い訳は教会で異端審問官にでもどうぞ」
「違うんですって! だからまず話を聞いて下さいってば!」
ミカエラの主張は以下の通りらしい。
「そもそも、これまでの魔王って人類に対して力押しが多かったんですよね。その度に勇者達に討伐されて、馬鹿らしいったらありゃしませんよね。だから余は完璧な世界征服計画を練ったわけです!」
「まず、サキュバスを始めとする妖魔軍の者達を人類圏社会に紛れ込ませ、内側から堕落させます。ちょっと甘い言葉で誘惑すればころっといっちゃいますからね。これはこの前の聖地でも明らかにしましたか」
「次に、邪精霊軍の者達を人類圏に生息する精霊の住まう場所に派遣します。属性転換、乗っ取り、とにかく精霊を邪精霊へと変換させるんです。特に大精霊と呼ばれる強力な個体を引き込めれば文句無しですよね」
「土の亜種である泥の邪精霊マッドノームのディアマンテは水の大精霊ウンディーネの元に向かわせて乗っ取らせます。大精霊と混ざり合って同一存在になったディアマンテはご覧のとおり、叡智も能力も容姿も我が物にしたわけです」
……なるほど。これは有罪ですわな。
しかし酌量の余地はある。この世界征服作戦はまだ第一段階だけが実行中、つまり妖魔軍しか動かしていないんだそうだ。邪精霊軍が動いているのは明らかにミカエラの意向に反している、とのこと。
ミカエラの言うことに従わない、と言われて真っ先に連想するのは正統派を名乗る連中。妖魔軍も魔王派と正統派で真っ二つだったし、魔王派とされる邪精霊軍にも正統派の輩が紛れ込んでるかもしれないのだ。
「それでディアマンテ。どうして余に無断で侵攻したんですか?」
「ぞれがでずね、オデの他の副長共が正統派に寝返っだがらでず」
「……はい?」
「妖魔軍副長ヴェロニカのヤヅがやられて焦っだんでじょうがねぇ。正統派の連中は妹様の救出を諦めてごっぢに注力じだみだいでず」
え、と。確か魔王城に正統派が崇めるルシエラの身体が安置されてるんだったな。そんで直轄軍長とスライム軍長は粛々と正統派共の断罪を進めてる。だから魔王軍の侵攻は本格的になってないのが現状だった。
それが正統派共は人類へと矛先を向けてきた。潜在的反逆者を含めれば魔王軍の半分以上が正統派だとか聞いてるので、正統派だろうが何だろうが魔王軍が攻め込んできたと人類側は受け取るに違いない。
「グリセルダのヤヅと同じで、オデは反逆者共を裁かにゃいかんです。じがじあの馬鹿共も魔王ざまの計画は知ってまずがら、光側の大精霊共は連中の餌食になってるかもしれねえでず」
「だから水の大精霊は先にディアマンテが奪った、と」
「だがら止むなぐなんでず。どうか許してくだせぇ」
ディアマンテは深々とひれ伏した。髪を形成する泥がぽたぽたと床に滴り落ちる。
ミカエラは腕を組んでうなりながら考え込んだ。この時のミカエラの心境を想像するのは簡単だが、それは無粋な気がした。俺はただ彼女の決断を静かに見守る。
「今魔王派が人類と事を構えるのは早すぎます。邪精霊軍の正統派連中は余達が何とかしますから、ディアマンテ達は直ちに撤収しなさい」
「はい、がじごまりまじ――」
その時、遠くから爆音が轟いてきた。
真っ先に動いたのはイレーネ。彼女は汚泥へと飛び出していき、汚泥を地面のように踏みしめて疾走していった。
「はぁ!? どうして沼に沈んでかないんだ?」
「粘性が高い液体は強く叩けば固くなります。高い位置から水に飛び込んだら水面に叩きつけられるのと同じ理屈ですね。要は、右足が沈む前に左足を出すんです」
「んな阿呆な…‥」
「大丈夫! ニッコロさんにも出来ますから! 状況確認お願いしますね!」
「くっそ……! 分かったよ、ちょっと待ってろ!」
男は度胸、とばかりに俺も汚泥へと飛び出した。右足で汚泥を踏みしめ、すぐさま左足で踏み込む。すると右足はほんの僅か沈んだだけで足を取られなかった。同じ要領で右、左、右、左……出来た。本当に汚泥の上を走れたよ。
で、湖の岸までやってきて、イレーネと共に遠くの状況を目の当たりにした。
燃えていた。町の方角が激しく。それこそ町全体を焼き払うかのように。
更には町の方へと流れていた汚泥の川を伝って炎が迫ってくるではないか。
「一文字斬り!」
イレーネが魔王剣を一閃させる。前方に大きな裂け目が発生し、炎はそれを境にして伝達が止まる。しかし裂け目の向こうの炎は一向に鎮火しようとしない。汚泥を焼き尽くし、乾燥させるどころか蒸発させていく。
こんなのは決して自然現象ではない。あきらかに魔術的な要素によるものだ。しかも対象を灰に、塵に変えるまで消えない炎なんて、どれほどの熟練した魔法使いであっても難しいだろう。
「なあイレーネ。こんな真似出来る凄い魔法使い、冒険者達の中にいたっけ?」
「いなかったね。一見すると」
「その言いっぷりだと実はいました的なオチにしか聞こえないんだが?」
「多分そうだろうなぁ、とは思ってたけど、思ったより早く本性を現したみたいだ」
本性。その単語を聞いて嫌な予感しかしなかった。
顔がひきつっちまうのもしょうがないよなぁ。
「ニッコロさん! 魔王城へのタウンポータルを発動するまでの時間を稼いでください!」
「はぁ!? 何で俺が魔王軍の撤退に手を貸さなきゃいけないんだよ!」
「魔王軍のためじゃなくて余のためだと思って! 今度おやつあげますから!」
「っ……! さっき言ってた貸しはこれでチャラだからな!」
汚泥の湖の上を進むディアマンテの肩に座ったミカエラがとんでもないこと言ってきたんだが。言いたいことは山程あったが、仕方なく引き受ける。ああもう、どうして俺はこうもミカエラに弱いんだろうなぁ。
ミカエラは真剣な面持ちで湖の中央まで進み、権杖を天高く掲げると集中し始めた。おそらくはこの汚泥を丸ごと一気に魔王城へと帰還させるために特大の転送穴を作るつもりなんだろう。ミカエラであっても準備に時間がかかるのか。
「あーあ。やっぱりそういうことだったかー」
この場には相応しくない少し間が抜けた声が聞こえてきた。
それはこれまでも良く聞いたもので、今耳に入ってくる筈のないもの。
声の主は炎が燃え盛る川岸を歩いてやってきた。金髪巨乳の大女エルフの射手、ティーナが真面目な面持ちでこちらを見据えてくる。その雰囲気、威圧感、共に町にいた時とは全く違い、少しでも気を緩めるとすくみ上がりそうだ。
「湖の真ん中にいる聖女が魔王か? 傘下の邪精霊共が勝手な真似した尻拭い中みたいだけど、いつの時代も魔王は大変だなー」
「!? ティーナ、お前……」
「そっちの剣士は黒鎧の魔王を倒した勇者イレーネだな。でも見た感じ、真実は逆っぽいな。聖女の勇者を鎧の魔王が乗っ取ったのか。さしずめ勇者魔王かなー」
「ッ……。君こそ何者だい? ただのエルフじゃあないみたいだね」
イレーネが軽く息を吐いて魔王剣を一閃させると、先程大地に裂け目を発生させた斬撃がティーナへと襲いかかった。対するティーナは素早い動作で矢を弓につがえて射た。斬撃と矢は二人の中間地点ややティーナよりの位置で激突し……、
瞬間、爆発した。
激しい衝撃と熱風がこちらに襲いかかる。
俺はすぐさま盾で自分の身を守り、イレーネは兜を被って己の防具で受け止めた。
アレは確か魔法が使える弓兵が良くやる手口だ。矢にそれぞれの属性魔法を宿らせて火の矢や氷の矢として放つことが出来る。熟練した射手は風を付与して意のままに矢を動かして獲物を仕留められるらしい。
それにしてもイレーネの斬撃を相殺する程の威力がこもった魔法とはな。それもこの感じ、明らかに火炎魔法の類だろう。当たった瞬間に爆発したことから、使ったのは火炎魔法のファイヤーボール辺りか。
そう、火炎魔法をティーナは使った。
森の住人が禁忌とする、炎を操ってきたのだ。
燃え盛る炎を背にティーナは俺達の前に立ちはだかる。
魔王と聖騎士を相手にしてもなおその自信は揺るいでいなかった。
間違いない。彼女こそ人類史でも語り継がれる凶悪な魔王の一体だろう。
「焦熱魔王……生きていたのか」
禁忌の炎に手を染めたブラッドエルフ、それがティーナの正体だ。
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