第77話 釣り針付きの血溜まり
〈──ジンヤ! 少しペースを抑えて!〉
踏み締めたアスファルトを砕き割り、或いは建物の壁を抉る。
そうして可能な限りの最短距離を、ほぼ減速無しで走り抜けて行く。
〈ねえ聞いてる!? スピードを落として!〉
直進時の体感速度は、優に時速三百キロメートルを超えているだろう。
これなら、数分あれば辿り着ける。
〈無茶よ! 足先にだけ
ジャンヌの叫びを体現するように、俺の五体はあちこちが軋んでいた。
ちらと視界に映る、蒼い炎を灯した両の膝下。
系統ごとの性質が露わとなる密度まで魔力を一極化させた証左。
一点のみに過度なリソースを費やせば、ヨソがおろそかとなるのは自明の理。
速度の維持や方向転換のために一歩を刻む都度、身体のどこかが悲鳴を上げる。
「っ……」
みぞおちのあたりに違和感。
次いで、鈍い痛み。
内臓を痛めたのか、器官を血が逆流し、口の端からしたたり落ちる。
「ぐ、くっ」
喉が詰まり、バランスを崩しかけるも、どうにか堪え、溜まった血を吐き捨てた。
併せ、一層と踏み込みを深め、更に加速。
──手足が折れようが、肺が潰れようが、構わない。
〈ジンヤ……〉
もちろん、俺だって命は惜しい。
けど魔剣士の回復力なら、この程度、致命傷には至らない。
何より、姉貴の命が懸かってる。
──たった一人の家族なんだ。
両親が事故で死んでから四年間、二人きりで生きてきた。
──まだ、何も返せていないんだ。
一緒に暮らすため、姉貴がどれだけ身を粉にし続けたか。
今でこそ多少マシになったが、昔は本当に毎日毎日働き詰めだった。
そのくせ、こっちが稼いだ金には一銭たりとも手をつけやしない。
俺の施設行きを嫌がったのは、自分のワガママだから、と。
離れて暮らすことを望んでいなかったのは、俺だって同じだったのに。
──脚は緩めない。
──そのせいで間に合わなかったら、俺は一生、自分を恨む……!!
声には出さず、胸の内で、そう告げる。
追随するジャンヌは、心配げに俺を見つめ……やがて諦めたように、姿を消した。
三度血を吐いた末、市立病院の正面入口前へと着地。
電源が落ちていた自動ドアを蹴破り、中に飛び込む。
そこはまさしく、地獄絵図だった。
「
半壊したロビー。
奥でこちらに背を向けていた
代わりに見渡したのは、あちこちに転がる死体。
その中に姉貴の姿が無いことを確認し、ひとまず安堵。
「あ……あぁ……ま……魔剣、士……?」
唯一生きていた、襲われる間際だった医師らしき風体の男へと歩み寄る。
焦点の定まらない瞳が、ずり落ちそうな眼鏡越しに俺を見上げた。
「どこだ」
生憎と悠長に落ち着かせている時間など無い。
気付けも兼ね、魔剣の切っ尖を突き付ける。
「胡蝶キリカは、どこに居る」
「姉貴!」
第二病棟四階。
主に一般入院患者の病室が並ぶエリア。
〈Laaaa──〉
「邪魔だ!」
出くわす天使は片っ端から斬り伏せ、蹴倒す。
亡骸が魔力となって剣身に吸い込まれる度、ここへ来るまでの負傷が癒えて行く。
けれども胸を占める焦燥は、凪ぐどころか荒立つ一方だった。
「くそっ、どこに……!」
医師から姉貴の担当フロアを聞き出し、駆け付けたものの、損壊が酷い。
生きた人間どころか、まともに原形を留めた死体すら稀。
──まさか、もう。
思考に浮かび上がる最悪の想像を振り払い、耳に魔力を集める。
──きっと自力で脱出したんだ。
微かな物音を掴み、弾かれたように出所へと向かう。
──これだけ探しても見当たらないなら、そうに決まってる。
ひしゃげて外れた扉が通路側に転がった病室。
室内を覗ける一歩手前まで着いた瞬間、身体が震えるほどの寒気を感じ、立ち止まる。
──なんて濃い、血の臭い。
頭蓋の内で鳴り渡る警鐘。
背骨を引っ掻く嫌な予感。
掌に爪を立てて震えを押さえ、最後の一歩を踏み出す。
「ッ……」
そこは酷い──いや、そんな言葉では表しきれない有様だった。
床を突き破る形で十数本が飛び出した、俺の脚よりも太い、真っ黒な杭のようなもの。
それぞれに貫かれた犠牲者たちの血が、床一面を赤黒く染め上げている。
「……………………あ」
そして。見付けた。
見付けてしまった。
血溜まりの中心にうつ伏せで倒れる、俺と同じ茶髪の、ナースウェアを着た女性。
見間違えるなどあり得ない、誰よりも見慣れた後ろ姿。
……ピクリとも、動かない。
「────」
再発する震え。こみ上げる吐き気。
息も脳髄も凍りつき、ただ立ち尽くす。
〈これは……まさか〉
そのうち、ふらふらと前に出た。
〈──ッ! 駄目、ジンヤ! 罠よ!!〉
ジャンヌが何か叫んでいたが、思考は依然と停まったまま。
単なる音としか、聞き取ることができなかった。
「姉、貴──」
通路と病室を隔てるドアレールを跨ぐ。
「──がッ」
直後。俺の身体は、黒い杭に貫かれた。
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