第37話 胡蝶ジンヤの行動原理


 ──意識が、魔剣の内側に引き込まれる。


 瞬く間、視界の景色が移り変わって行く。

 黒い石造りの広間から、どこまでも広がる草原へと。


〈驚いた。聖石を飲むなんて〉


 風と共に耳朶を撫でる、どこか呆れた音色の、透き通った声。


 鎧を纏い、焼け焦げた十字架を首に下げた、長い金髪の少女。

 魔剣の悪魔ジャンヌ・ダルクが、すぐ隣に立っていた。


〈もしかしたら死んでたかもしれないのに。全身を焼かれるのは、すごく苦しいわよ〉


 かつて火刑に処された者の言葉だと思うと、説得力が違う。

 そしてリアクションにも困る。


「俺だって、出来ることなら使わず済ませかったさ」

〈じゃあ、どうして? 名前も覚えてない女の子のため? まるで物語の騎士様ね〉


 からかうような口ぶり。

 生憎だが、正義感とか博愛精神とか、そんな高尚なものを土台に敷いた行動じゃない。


「見殺しは気分が悪い。気分が悪いと飯が不味くなるし、夜も寝付けなくなる」


 それだけだ、と返す。

 するとジャンヌは何がおかしいのか、くすくす笑い始めた。


〈ヘンな人。そんな理由で自分の命を懸けるの?〉

「俺にとっては十分な動機だ」


 近付いて手を伸ばせば救えるかも知れない誰かを、その場で見捨てるのは容易い。

 しかし面倒なのは、そこから先。


「神経質なタチでな。一時の保身の代償に、今後の人生を丸ごと煩わされかねない」


 ふとした瞬間に頭をよぎる、あの時ああしていれば、こうしていればという後悔。

 何年経っても、何十年経っても消えず、きっと死ぬまで続くだろう後味の悪さ。


 だったら、自ら危険へと飛び込む羽目になってでも動いた方が幾分マシだ。


「俺の行いに、他人への善意なんて無い」


 後々になって、自分が嫌な思いをしたくないから。

 あくまで己自身のための、消去法的な選択に過ぎないのだ。


「事実、地球の裏では何万人も飢え死にしてるとか言われても、なんとも思わないしな」

〈虚の剣を売ったお金の半分を、そういう人たちへの募金に使ったのに?〉

「……姉貴が受け取らないなら、後生大事に大金抱えてても仕方ないってだけだ」


 これと言った趣味も無ければ、物欲も薄い。

 有事に備えた貯金は別として、その範疇を外れた金銭には取り立てて魅力を感じない。


 そんなを、必要とするところに回しただけ。

 これまた善意には程遠い話。


 …………。

 

「そろそろ戻らせて貰う。これでも忙しい身なんでね」


 嫌だ嫌だ。明日以降のことを考えると気が滅入る。


 よし、考えるのやめよう。きっと明日の俺がなんとかしてくれる。

 頑張れ明日の俺。


〈待って。最後に聞かせてくれないかしら〉


 現実逃避の最中に肩を掴まれ、対面の形を取らされる。


 ……改めて見ると、史実で言い伝えられてる通り、けっこう美人。


〈私というチカラを得た貴方は今、何を望んでいるの?〉


 妙なことを聞く。

 急にそんな質問を振られてもな。


「特には」


 強いて挙げるなら、魔剣士になる前と同じか。


 ──毎日、落ち着いて飯が食いたい。

 ──毎晩、ぐっすり眠りたい。


 そう答えると、ジャンヌは目を丸くして──さもおかしそうに、再び笑った。






 閉じた瞼を、静かに開く。

 俺の意識は、元の場所に戻っていた。


 余さず銀色の炎で埋め尽くされた、大広間へと。


「──良かったな」


 床と天井を繋ぐ火柱に呑まれ、跡形も無く消滅する核石コア

 倒れ伏し、ピクリとも動けず、身体の端からボロボロと崩れて行く二体の能天使パワー


「曲がりなりにも天使なんだ。聖なる炎の薪になって死ぬなら、本望だろ?」


 実際は燃やしてるワケじゃないんだが。

 まあ、どっちでもいいよな。

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