10月12日(金)(17日目)

 秋である。つい先日まで残暑という名目で酷暑が続いていたのに、気がついたらいい感じの寒気が肌を撫でていく季節になっていた。


 街ゆく人々――と言ってもほぼ学生ばかりなのだが――も秋の装いに変わっていた。自分も遅れてなるものかと秋服を引っ張り出したのだが少し冬服に近いそれはまだこの季節には少し早かったらしく夏と変わらないほどに汗が止まらなかった。


 この世の人々はどうしてこう気温に合わせた衣類を持っているのか不思議でならない。単純に自分が貧乏で、伏の待ち合わせが少ないだけなのは明白であるがそれにしたって同じような失敗をしている人をちらほらと見掛けていいだろう。世の中の貧乏人以上に俺が貧乏だと自覚するしかないのか。


 昔の人、たしか江戸辺りだろう。まだ庶民の衣類の持ち合わせが少なかった時期のことだ。衣替えの時期になると質屋に衣類を持ち込む人が多かったという。夏には冬服を入れ、冬には夏服を入れる。きっと衣類を交換したり、その金で衣類を買ったりする自転車操業の人が多かったのだろう。


 昔はきっと衣類の価値が今より高かったゆえそれができた。悲しきかな今はファストファッション全盛の時代。衣類を売っても二束三文にしかならない。それこそ有名ブランドの品でも入れなければ大した額にならないだろう。


 学生身分でそれが叶うのは裕福な家の子か風俗で勤めているか、逮捕確実系バイトに身を投じている輩しかいない。俺には関係のない話だ。


 女房を質に入れても初鰹などという言葉がある。なりふり構わない様子を表現した江戸の庶民に愛された川柳だ。現代ならば大炎上間違いなしの川柳である。あえて俺はその言葉通りの意味で受け取ってみる。


 我が悪妻クサンティッペを質に入れたい。アレが消えるのならばこれ以上のことはない。しかも初鰹を買える金まで得られるのだ。先日まで困窮していた身からすると有り難さが身に沁みる。いやほんと蓄えていた金ぐらいは返せ。だが取り立てのためだけにわざわざ会いに行くのは億劫である。


 そう考えると、物を預かってから金を貸す質屋は実に合理的であった。最初から担保を預かっておけば取り立てに行く手間暇も減らせ、駄々をこねる輩の相手もしなくていい。実にスマートである。盗人に追い銭を与える愚を行った俺は見習わなければならない。


 もしクサンティッペを質に入れたとして、どの程度価値のあるものと交換できるだろうと考えてみた。麗しの君との交換……は交換レートが違い過ぎて鼻で笑ってしまう。ならば現金でいくらかと考えてみたが、紛うことなき悪妻である。言ってしまえば事故物件的扱いに準ずる。告知義務もあれば価値もだだ下がり。誰がそんなものを欲しがるだろうか。


 きっと庶民の味方である質屋でさえ頑なに拒否するであろう。相手に気分良く帰って貰うために「そんな高価なものはウチの店では取り扱えませんねぇ」などと御為ごかすだろう。


 某国民的ロールプレイングゲームでは二度と手に入らないアイテムは売れない。そういう意味では売れないのは理にかなっている。ただ、これは一度装備すると外せない呪いのアイテムでもあった。しかも現実では教会で呪いを解くことすらできない。つまりは外せない。


 現実とは糞ゲーである。

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