第23話 聖女魔王、その悲願を告白する
「ニッコロさん、今日時間はありますか?」
「ん。まあ、一応は」
いよいよ聖地を明日出発することになった。
大教会は何とかミカエラに留まってもらおうと説得を続けてきたが、聖地巡礼の旅を続けるのだと伝えて尽く断った。更にはイレーネも同行すると表明したことで大教会どころか聖地全体が阿鼻叫喚。今はようやく落ち着いてきてるが、明日出発する際はどんな騒動が起こることやら。
俺は聖女達の事情なんて知ったこっちゃないので、粛々と旅支度を進めた。次の聖地にはどう行くか、途中どの町に泊まってどこで野宿するか、移動手段は、荷物はどこまで揃えるか、などやることは腐るほどある。
それでも時間は捻出出来なくもない。俺はにこやかに語りかけてきたミカエラの誘いを受けることにした。買い出しか一日で出来る奉仕活動か知らんが、とにかくミカエラに付き合ってやろう。
「じゃあ今からいいですか?」
「随分と急だな。別にいいけれど、どこに行きたいんだ?」
「魔王城です」
「……はい?」
自分の耳を疑って思わず聞き返す。
しかし、彼女が次に発した力ある言葉が決して聞き間違いではないことを示した。
「タウンポータル」
突如自分の足元に開いた闇の穴に真っ逆さまに落ちていく。闇に沈む、という表現は間違ってるな。こりゃあいきなり床が無くなって落下する、が正しい。そして底なしの闇へと落ち続ける、なんてことはなく、わりとすぐに底が見えた。
「い、てぇぇ……!」
かろうじて上手く着地できた。体感的には二階から一階に飛び降りた感じか。でも人は膝ぐらいの高さしかない段差でもわりとあっさり死ねるから、とっさに上手く着地出来た自分を褒めたいぐらいだ。
周囲を伺うと、そこは先程まで自分がいた大教会の一室ではなかった。直方体ではなく円柱の形をした広い空間、天井と床には巨大な魔法陣が描かれ、今もなお淡く輝いている。壁にはずらりと松明が炎を灯していて、窓がないのに明るかった。
帰還魔法タウンポータル。瞬間移動を可能にする魔法はテレポーテーションやエリアワープなど色々とあるが、このタウンポータルは自分が帰還地に設定した場所にしか移動出来ない。だから主な用途は冒険や旅の中断、帰省、そして緊急脱出か。
そして、昨日この魔法でラミアのフィアンマを帰還させたことからも、ミカエラのは帰還先に聖都を設定していない。彼女は何か目的があって聖女になっただけであって、本来の帰る場所はこちらなのだろう。
「ここが魔王城……」
「ようこそ魔王城へ、ニッコロさん。余は我が騎士を歓迎しますよ」
俺はミカエラに手を引かれて転移の間とやらから出る。どうもここは本来魔王軍が遠征に行った際に大規模な部隊が帰還するための場所らしい。なので自由に使えるのはミカエラを初めとしてごく限られた一部なんだとか。
俺を案内するミカエラは先程と同じく祭服を身にまとった聖女姿のままだ。それでよく魔王の本拠地である魔王城を徘徊出来るなぁ、とか馬鹿な考えが浮かんだが、そう言えばそもそもミカエラが魔王だったっけか。
「あのさ、ミカエラ。人間の俺がうろちょろして問題無いのか?」
「余の側にいれば全く問題ありません!」
「いや、でもさ。正統派とか言ったっけ。魔王軍をまとめきれてないんだろ?」
「余が魔王になってからだいぶ掃討したんですけれどね。ま、さすがに余がいるのに馬鹿な真似はしてきませんって」
視界に入らないだけでこの空間全体から漂う空気、ここは明らかに俺がいていい場所じゃない。おそらく魔王城にいる魔物は全て強大な力を持つ個体ばかり。俺では成すすべなく無駄に命を落とすだけだろう。
内心でビビりまくりながらもミカエラの後に従う俺だったが、前方からやってくる存在が二人いた。一体は恐怖に飲まれそうなぐらい圧倒的な威圧感を漂わせる巨大な邪竜、もう一体は水銀のような銀色に輝く液体金属のように見えるこれまた巨大なスライムだった。
邪竜とスライムはミカエラの方へと向かっていき、ミカエラもまた歩行速度を変えない。こうなりゃ度胸だけだと虚勢を張ってミカエラに従った俺。双方の距離が近づいていき……先に動きに変化を見せたのは相手側だった。
邪竜は胴体部の顔と腕部の双頭をそれぞれ床に伏せた。そして胴体部から映える人間ほどの大きさをした蝿の擬人化といった感じの上半身は、まるで女性が生贄に捧げられて邪竜と一体化させられたような印象を覚えた。
スライムは少し平たい団子のような形をした身体を蠢かせ、先の方にやはり人間の大きさをした女性の人型を形作った。形だけで銀色のままだし身体の細部までは再現していない。意思疎通のための手段、あるいは疑似餌、という単語が思い浮かぶ。
蝿女とスライム女は、それぞれミカエラに恭しく頭を垂れた。
「お帰りなさいませ、魔王様」
「ご命令通り人払いは済ませていますー」
二人が示したのは臣下の敬服だった。
「ご苦労さまです、ドゥルジ、ゾーエ。用事を済ませたらまた教国連合領地に戻ります」
「畏まりました。その間、反逆者達の粛清は進めていきます」
「ええ、うるさく飛び回らないよう徹底的に駆除しておいてくださいね」
「御意に」
反逆者、正統派を名乗る連中のことか。ヴェロニカを初めとしてかなりの数がなおも正統後継者を指示しているのがこのやり取りからも伺える。魔王軍の統一が終わったら時こそ再び人類は災厄に見舞われることだろう。
「魔王様ー。そちらの方は聖女になった魔王様の聖騎士ですかー?」
「そうです! ニッコロさんは余を盾となって守る我が騎士です」
「食べちゃってもい――」
「――消滅させますよ?」
「いやーん怖ーい。冗談ですって。じゃあ手合わせ願うのはー?」
「んー。今は駄目です。後でならニッコロさんが良いって言えば、ですかね」
ミカエラ、今一瞬背筋が凍るぐらい低く唸るような声を出さなかったか? 斜め後ろにいた俺にはミカエラの表情は伺いしれなかったが、ドゥルジと呼ばれた蝿女が恐怖で表情を引きつらせた辺り、俺には想像もし得ない顔をしてたんだろう。
それと、何ちゃっかりとんでもない約束してるんだ。こんな湖の水が全部スライムになったような大きさしたゾーエに俺が勝てるわけないだろ。魔法が使えない俺にとっては高位のスライムは相性最悪なんだよ。打撃が効かないからな。
「それとーグリセルダちゃんからの報告聞きましたよー。鎧の魔王を復活させたらしいですねー。勇者イレーネの肉体を乗っ取ったんだとかー」
「自称ですけどね。実は勇者イレーネが魔王に洗脳されて悪堕ちしただけかもしれませんし」
「次に向かわれる聖地は焦熱の魔王縁の地と聞いていますが、道中は――」
「あー、ちょっとちょっと。報告と雑談は後です後! 用事が先です」
「あらーごめんなさいー」
「では報告書をまとめますので、後ほど目を通していただければ」
ドゥルジとゾーエはそれぞれミカエラに道を譲り、俺達はその間を通って先へと進む。ゾーエの言った通り進行方向には誰もおらず、広大な廊下にはミカエラと俺だけがいた。
「ドゥルジは魔王直轄軍長です。旧邪神軍の幹部でしたが、あの軍は正統派だったので余が魔王に就任した時に解体、大規模に粛清して、何割かを余の直属にしました」
「旧邪神軍」
「ゾーエはスライム軍長ですね。旧悪魔軍っていう正統派の最大派閥を解体したのに伴って新たに組織しました」
「旧悪魔軍」
情報過多だな。頭の片隅にだけ入れておいて、しばらくは忘れていていいだろう。
それにしても掃討だと粛清だの、ミカエラは魔王になってから反対派勢力を尽く潰してきたんだな。ミカエラとは学院時代からの付き合いだが、そんな容赦ない真似をするなんてとても考えられない。
もしかして、聖女として振る舞うミカエラは単に演じているだけで、本当のミカエラは世の中に伝わる他の魔王と同じく、人の心が分からない、人とは相容れない存在なんだろうか?
「そんなことないですよ」
「またそうやって人の心を読む。本当は読心術なんて嘘なんじゃないか?」
「ニッコロさんの顔に書いてますよ。嫌ならお面でも被ってみてはどうですか?」
「やなこった。息苦しくなるだけだ」
「逆ですよ。魔王としての余はそう振る舞っているだけで、聖女としての余の方が素なんです」
「……そうなのか」
廊下を抜けた先に広がっていたのは庭園だった。聖地では日光が降り注ぐ昼間なのにそこは月が輝く闇夜で、様々な色の薔薇が月光で照らされていた。あまりにも美しく幻想的な光景に思わず息を呑む。
薔薇園の狭い通路を抜けた先にあったのは、薔薇の中に埋もれた透明な箱だった。その中ではミカエラに良く似た、年齢も近いだろう可愛らしい少女が眠るように横たわっている。それはまるで、棺が安置されているようだ。
「紹介します。彼女は余の妹、ルシエラです」
「あー、道理でミカエラと似てるわけだ」
「そして、魔王の正統後継者として魔王刻印を持って生まれ、余と魔王継承の儀で戦い、余がこの手で殺しました」
「……!」
正統派、と名乗る連中はこのルシエラを魔王にしたがっていたのか。そしてミカエラがルシエラを倒してしまったことを認められないでいるわけか。そう思うと何だか哀れなものだ。
そして、自らの手で妹を殺めてしまったミカエラの心境は想像を絶するだろう。現に隣の彼女は今にも泣きそうなほど悲痛な顔をしていた。権杖を握る手も力がこもって腕が振るえるほどだった。
「余が頑張ってきたのはルシエラだけには誇れるお姉ちゃんでありたかっただけだったのに、凄いよって言われたかっただけなのに……! 余は、ルシエラに何も出来なかった!」
俺は今ここで初めて本当のミカエラを知ったような気がした。
これがミカエラが抱える闇で、ミカエラの思いの根底で、今に繋がる出発点だ。
ミカエラは棺を優しく撫でた。とても愛おしそうに。浮かべる表情は愛する妹を安心させるように慈愛に満ち溢れている。しかしとても寂しさと物悲しさも同時に感じさせて、儚い印象も覚えた。
「余が聖女になったのは人を救いたいんじゃありません。ルシエラを蘇らせたいんです。すれ違ってばかりでしたけど、余の大切な家族なんです……」
「死者蘇生の奇跡、リザレクションを習得して、か」
魔法には死者を蘇らせる術がない。あくまで俺の知る限りでは、だが、魔王にまで上り詰めたミカエラが聖女となったことからも、強大な魔力があれど人生を終えた者を呼び戻すのは奇跡にすがる他ないのか。
道理で聖地巡礼だとか救済だとか理由をつけて旅をするわけだ。聖女としての経験を多く積んで、少しでも早く境地に至りたいんだろう。聖地に留まってぬくぬく人々の希望の象徴してたらいつまでかかることやら、だもんな。
「余は、ルシエラと仲直り出来るでしょうか?」
「ミカエラなら楽勝だろ。誰ともすぐ仲良くなれるんだからさ」
「余を軽蔑してますか? こんな自分勝手な動機で聖女になってしまっていて」
「それこそ今更だろ。人のため、なんて純粋な自己犠牲だって結局は自分が満たされたいからだし」
今にも消えてしまいそうだったからか、俺は思わずミカエラの肩を抱いていた。ミカエラも俺の胴体に腕を回し、俺に寄り掛かる。
こんな華奢で小さな身体をしてるくせに、背負ってる思いが大きすぎる。少しでも肩代わり……いや、そんなみみっちい事は言わない。ミカエラごと抱えて突き進むぐらいじゃないとな。
「ごめんなさい。もう少しこのままでいいですか? すぐに元に戻りますから……」
「たまにはいいさ。俺なんかで良ければな」
「ニッコロさんがいいんですよ、我が騎士」
「何で俺がミカエラの目に留まったかもそのうち教えてくれな」
暫くの間、俺達は静かにその場に居続けた。
そして新たな聖地に向けての旅が始まる。
そこで何が待ち受けているにせよ、俺はミカエラと共にいる。
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