第85話 遡上の契り①
今日は早めの解散となり、第五支部を後にしたのが数時間前。
かすみ窓の向こうでは、まだ少し西陽が残っている。
気付けば三月半ば。冬至を過ぎて久しく、だいぶ日も長くなってきた。
──なんか、あっという間だったな。
俺と姉貴の自宅。
四年余りを過ごした、オンボロの市営アパート。
年度明けには駅前のマンションに引っ越す手続きを進めている。
この台所に立つのも、あと半月ほどだろう。
……改めてそう考えると、妙な名残惜しさが胸の奥からこみ上げる。
ここでの暮らしは、苦労の方が多かった筈なのに。
「なあ」
そんなノスタルジーに浸っていたら、後ろから声をかけられた。
振り返ると、何やら思案顔の伊澄。
第五支部に集まる日はコイツを夕食に誘うようになったのは、いつ頃からだったか。
「さっきの話、本気か?」
なんのことだ、などと前置きを挟む必要も無い。
言葉は返さず、ただ肯定の意を添えて頷く。
「っ……別に、今のままでいいじゃんかよ。なんでわざわざ、あんなところに──」
「いつまでもは隠し通せない」
カラコンを外し、伊澄と同じ金色の瞳を晒す。
「近頃は一段と光が強くなってきた。誤魔化すのも限界に近い」
実際、姉貴や近所の人間に目の異常を勘付かれかけたのも、一度や二度ではない。
何かの拍子で周囲にバレるのも、ほぼ時間の問題。
「突発的に露見するよりは、こっちから出向いた方がいいと判断した」
適当なカバーストーリーも仕立て上げられるし。
「それは……そうかもしれないけどよ……」
苦虫を噛み潰したように俯く伊澄。
俺と違い、既に何度も協会に足を運び、内情を知っているからこその態度。
「……本当にロクでもない集団だぞ?」
陰口や中傷を嫌うコイツにここまで言わせるあたり、相当に筋金入りの組織らしい。
もっとも、真月や八田谷田という例を見れば、そんなことは嫌でも分かるが。
否。
むしろアイツらは、かなりマシな部類の筈。
なんだかんだ真月も、一般人相手に暴力沙汰とか起こしたりはしない。
初めて会った時、市街地で
「ジンヤ。お前の強さはよく知ってる。結局、今日まで一本も取れてないしな」
そこらへんは実力差と言うより、同調率の差が大きい。
ついでに、コイツの悪魔と俺の悪魔とでは、能力の相性もかなり悪い。
「けど、荒事嫌いのお前に協会の空気は絶対合わない」
無意識に伸ばされた指先が撫でた、首筋を一周する模様。
識別紋。魔剣士であることを表す目印がわりのタトゥー。
更に後頭部には、協会のサーバーへと位置情報を送り続けるタグも埋め込まれている。
「一度入れば、多分もう抜け出せないぞ」
「だろうな」
生きたまま魔剣を分離させる方法でも見つかれば、話は変わるかもだが。
まあ、どっちにしろ無理だ。
今更ジャンヌを手放す気は無い。
「考え直せよ。目の色くらい、どうとでも──」
身を乗り出し、言葉を続けようとした伊澄の眼前へと手のひらを突きつけ、制す。
「俺は何も、消極的な考えだけで協会行きを決めたワケじゃない」
一応、確たる動機がある。
差し当たり、ひとことで言い表すなら、そう。
「──気に入らないんだ」
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