第86話 遡上の契り②
眉間へとシワを寄せ、思い出すのも不愉快な記憶を掘り返す。
数ヶ月前に起きた一件──市内六ヶ所への、述べ百体を回る天使たちの出現。
犠牲者千人以上にも達した、もう誰もロクに覚えていない一大事件の顛末。
「あの時、協会本部は、たった一人の魔剣士すら派遣しなかった」
明らかに第五支部だけでは人手不足であったにも関わらず、ノータッチ。
俺や伊澄という勘定外の戦力がたまたま居なければ、被害は更に跳ね上がっていた筈。
「挙句、事件そのものに蓋をした」
俺たちの高校で離れ牢が起きた時と同じ。
恐らく、なんらかの悪魔のチカラによる認識の書き換え。
ひとまずの収拾から数日も経つ頃には、誰もあの出来事を気にしなくなっていた。
そうして他の些細なニュースと同様、時間と共に人々の記憶から風化し、消え去った。
……何人もの同僚や受け持ちの患者を、目の前で殺された姉貴すら、だ。
「ふざけやがって」
ふとした瞬間、今も克明に浮かぶ、駆け付けた病院の惨状。
あの全てが、取るに足らないものへと貶められたのだ。
──あまりにも、人命軽視が過ぎる。
「アレが協会のやり方なら、俺は認めない」
加えて、天獄の財宝に目が眩んだ政府による徹底的な管理と比護。
国から過剰な寵愛を受ける魔剣士たちが起こす傷害や殺人の件数は、年々増える一方。
「今のまま野放しにすれば、いずれ必ず取り返しがつかなくなる」
魔剣士に通常の武器兵器は一切通用しない。
そんな連中が挙って暴走を始めれば、警察や自衛隊などでは到底抑えられない。
或いは日本どころか世界の軍隊を相手取ろうと、歯牙にもかけず蹴散らすだろう。
精々千人ぽっちの寡勢が、八十億人を滅ぼす。
普通なら一笑に付して終わりの、けれども十二分にあり得る、あり得てしまう話。
「……お前、いつだか言ってたよな。協会を秩序ある組織にしたい、と」
伊澄と向き直り、真っ直ぐ目を見据える。
「俺も同意見だ。だから行くんだよ」
最悪の事態を予見し、そいつを変えられるかもしれないだけのチカラも手に入れた。
なのに何もせず隠れて過ごすなど、いつか予見が現実となった時、必ず後悔する。
第一、そんな心配を四六時中抱えて生活するとか、とんだストレスだ。
飯も不味けりゃ寝つきも悪くなる。QOLが底割れしちまう。
そう言葉を続けると、伊澄はしばらくポカンとし……やがて、歯を見せて笑った。
「そっか。じゃあ俺たち、一蓮托生の同志ってワケだな」
勢い良く肩に腕を回される。
火を使ってるから離れろ。危ない。
「分かった、ならもう止めねぇ! 今度ともよろしく頼むぜ、兄弟!」
揺らすな揺らすな。
鍋が落ちる。
「しかし、よくキリカさんが協会行きを許してくれたな」
…………。
「まだ姉貴には何も言ってない」
「へ?」
協会云々どころか、俺が魔剣士だということもな。
ほぼ毎日、明日の俺に妙案を期待してブン投げ続けてたら、いつの間にやら年度末よ。
はははのは。
〈やっと過労気味だった体調が良くなってきたのに、ショックで倒れかねないものね〉
まったくだ。
が、流石にこれ以上引っ張るのは難しい。
なので。
「もうじき帰ってくるから、そこで話す」
俺の言わんとするところを察したのか、伊澄の表情が歪む。
次いで、じりじりと距離を取り始めた。
「……あ、あー。ボク、そう言えば今日はソロバン塾があるんだった」
「そんなものを習っていたとは初耳だな」
「ついさっき始めてみようと決心したんだ! それじゃあ、お邪魔しました!」
逃がさん。
妙技「しかしまわりかこまれてしまった!」を受けるがいい。
「捕獲」
「うおぉ!? は、はなっ、離せぇぇ!」
誰が離すか。
一蓮托生の同志と言うなら、姉貴へのカミングアウトと説得も手伝ってもらうぞ。
なんかこう、上手いこと場を和ませろ。
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