第22話 勇者魔王、妖魔軍副長を撃破する

「僕に用事があったんでしょう? さあ、かかってきなよ」

「ぐっ! 人間ごときが舐めるなぁ!」


 残っていたヴェロニカの部下らしいラミア二体がいっせいにイレーネへと突撃していった。口が大きく裂け、目の瞳孔が蛇と同じく細くなり、人とは似て非なるまさに魔物と呼ぶに相応しい変貌ぶりだった。


 そんな圧倒的暴力を前にイレーネは、まるで木の枝を振るうかのように軽々と両手剣の魔王剣と聖王剣を振るった。イレーネ本人も敵の懐へ飛び込んでの反撃、あまりにも早い動作だったためラミアは全く反応できず、胴体を両断された。


 あっという間に敵を始末したイレーネは、しかし表情が浮かなかった。


「……大人気なかったなぁ。止めておこう」


 イレーネはせっかく格好良く決めたにもかかわらず、聖王剣と魔王剣を共に納刀した。代わりに抜いたのは脇に差していた小剣。光を飲み込むような闇の塊だった魔王剣と違って、漆黒の刀身はまるで黒水晶のように輝いて見えた。


 脇差しとも言う小剣は間合いが短いからあくまで補助的な武器。イレーネほどの達人なら魔王剣一本で事足りただろうし、本来不要な筈だ。にもかかわらずそれに持ち替える意味があるとするなら……、


「君達まとめてこれ一本で十分かな」

「「「ほざけぇえっっ!!」」」


 完全に侮っている。魔王軍の精鋭達を。


 頭にきたハーピィやスピンクス共がイレーネに飛びかかるが、今度は振り下ろしてきた腕を断ち切り、脚を切り落とし、身体を引き裂く。振り下ろされた脚の肉を削ぎ、胴の心臓付近に一突き入れ、首を掻き切る。翼を広げて上空へと逃れようとした妖魔に向けて小剣を投擲、額を貫通した。


「ぜ、全滅……。あんな一瞬で……」

「んー、質が落ちたかなぁ。僕が知る妖魔達はもうちょっと強かったような……」


 愕然とするヴェロニカに対してイレーネはつまらなそうにぼやくのみ。そりゃあ傍から見たら死闘ではなく一方的な蹂躙……いや、もはや害獣駆除程度を済ましているようにしか見えなかった。それだけ戦いこそ生きる意味だと豪語するイレーネを満たすものではなかったのだろう。


「おいミカエラ。イレーネにああ言われてるぞ」

「そりゃあヴェロニカの部隊だけで戦えばそう言われても仕方がないですね。妖魔はサキュバスやヴァンパイアを初めとして多くの種族がいます。各々の特徴を活かし、徒党を組んで歯車ががっちり噛み合った戦いをしてこそ、妖魔軍は本領を発揮するんですから」

「つまり、本来ならあそこにグリセルダ達の援護が入ると」

「だからヴェロニカ達には従ってほしかったんですよねー。残念ですよ」


 もはや正統派を名乗る造反組で残るのはヴェロニカとその腹心らしきラミアが一体だけ。ヴェロニカの実力の程がさっきのミカエラの説明通りなら、もう勝負は付いたと言い切っていいだろう。


 それでもヴェロニカ達は戦意を失っていない。それどころか憎悪すら発しながら、今度はヴェロニカ自らがイレーネへと飛びかかった。六本の曲刀で次々と斬りかかる攻勢にイレーネは小剣一本で凌ぐものの、反撃には転じられないようだった。


「いつまで余裕でいられるかな? かあぁっ!」


 ヴェロニカは更に口から炎を放射する。虚を突く攻撃だったがイレーネはそれも小剣一本で断ち切る。炎を両断するほどの鋭い斬撃っていかに達人でも小剣で出来るものじゃないんだが、それだけ彼女の剣技が研ぎ澄まされているんだろう。


 イレーネは隙をついて刀を持つ手をめがけて小剣を振り下ろすが、ヴェロニカは別の刀でそれを防御。他の刀で反撃するも、イレーネは小剣を持っていない方の手を巧みに使ってそれをいなす。


 そんな一進一退の攻防を繰り広げていたが、先に均衡を崩したのはイレーネの方だった。


「なっ!? 武器破壊!?」


 イレーネの一突きで曲刀の一つが折れる。どうやらイレーネは曲刀の同じ箇所に攻撃を入れていたらしく、ヒビが入ったことに気付かれないまま、とうとう致命的な一打を与えられたようだ。


 六本が五本に減り、五本が四本に減る。段々とヴェロニカは劣勢に追い込まれていった。最初はその巨体を活かしてヴェロニカが前に出る形だったが、次第にイレーネが踏み込む率が多くなる。


「その首、貰った!」

「な、めるなぁぁ!」


 とうとう四本目を折って敵の防御が崩れたことを見計らい、イレーネはヴェロニカの首めがけて小剣で突きを放った。ヴェロニカはとっさに三本の腕でかばう。一本目の腕は断ち切られ、二本目の腕は骨を立たれて皮一枚でぶら下がり、三本目の腕が小剣を受け止めた。


「フィアンマ今だぁぁ!」

「畏まりッ!」


 ヴェロニカが叫ぶ前に最後のラミアは動いていた。フィアンマと呼ばれたラミアはイレーネの背後から飛びかかり、手にした何かをイレーネに乗せた。イレーネが腹を蹴ってどかしてももう遅く、ソレはしっかりとイレーネに被せられていた。


「は、ははは……ははっ! やった、やったぞ!」


 間合いを離したヴェロニカは歓喜の声をあげて打ち震える。フィアンマもまた喜びをあらわにしてヴェロニカの側に駆けつけた(実際は下半身が蛇だから素早く這ってなんだが)。


 イレーネの頭にあるソレはサークレットか。真正面に何やら禍々しく濁りきった漆黒の石がはめ込まれている。頭を囲う金属部分も漆黒の石に染められたように濃い紫色と黒がまだら模様となっている。見るからに呪いのこもった装備品だった。


「その冠には意思が宿っている! いかに勇者とて体を乗っ取られれば成すすべはないだろう。制御している鎧の魔王ごと我々の軍門に下るがいい!」

「な、なんてことを……」


 誇らしげにネタばらしするヴェロニカと手を口元に当てて愕然とするグリセルダ。確かに絶望的な状況に見えなくもないんだが……事情を知っている俺からしたら笑いを堪えるのが精一杯な喜劇にしか見えない。ほら、ミカエラだって口を押さえて吹き出しかけてる。


 いや、だって、ねえ。

 既に勇者イレーネの身体は鎧の魔王に乗っ取られてるんだよ。

 あの漆黒の石がどれほどのものか知らんが、魔王に敵うわけないだろ。


「魔王様……?」

「え? あー、見てれば分かりますよ」


 グリセルダは俺やミカエラの反応を不思議に思ったようで、たまらず声をかけてきた。ミカエラは笑いを飲み込んで前を見るように促す。眉をひそめながら再び前方へ向き直ったグリセルダが次に目撃したのは、とんでもない光景だった。


 なんと、あの邪悪なサークレットが突然甲高い音を立ててひび割れ、砕け散ったのだ。それはまるで断末魔の悲鳴をあげたようで、漆黒の石も粉々になる。地面に落ちた欠片をイレーネは踏み付け、更に踏みにじった。


「『僕』はもう僕のものだ。誰にも手出しはさせない」

「あ……ああ……」


 勝負を見守る大教会の聖職者達には勇者がまた呪いに打ち勝ったように見えたことだろう。しかしサークレットがどんなものか把握してるだろうヴェロニカにとっては真相を突きつけられたに過ぎない。


 復活したのは勇者ではなく魔王なのだ、と。


 イレーネは小剣を収め、魔王剣と聖王剣を抜き放つ。静かに、ゆっくりとした動作で構えを取り……天地を揺るがすほど膨大な魔力を開放させた。比喩なんかじゃない。本当にその瞬間に大地や空気が震えたのだ。


「それなりに楽しめた戦いにケチを付けた報い、その身に受けてもらおう」


 魔力はやがて聖王剣に光を、魔王剣に闇を宿らせる。光は世界を照らす太陽のごとく眩く輝き、闇は世界を覆い尽くす天幕のごとく暗く渦巻く。相反する力はしかしイレーネの手で完全に制御され、反発すること無く秩序を伴っていた。


 恐怖に支配されたヴェロニカは、それでも戦士だった。やぶれかぶれであれど渾身の一撃を放たれまいとイレーネへと飛びかかったのだ。それは今日見た中でも一番早く、気迫があった。


「十文字斬り」


 聖王剣で一閃、魔王剣で一閃。

 光と闇の一撃はヴェロニカを十字状に斬り、彼女の肉体を消滅させた。

 辺り一帯を衝撃波が襲い、明るさと暗さが混在する不思議な現象が生じる。


 後日、ミカエラが言うにはこれは大聖女だった勇者イレーネが得意とした邪悪を退ける奇跡、グランドクロスらしい。勇者イレーネの肉体を我が物にした魔王イレーネはその技術も習得し、光と闇両方を退ける必殺技に昇華したんだとか。


 強大な魔物を退治したことで大教会の聖職者達はイレーネの前に跪き、感謝と祈りを捧げた。幸か不幸か、彼らにとっては新たな勇者伝説に立ち会えたことになる。おそらく今回の一件は歴史にも刻まれることだろう。真実はどうあれ、な。


「う……うぅ……ヴェロニカ様ぁ……」


 残されたフィアンマは打ち拉がれ、涙をこぼして嗚咽していた。既に戦意は完全に失っていて、ヴェロニカの弔い合戦は挑まないようだ。

 そんなフィアンマにイレーネは歩み寄り、魔王剣を振りかぶる。敵対した相手を見逃すような甘い真似をするつもりは微塵も無いようだ。

 ちらっとグリセルダの方を見たが、彼女は顔を強張らせて見つめるばかり。騒動を大きくする危険を犯してまで彼女を助ける選択はしないらしい。


 だから、あの妖魔はもうおしまいだ。


「タウンポータル」


 ――超越者が救いの手を差し伸べない限りは。


 フィアンマの真下に闇が広がった。彼女の身体は闇の底へと真っ逆さまに落ちていく。さすがにイレーネも追撃を加えようとはせず、飛び退いて闇の穴から逃れた。フィアンマを飲み込んだ闇は用が済んだとばかりに縮んで消える。


 着地したイレーネが見据えた先は……ミカエラか。ミカエラは獲物を横取りされたイレーネから発せられる敵意を平然と受け止め、不敵な笑みを浮かべるのみ。


 二人の魔王が見つめ合うことしばしの間。最初に戦意を解いたのはイレーネの方で、深く息を吐いてから剣を収めた。ミカエラもまた普段の調子に戻って思いっきり体を伸ばし、にかっと笑う。


「貸一つですからね、グリセルダ」

「今のは魔王様が……?」

「帰還魔法タウンポータルのちょっとした応用です。今頃フィアンマは魔王城の転移の間にいますよ」

「……! ありがとうございます」


 これ以上グリセルダが優秀な部下を失わせないための配慮か。忠誠を誓った直属の上司を失ったフィアンマを説得出来るかは彼女次第だろうがな。


 ともあれ、これで妖魔軍正統派の反乱は鎮圧された。

 しかし、同時にこの一件は人類にとってとてつもない意味を持つことになる。


 即ち、既に新たな魔王が誕生し、魔王軍が組織されていることが知られたのだ。

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