第29話 聖女魔王、異変の元凶を糾弾する

 宿場町での一日は水の町から逃れてきた者達の救済も加わってとても忙しないものとなった。可能ならもう一日でも滞在を延長できないか、と神官から意見があがったらしいが、異変の解決こそ第一だと教会の意思は統一された。


 危険な場所に赴くことになる聖女の安全を少しでも確保しようと、教会は冒険者ギルドに正式に護衛任務を依頼。数名の熟練冒険者や有名なパーティーが旅に同行することになった。大げさな、と口に出そうになったが、それほど深刻なんだろう。


「じゃあ、今日からもよろしくなー!」


 そんなわけで、ティーナとは早い再会になった。


「水の精霊が住む湖が汚泥になった、ねぇ。何が起こったか予想つくかー?」


 道中、ティーナは一昨日と同じように馬車のかごの上に立って警戒にあたる。走行中でとても揺れるのに身体の芯は一切ぶれない。しかも向かい風に煽られても体勢が崩れない辺り、問題ないと豪語するだけあるな。


「水の精霊達は既に始末されてて湖は魔物が占領済み、とかか?」

「かもしれないなー。でもそれより手っ取り早い方法があるぞー。属性を転換させられて魔物化した、とかどうだー?」

「おいおい、神殿が建てられるほどの場所だったら大精霊すら住んでる可能性があるぞ。そうやすやすと堕ちるものか?」

「そうだなー。大精霊を寝返らせるってかなり苦労がいるもんな。じゃあ凶悪な呪いを発する魔道具を湖に沈めた、とかどうかな?」


 ティーナは結構お喋り、というか人との交流が好きなようで、話題が尽きることはなかった。主に俺が受け答えしたんだが、たまにイレーネも会話に参加することもあった。ミカエラが口を閉ざして聞くに徹したのは意外だったが。


 水の町に到着し、一同はただならぬ様子に衝撃を受けるばかりだった。


 水の町は水が豊富なだけあって水路が町中に張り巡らされ、小舟で移動出来るほどだと聞いていた。しかしその水路は全て汚泥が侵食しており、夜には泥状の魔物が徘徊する危険な侵入経路と化した。町の象徴たる中央広場の噴水は泥を汚らしく噴射しており、おぞましい。


「まずは町の安全を確保するぞ!」


 冒険者達は散開して泥状の魔物を退治する方針としたようだ。ティーナも町で一番高い鐘塔に昇って魔物を仕留めることにしたらしく、俺達に一旦の別れを告げて走り去っていった。


 で、ミカエラは彼女は魔物退治に動こうとせず泥の噴射口の広場にいたままだった。そのせいで俺もイレーネもこの場から離れられなかった。更にはミカエラは聖女の護衛という名目でこの場に残された冒険者の方をちらちら見て落ち着かない。


「で、俺達はどうする?」


 何かあるな、と察して小声でミカエラに話しかける。

 さすがは我が騎士、と言いたげにミカエラは喜びをあらわにした。

 そんな顔するな。また今度もミカエラの希望を叶えたくなる。


「まずは水の神殿に向かいましょう。話はそれからです」

「湖を浄化するのか?」

「それを含めて自分の目で確かめますよ」

「護衛の連中はどうする?」

「まきます。邪魔ですので」


 そんなわけでミカエラは泥状の魔物を退治するべく動き出し、冒険者共が追従するのを確認する。そして泥状の魔物を追いかけるふりをして冒険者共の追跡を振り切った。具体的には角を曲がってから建物の屋上まで跳んで彼らの目から逃れたのだ。


 □□□


 俺達はすぐさま湖の方へと向かう。湖に近づくにつれて段々と蠢く魔物の数は増えていったが、どういうわけか魔物は俺達を襲おうとはしなかった。これによって推測は段々と確信へと向かっていった。


「これが水の神殿……? 酷いもんだな」


 たどり着いた湖は確かに汚泥で埋め尽くされていた。湖から流れる川には水の代わりに汚泥が流れている。以前の水源汚染の時のような臭さは一切無いが、ガスとして噴出する瘴気はより質が悪くなっていた。


 そして、湖の畔に建てられた神殿は泥まみれになっていた。へばりつく泥は日光を浴びても一向に乾燥する気配が無く、神殿の柱、壁、床、天上の全てを今もなお汚していた。


「中に進みましょう。遭遇する魔物は倒しては駄目です」

「倒さなくていい、じゃなくて、倒しちゃ駄目なのか?」

「はい。絶対駄目です」


 神殿の中を徘徊する魔物は泥人形と泥の巨人、マッドパペットとマッドゴーレムが占めていた。俺達を視界に収めると最初は警戒を顕にするものの、すぐさま大人しくなって徘徊を再開した。


 ミカエラは途中すれ違おうとしたマッドパペットの肩に手をかけ、その顔面を権杖で思いっきり叩く。するとその部位だけ泥が乾き、やがてひび割れしてその中身があらわになった。


「っ……!?」


 中から出たのは人間の顔だった。目は虚ろで、目の前で手を振っても大声で呼びかけても反応が一切無い。鼻、口には泥が詰まっていて、身体の中まで泥だらけになっているのだと察せられる。


 やがてあらわになった人の顔は乾いていない泥に埋められていく。そして再び泥人形と化した彼は神殿内の徘徊を再開した。まるで俺達を気にする様子も無い。考える頭脳が無いのか、それとも与えられただろう命令の範囲外なのか……。


「神殿にいた神官達がどうなったか、アレが答えです」


 つまりは、泥の魔物が神官達に覆いかぶさって彼らの身体を乗っ取ったのか。

 もはや魔物の生きる動力源でしかない、ってことかよ。


「ああなったら最後、並大抵の手段では中の人は助けられません。敵の数は減らせて味方は増強出来る。実に効率的な戦術でしょう?」

「まさかと思うが、コレはミカエラが指示したのか?」

「その答えはこの先にありますよ」


 ここでようやく分かった。

 ミカエラは静かに怒っていた。この異変に対して猛烈に。

 不謹慎ではあるが、それが分かって安心する自分がいた。


 やがて俺達は解放された空間にやってきた。どうやら湖に向けて祈りを捧げる場らしい。本来なら神聖で厳粛な祈祷や儀式に使われるのだろうが、汚泥にまみれて禍々しい雰囲気に満ちている。何より眼前に広がる汚泥の沼からは邪悪さを感じずにはいられなかった。


「出てきなさいディアマンテ! 言い訳ぐらい聞いてあげましょう!」


 ミカエラの命令に従うように汚泥の一部が盛り上がった。やがて汚泥は人型になっていく。第一の印象だが、美しく清らかな水の精霊ウンディーネが泥まみれになって歪んでしまった成れの果て、と表現すればいいだろうか。


 汚泥の女は湖から這い出るとミカエラの方へと歩み寄っていき、少し距離を置いた位置で立ち止まった。すると彼女は跪き、恭しく頭をたれた。聖女に、ではない。魔王としてのミカエラに向けて。


「ごれはごれは魔王ざま。ご機嫌麗しゅうございます」 


 これで明らかになった。

 この異変は魔王軍の仕業で、だからミカエラは終始浮かなかったのだ。

 今もなおミカエラは腹が立っているようで、ディアマンテと呼ばれた汚泥の女を見下ろす視線は厳しく鋭い。


 そんなミカエラはどうも似合ってないので、俺はミカエラの脇を肘で小突いた。

 なんかミカエラ、「ひゃあっ!?」とか可愛らしい悲鳴をあげたんだが。

 で、何か涙目でこっち睨んでくる。そんなに驚いたか? すまんね。口笛でも吹いてごまかしとくか。あ、駄目か。


「ニッコロさん。この恨み、絶対覚えていてくださいよ」

「前も言ったが自分達だけで話を進めないでこっちにも説明してくれ」

「……そうですね。一旦冷静になって状況を整理しますか」


 開き直って言いたいことだけ言うと、ミカエラは軽く咳払いをして間を置きつつ、ディアマンテを指し示した。


「彼女はディアマンテ。魔王軍六大軍団のうち邪精霊軍を率いる軍長です」

「よろじぐ、魔王ざまの騎士殿」


 ディアマンテは俺に対しても軽くお辞儀をした。妖魔軍長のグリセルダもそうだったが、基本的に俺は魔王軍の中でもミカエラの騎士として知れ渡っているようで、かつミカエラの側にいることが認められているようだ。腹の中はさておき、な。


 まず精霊とは世界を構成する元素を司る普段は目に見えない存在のこと。地・水・火・風を司る四大精霊が最も有名で、更にその上位には光の精霊が存在する。精霊が存在しなければ世界が滅亡する、とまで言われるほど重要な自然霊なのだ。


 一方、邪精霊とは闇の精霊を頂点とした地・水・火・風などの精霊の総称らしい。精霊と邪精霊は本来表裏一体で共に世界にいなくてはならないが、その性質上邪精霊は人類に害を及ぼしやすい。よって邪悪なる精霊と呼ばれるようになった。


 邪精霊軍は正統派、つまりルシエラを魔王にしようとした派閥の軍勢を粛清で解体した後に新設されたそうだ。邪精霊達が魔王に与するかは時代によって異なり、時には魔王軍と敵対して全面戦争に発展したこともあるそうな。


「で、このディアマンテですが……魔王派なんですよね」


 あー。正統派の独断専行でもなかったってことか。

 こりゃあ複雑な事情がありそうだわな。

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