第24話 魔剣に宿る悪魔


 …………。

 深く静かに呼吸を繰り返し、心を鎮め、やがて凪いで行く衝動。


 落ち着きを取り戻した俺は静かに目を開け──気付けば、見知らぬ場所に立っていた。


「ここは……」


 離れ牢ではない。

 その入り口となった、見ず知らずの母子の家でもない。


 薄雲が早足で走り抜ける青空の下に広がる、風吹く草原。

 どうなっているのかと周囲を見渡すと、俺に背中を向けて佇む人影が目に止まった。


〈…………〉


 やけに古めかしい甲冑を着込み、長い金髪を周りの草花と共にたなびかせる後ろ姿。


 声をかけるよりも早く、向こうから振り返ってきた。

 

 年頃は俺とそう変わらないだろう、どこか物憂げな目をした女。

 焼け焦げた十字架を首に下げ、血鯖の浮いた剣を握る、退廃的な空気を帯びた佇まい。


〈……もうまで来たの?〉


 唇を動かさず発される言葉。

 鼓膜ではなく、頭に直接響く声。


〈でも駄目。まだ早い〉


 風が運ぶ土と草の匂いに、鼻を刺すような鉄臭さと焦げ臭さが混じる。


〈今の貴方には受け止められない。にはなりたくないでしょう?〉


 やたらに目が乾き、何度か瞬きをした。


〈だから、もっと強くなって──全部、飲み干して〉


 その都度、周りの景色は目まぐるしく移り変わって行った。


〈私の怒りを〉


 金属鎧を纏い、剣や槍で武装した兵士たちが屍となって横たわる、血生臭い戦場跡。


〈私の悲しみを〉


 冷たい石と重苦しい鉄格子で閉ざされた、ロクに光も差さない牢獄。


〈私の恨みを〉


 俺たちを取り囲み、四方八方から聴き取れない言葉で罵倒らしき何かを喚き立てるヒトガタ


〈私の憎しみを〉


 ごうごうと火柱が立ち上る、明らかに日本ではないどこかの広場。


〈……ああ。でも折角だし、帰る前に自己紹介くらいはしておこうかしら〉


 金髪の女が、甲高く指を鳴らす。


〈教えてあげる。今の貴方じゃまだ呼べない、私のなまえ


 激しく燃え盛る炎が、銀色に変わる。


〈────〉


 そして、更に著しく火勢を増し──見渡す限りの全てを、一切合切燃やし尽くした。






「疲れた……いや身体は元気だけど、精神的に……」


 この近辺で一番高いビルの屋上に立ち、夜半の街並みを見下ろす。

 一介の地方都市ゆえ百万ドルの夜景とまでは言えないが、中々の見晴らしだった。


「勢いで厄介ごとに首突っ込むもんじゃないな。もし次があったら迷わず見捨てよう」


 あの後、俺は呑まれた母子共々、離れ牢を脱した。

 で、家人を装って救急車を呼び、話がややこしくなる前に足早と立ち去り、今に至る。


「まあ、今回は意外と丸く収まってくれそうだよな」


 何せ母親は遭遇時点で気を失っていたため、俺の顔を見ていない。

 子供の方も精々三歳ほどだ。大した情報など引き出せまい。


 背中の傷という物証がある以上、警察の捜査は入るかもだが、どうにか誤魔化せる筈。

 少なくとも俺が十分なチカラを手に入れるまでは、時間を稼げるだろう。

 そう思いたい。


「にしても」


 まさか一週間そこらで再び離れ牢を目にする羽目になるとは。

 調べた限りじゃ、そんなに頻発する現象ではない筈なんだが。不可解だ。


 …………。

 不可解と言えば、もう一点。


「来い」


 崩壊する離れ牢から俺たちと一緒に吐き出された虚の剣。

 回収しておいたそいつを足元に突き立て、代わりに魔剣を喚ぶ。


 虚空へと迸らせた燐火を掴むことで現れた鏡のような剣身を、じっと見やった。


「お前が魔剣に宿る悪魔だと?」


 あの奇妙な場所で金髪の女から聞いた名を、胸の内で反芻する。


 彼女──魔剣の悪魔の言葉を信じるのなら、随分なだ。


 だがしかし。明らかに

 得体の知れない銀色の炎といい、コイツは一体なんなんだ。


「ッ、ッッ」


 口に出そうとした瞬間、舌と喉が引きつって言葉を紡げなくなった。

 なるほど。今の俺じゃまだ呼べないってのは、文字通りの意味らしい。


 つまり──名前さえ呼べれば、俺のチカラが水準に達した証明にもなるってワケか。

 分かりやすい指標ができて、実にありがたい。


「……帰るか」


 踵を返し、フェンスを越え、飛び降りる。


 数十メートルの落下の後、脚部に身体強化エクストラを集中。

 音も無くアスファルトに着地し、そのまま帰路に就いた。

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