第54話 天獄街


「一度、近くで天獄を見ておきたかったのが、まず半分ですかね」


 店長代理──リオさんと二人でコーヒーを飲みながら、天獄街に来た目的を話す。


「遅かれ早かれ、あそこには足を運ぶ羽目になる筈ですから」

〈あーん〉


 小さく切ったケーキを、ジャンヌの口に運ぶ。


 傍目には急に消えたように映っている筈だけれど、それに誰かが気付いた様子は無い。

 すぐ目の前で見ている筈のリオさんすら、全くの無反応。


 もしかすると、姿だけに留まらず、その行動も周囲には認識出来ないのやも知れない。

 だとしたら、少し頭を働かせれば相当に使だ。


 ジャンヌ単体で、どの程度の行為まで可能なのか。要検証だな。


 閑話休題。


「正直、全く気は進みませんけどね」


 天獄の財宝にも、天使を喰らって強くなることにも、取り立てて興味は無い。

 あ、いや。若さを保てる霊薬とやらには、少しだけあるかな。

 姉貴にあげれば、喜ぶかもだし。


「……アタシとしちゃ、高校を出たら、そのままウチに勤めて欲しかったんだけどな」


 ふと窓の向こうに視線を投げ、小さな溜息混じりに呟くリオさん。


「お前は仕事が丁寧で、客の評判も良い。ついでに料理も美味けりゃ家事も得意と来た」


 働き詰めの姉貴に代わって覚えたに過ぎない。

 が、褒められて悪い気はしない。


「アタシに毎朝フレンチトーストを作ってもらいたいくらいだ」

「……好物なのは知ってますけど、それは流石に飽きませんか?」


 そう返すと、リオさんは何やら意味深長に微笑み、残りのコーヒーを飲み干した。






「──もう半分は、ここの空気を直に肌で感じたかったんです」


 カフェを出て、真新しい建物ばかりの街中を歩く。

 まあ一番古いものでも築五年程度なのだから、当然と言えば当然だろう。


「魔剣士協会の悪評は聞き及んでいますが、やはり自分の目でも確かめておきたくて」


 ネットや伝聞での情報など、どこまでアテになるか分かったものではない。

 だからこそ、魔剣士たちの居住区が設けられた天獄街を訪れた次第。


「先入観で何もかも決め付けるのは良くないですからね」


 ほら、もしかしたら噂とは正反対のホワイトな組織の可能性だって捨て切れない──


〈ねージンヤ。ほら、そこの建物の影。すごい量の血痕がこびりついてるわよ〉


 ──気にするな。きっとケチャップだ。


 微かに鼻腔を突く鉄臭さを無視し、足早に通り過ぎる。

 大丈夫大丈夫。希望を捨てるには、まだ早い。


「ッアァ!? 上等だテメェ、ブッ殺してやる!!」

「そりゃこっちのセリフだ! 生きて帰れると──」


 後ろで響いた怒声と、金属同士が激しく衝突するような音。

 まあまあまあまあ。ストレス社会を生きる現代人なら多少の喧嘩くらいやるだろ普通。


 …………。

 などと現実逃避に耽り、早くもここに来たことを後悔し始めていた頃合い。


「──やめろ! その人から手を離せ!」


 聞き覚えのある、具体的には高校の教室あたりで毎日のように聞いている声が。

 凛と、鳴り渡った。

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