第92話 閑・六次の隔たり


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「おー、そうかそうか。うまい具合に潜り込めたか」


 陳列物の大半が二束三文未満なガラクタで占められた、身の置き場もない店頭。

 その奥に陣取る、これまた書類やら何やらが乱雑に積まれた事務所。


「お前は口こそ固いが舌の回る方じゃねーからな。すこーし心配してたんだぜ?」


 天板の色も判別できないほど散らかった机上に投げ出した脚を組み替える所作。

 離煙パイプを咥えたまま紡がれる、滑舌の良い話し声。


「クルマはしばらく貸しといてやるよ。好きに使え」


 頬と肩でスマホを挟み、空けた両手は磨いたばかりの爪にマニキュアを塗る作業中。

 よく見れば髪も衣服も、周りの惨状とは裏腹、細かく手入れが行き届いている。


 重度のヘビースモーカーだった彼女が急にタバコを辞めたのは、一年ほど前のこと。

 身嗜みに気を遣うようになったのも、それと同じタイミング。


「あん? 例の失くなった剣? あー、アレな。全然ダメだわ、影も形も見当たらねー」


 処分する手間が省けたから、別にいいけどよ。

 至極どうでもよさそうに、そんな下の句が続く。


「ま、一応もうしばらく探してはみるがな。モノがモノだ、大事にはしたくねぇ」


 などと言いつつ、まったく気が進まないとばかりの億劫げな態度。

 あからさまに面倒くさがっている。十中八九なあなあで済ませるつもりだろう。


 もっとも彼女──吉田リオが足跡すら掴めていない時点で、およそ尋常ならざる事態。

 であれば放置しても問題ないという結論に行き着くのは、やや乱暴だが妥当でもある。


「つーか、そっちはどうなんだよ。やってけそうか?」


 乾きたての指先で、リオが手元を二度叩く。


 しばし間を挟み、スピーカー越しに紡がれる、溜息混じりの口舌。

 おおむね想像通りな返答だったらしく、小さく笑みをこぼすリオ。


「くくっ、だろーな。ま、もしヤバくなったら言え。条件次第で匿ってやる」


 一変して上機嫌に舌先を転がし、数分ほど気ままな雑談を重ねたのち、切られる通話。

 放り投げたスマホの画面にヒビが入るも、まるで気にも留めず、伸びをする。


「〈──オ話シハ、終ワッタカイ?〉」


 そんな頃合。リオではない誰かの声が、ふと室内に響いた。


「〈随分ト楽シソウダッタネ。キミ、イツモ仏頂面ナノニサ〉」


 しゃがれているのに甲高い。

 男とも女とも、幼子とも老人ともとれる、奇怪極まる聞き取りづらい音色。


「……盗み聞きとは相変わらず良い趣味だな。話すなら顔くらい見せたらどうだ?」

「〈オット、コレハ失礼〉」


 窓からの日差しを受けて伸びるリオの影が、まるで沼水のように粘っこく泡立つ。


 やがてその中から、ずるりと不快な音を撒き散らし、人間らしき輪郭が這い出てきた。


「いつの間にアタシの影に潜んでやがった」

「〈キキキキキ。ジンヤ君ガ今朝ココニ来タ時カナ。ソレマデハ彼ノ影ニ居タヨ〉」

「ざけんな」


 全身を包帯で雑に覆い、その上から薄っぺらい衣服を着ただけの痩せた女性。

 春も近付きつつあるとは言え、およそ三月にするような格好ではない。


 床を擦るほど長い黒髪。青白い顔は身体と同様、目元以外が包帯まみれ。

 その目元も、左目には無骨な眼帯をあてがい、右目は自身の瞼で固く閉じている。


 総じて薄気味悪い印象を植え付ける、悪い意味で人目を寄せる佇まい。

 一等にソレを際立たせるのは、右手に嵌めたハンドパペット。


 木製と思しき、幼児ほどのサイズ感。

 持ち手の女性とは逆に右目へとあてがわれた、同じデザインの眼帯。


 そして左目は、どういう仕掛けなのか、絶えずギョロギョロと動いている。

 造形そのものも妙に生々しい。瞳孔の微妙な収縮まで非常にリアル。

 ほとんど実物じみた、金色の瞳を持つ眼球だった。


「で、なんの用だ。店長アニキなら今日も今日とて音信不通だぞ」

「〈知ッテルトモ。ホント、ドコ行ッチャッタンダロウネ〉」


 包帯で塞がった本体の口に代わり、カタカタと上下し、言葉を織る人形の口。

 単なる腹話術なのか、或いは実際に人形が喋っているのか。


「〈ダカラ今回ハ、キミニ頼ミガアッテ来タンダ〉」

「頼み?」


 怪訝そうに小首を傾げ、返すリオ。


 客としても個人的な付き合いとしても、目の前の女性は古い馴染みである。

 が。わざわざ店に直接足を運んで依頼を持ち込まれるなど、今までなかった。


「……なるほど。厄介ごとの匂いがしやがるなぁ?」


 単なる気まぐれか、或いは万一にも他人に聞かれてはマズい話か。

 興味を動かされたらしく、机から脚を下ろし、女性と向き直る。


「とりあえず、話を聞かせてもらおうか」






「ウルハ」

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