第73話 一寸先は


 あの離れ牢での一件以降、俺の高校内での立ち位置は、劇的に変わった。


「おはよう胡蝶くん」

「ああ」


 なんてのは冗談で、実のところ大きな変化は無い。


 以前と同様、クラスメイトたちとは挨拶を交わす程度の浅い付き合い。

 窓際の日当たりが良い席で、時折欠伸を噛み殺す日々。


 ……と言うか、例の出来事そのものが、いっそ不自然なほど話題にも挙がらないのだ。


 皆、学校で離れ牢が発生したこと自体は、しっかりと覚えている。

 だがしかし、それをと捉えていない。


 昨日の二限目は自習だったとか、購買の品揃えが増えたとか、精々そんな程度の扱い。

 休校明け初日、色々と覚悟を決めて教室に入った時は、随分な肩透かしを受けた。


 流石に妙だと思い、八田谷田に事情を尋ねたところ、分かりやすく説明を濁された。

 聞く相手を真月に変えたら、私もよく知らん、と実にテキトーな返答を貰った。


 薬物か、催眠術か、はたまた悪魔の能力か。

 確か『色欲ルスト』か『怠惰スロウス』あたりが、そういう方向性のチカラに秀でていた筈。


 具体的にどんな手を使ったのかは不明だが、生徒や職員の認識を書き換えたのだろう。

 悪魔によってはそういうこともできるのかと考えたら、なかなかにゾッとする話だ。


 ……もっとも、そのお陰で煩わしい思いをせずに済んだのも事実。


 集団の輪ってやつは苦手だ。混ざるだけで疲れる。

 二歩三歩引いたところに居られるなら、それが一番いい。


 …………。

 ただ、何もかも前と全く同じってワケでもなかった。


「オス胡蝶! 今日も良い天気だな!」


 クラスの中心で人だかりを作っていた伊澄が、目ざとく俺を見付け、寄ってくる。

 ほぼ真後ろを通ってたのに、視野の広い奴め。


「なあ聞いてくれよ! 実は昨日、ゲーセンのガンシューティングでハイスコアを──」


 口を開けば自慢話。

 しかし何故か不快感が湧かないのは、ひとえにコイツの人柄ゆえか。


身体強化エクストラで動体視力とかもアップしてるから、反射神経使うゲームとか楽勝で──」


 あと、こっちが黙ってても立て板に水で喋りまくるから、会話がラクで助かる。


「──お、そうだ! 見てくれよ、これ!」


 半分くらい内容を聞き流していたら、おもむろに眼前へと突き出された人差し指。

 小首を傾げつつ視線を向けると──小さなスパーク音を立て、が迸る。


「ッ」


 魔力が一定の密度を上回った際に起こる現象。

 思わず、息を呑んだ。


「ちょっとできるようになったんだよ! 魔力操作!」


 俺の憤怒ラースなら炎。伊澄の強欲グリードなら雷。

 身体強化エクストラ発動中に体表を覆う魔力は、密度を高めると系統ごとの属性が顕著となる。


 しかしジャンヌ曰く、生半可な者では不可能な高等技術。

 やはりと言うか、伊澄の同調率は相当に高いらしい。


「もうちょっと練習したら真月さんにも見せて驚かせてやろうと思うんだ!」


 そいつはやめておくのが賢明だ。

 たぶん発狂するから。






 前よりも少しだけ騒がしくなった学校生活。

 魔剣士となったことで、少々ばかり面倒の増した私生活。


 けれども、どうにかこうにか平穏な暮らしを続けられている。

 その幸運に感謝しつつ、今日も何事も無く過ごせると、なんとなく思っていた。






 正午のチャイムが鳴る五分前──異様な地鳴りと共に、までは。

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