七章 魔剣鳴動

第71話 ある朝の一幕


 魔剣を得てから、時折、同じ夢を見るようになった。


 ──っ……う……うぅっ。


 ひどく虚ろな、起きた時には忘れている夢。


 ──どうして……どうして私が、こんな……。


 重苦しい空気で満たされた暗い牢獄。

 その中で鳴り渡る、悲壮な泣き声。


 ──あぁ……ちくしょう……。


 いや、違う。

 泣き声じゃない。それだけじゃない。


 あれは、そう。


 ──憎い……。


 よどんだ沼の底で煮えたぎるような怨嗟。


 ──憎い……ッッ!!


 途方もなく深い──憤怒だ。






「だし巻きとスクランブルエッグ、どっちがいい」

〈悩みどころだけどスクランブルかしら。チーズとケチャップたっぷりでお願い〉

「了解」


 ちらと時計を見やれば六時前。

 換気用に開けた窓の外では、東の空が白み始めていた。


 今日は姉貴が早番だ。

 起きてくる前に、さっさと朝食を並べなければ。


「悪いが洗濯機回してきてくれないか。ちょっと手が離せん」

〈はーい〉


 ふよふよと浮かび、壁をすり抜けて洗面所兼脱衣所に向かうジャンヌ。

 程なく、電子音と水の流れる音が聞こえてきた。


 ……俺から離れられる上限は十メートル前後。

 生き物には干渉できない上に非力だが、植木鉢くらいなら持ち上げることが可能。


 そして、その行動によって起こるは、他人に一切認識されない。

 目の前でお手玉しようと飲み食いしようと、完全スルー。


 暇を見て色々と検証した結果、大体のは把握できた。

 発想次第では結構な悪事にも使えそうだが……今のところ、その予定は無い。






「弁当、カバンに入れとくぞ」

「うん」

「じっとしててくれ。寝癖を直す」

「うん」


 四人分の弁当を作り、洗濯物を干し、細々した家事をこなす。

 そうこうするうちに姉貴の出勤時刻となり、玄関に立たせて身だしなみを整える。


「今日は早く帰れるのか?」

「うん」

「俺も放課後はシフト入ってないから、晩飯の買い物したらすぐ帰る。何が食べたい?」

「……ざるそば……あと、ざるうどん……」


 了承を返し、見送る。

 少し間を空けて、怪訝そうにジャンヌが首を傾げた。


〈そばとうどんを纏めて食べる人って、かなり珍しいんじゃない?〉

「姉貴は口が小さいからな。麺類とか、細かく刻んだものが好きなんだ」


 逆にハンバーガーやドーナツみたいな、かぶりついて食べる系は苦手。

 ついでに猫舌。ラーメンなんかは、ひと口食べきるまでに残りが伸びる。


〈手のかかるお姉さんね。しかも寝癖ひとつまともに直せないなんて〉


 昔はちゃんと直せてたんだ。

 俺が家事をやるようになってから、見る見る生活力が衰えただけで。

 何故だろう。


「アレでも表じゃ割とシャキッとしてるんだがな」

〈ふーん〉


 あまり信用していない様子で扉をすり抜け、出かけた姉貴の様子を窺うジャンヌ。


 やがて戻って来ると、狐につままれたような顔をしていた。


〈……ホントにシャキッとしてた。すっごく仕事できそうな感じ〉

「だろ?」


 ほぼ詐欺ね、と失礼な感想が続く。

 気持ちは分からないでもないが、人の姉貴に対してなんたる言い草だ。

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