第34話 不可能を可能とする方法


 ──まずいな。


 背中を丸めて横たわり、ヒューヒューと弱々しく繰り返される、引きつった呼吸音。

 ただでさえ血の気が薄かった顔色は更に青ざめ、一層苦しげに歪んで行く。


「ポケットに薬は」

「駄目だ、無い。カバンの中か、教室を出ようとした時の押し合いで落としたのかも」


 離れ牢へと呑まれる際に併せて持ち込まれるのは、直接身につけていたものだけ。

 首を振り、歯噛みする伊澄の返答に、小さく舌打ちした。


「まあ、持ってりゃとっくに自分で使ってるか」


 ──どーすっかな。


 魔剣士協会からの救助が派遣されるまで、あと一時間か、若しくは二時間か。

 当然、実際ここを抜け出せるのは、最低そこから更にプラス数十分は後の話となる。


 そして喘息の重発作は、早ければ一時間足らずで患者の命を奪う。


 ほぼタイムオーバー。

 十中八九、手遅れ。


「……くそっ!」


 おもむろに鳴り渡るスパーク音。

 虚空に迸る蒼雷を掴み、手元に魔剣を喚び出す伊澄。


 そのままきびすを返そうとした背中を、呼び止めた。


「どこへ行く気だ」

核石コアを壊して、今すぐここを出る! じゃなきゃ間に合わない!」


 成程。教室まで戻れば、本人の常備薬がある。

 そいつを使えば、少なくとも病院に担ぎ込むまでは保つ。


 だがしかし、それは。


「今のお前には無理だ。そんなもん自分自身が一番分かってる筈だぞ」


 到底、ついさっき虚の剣を抜いたばかりの無銘レギオンに成し遂げられる条件ではない。

 なんなら下天使エンジェル数体に囲まれた時点で詰む。道中で殺されるのがオチ。


「ッ……だが!」

「勝ち目ゼロじゃギャンブルは成立しない。無駄に死者を増やすだけだ。やめとけ」


 とは言え、犠牲無く現状を切り抜ける手が、早急な核石コアの破壊だけであることも事実。


 ──仕方ない、か。


「俺が行く。あの騒ぎで薬を落としたなら、元をただせば俺の責任みたいなもんだしな」

「胡蝶……」


 もしここで己可愛さに保身を選べば、当分は飯が不味くなるし、寝付きも悪くなる。

 健全な精神衛生を維持するためにも、見捨てるという選択肢は無い。


「ただし、ハッキリ言わせて貰えば、それでも成功率は雀の涙程度だ」


 核石コアを護っているであろう、権天使プリンシパリティを上回る位階の天使。

 協会の資料には第四位まで記載されていたが、どいつも勝てる気など全くしなかった。


 そも第一段階の魔剣では、第六位以上の天使が纏う常夜外套を貫く時点で至難の業。

 そんなバケモノを撃破、或いは出し抜いて核石コアを壊すなど、およそ手に余る難事。

 百回やって一回でも上手く行けば、観客総出でスタンディングオベーション並の偉業。


 …………。

 ならば、どうすべきか。

 などと、わざとらしく考えるまでもない。


 ──今この場で、


「これから少しだけ危ない橋を渡る。もし万一のことがあった時は、俺の魔剣を彼女に」


 魔剣は宿主が死ねば、虚の剣へと再封印されて分離する。

 身体強化エクストラの効力は内臓や器官にも及ぶ。喘息の症状くらい容易く抑え込める。


 ……もっとも、たぶん大丈夫だとは思うが。

 なんとなく、そんな気がした。


「胡蝶、お前何を──」


 俺の言葉に不穏を感じてか、こっちに近付こうとする伊澄を手で制す。


 次いでポケットをまさぐり、引っ張り出した掌の上で転がる、ビー玉サイズの黒い石。


「…………」


 土壇場になって、少しだけ躊躇う。

 けれど、素人目にも一刻を争う状態だと明らかな女生徒の姿に、最後の腹を決めた。


 サシで話したことすら無い相手でも、俺の目の届くところで死なれるのは後味が悪い。

 行動次第で助けられる立場にあるのなら、尚更に。


 ──ままよ。


 魔剣との融合で肝が据わるようになったことを有難く思いつつ、口の中へと押し込む。


 そうして、固形化した生体エネルギーの塊である聖石それを──ごくりと、飲み込んだ。

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