第78話 憤怒の黒炎


 背中側から、へその少し上を中心に穿たれた腹部。

 杭を支点に足が床を離れ、身体ごと天井付近まで持ち上がる。


「ッぐ」


 指先が緩み、握っていた魔剣を取り落とす。

 さながらモズの早贄が如く、ジンヤは宙にピン留めされた。


「な……が……ッ」

〈ジンヤ!〉


 明らかな致命傷。

 身体強化エクストラ由来の高い治癒力を持つ魔剣士であっても、迅速な処置が必要な域の重体。


「ッッ──」


 いっぺんに押し出された肺の空気ともども、グラス一杯分はあろう鮮血を吐き散らす。

 痛みすら通り越した、燃えるような熱。


 そのお陰、と言っては皮肉だが、半ば恐慌状態だったジンヤは、少しだけ我に返った。


「ぐ、う、るうぅっ」


 鈍い所作で己の腹を突き破る杭の尖端を掴むも、全く動かせない。

 傷口の中に細長い棘が何本も刺さり、深々と固定されていた。


 もっとも、これはむしろ幸運だった。

 無理やり引き抜けば詮を失い、数十秒と待たず失血死した筈。


〈ジンヤ! 私を拾って!〉


 本体が手元に無いため、いつものように姿を現せないジャンヌが、焦燥を露わに叫ぶ。


聖炎ウェスタなら杭の一部分だけ消滅させられる! だから早く!〉


 抜刀した魔剣が宿主から大きく離れてしまうと、扱える魔力の絶対量は著しく落ちる。

 魔剣技アーツの発動に必要な出力には、まず届かないだろう。


 このままでは抜け出すどころか、流血を押し留める身体強化エクストラの力負けも時間の問題。

 そうなる前に拘束を脱し、治癒に尽力しなければならなかった。


 だが。


「……無茶、言うな……俺は、河童じゃないんだぞ……」


 縫い留められたジンヤとフランベルジュとの距離は、甘く見積もっても彼の腕五本分。


 魔剣に直接触れていなければ、もできない。

 誰の目にも、回収は不可能に等しい状況。


〈分かってる! でも、どうにかしないと──〉


 そして。事態は更なる悪化を迎える。


〈Hoooooooo〉


 甲高く無機質な天使のそれとは違う、低く唸るような発声。

 突如生じた空間の歪みから現れた、一体のバケモノ。


〈Hoooo〉


 腐りかけた肉、血まみれの骨を乱雑にパッチワークした、無理やりなヒトガタの輪郭。

 天使特有の黒い光輪ヘイロウを頭上に戴いていない、天獄を跋扈する、もう一種の存在。


〈『ヴラド』……やっぱり、コイツの……!!〉


 聖人ヴラド。

 己が魔力で無尽蔵に杭を生み出し、貫いた獲物の血で自らの渇きを癒す怪物。


 戦闘能力は

 第二段階へと至った魔剣士でも、生半可な腕前では返り討ちとなりかねない位階レベル


「……そう、か」


 ジンヤの思考へと流れ込む、ジャンヌが強く思い浮かべた情報。

 それによって、彼は理解した。


「お前、が」


 この場に広がる惨劇の元凶が、のこのこと目の前に出てきたことを。


「お前が……姉貴、を……ッ」


 平時において、ジンヤが感情を荒げることは、ほとんど無い。


 脳髄と神経網に特化した身体強化エクストラによる精神の鎮静化。

 併せて本人自身の、穏やかで争いを好まない気性。


 けれど──どんな人間にも、逆鱗は存在する。


〈ッ……だめ、だめ、ジンヤ、だめっ!〉


 弱まった身体強化エクストラの影響も合わさり、タガの外れやすくなった情動。

 湧き上がる憤怒。煮えたぎる憎悪。


〈落ち着いて! じゃないと、が──〉


 ジャンヌが先程以上に必死な様子で制止をかけるも、ジンヤには届かない。

 たとえ届いたところで、恐らく無意味だっただろう。


 真の怒りとは、およそ理性で宥められるような感情ものではないのだから。


「ころ、す」


 その激情に呼応するが如く、虚空に迸る、


 ──同時刻。吉田リオの店で保管されていた虚の剣が、忽然と姿を消した。


「殺す……!」


 失血で冷たくなり始めた指先を、炎に向かって伸ばす。

 握り潰さんばかりの力で、掴み取る。


「怒り、狂え──」


 次いで。かすれた声の限りに、知らない筈のなまえを吼えた。






「──『レイジング・ウィッチ』ッッ!!」

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