10月10日(水)(15日目)

 ヤリサー潜入事件の首謀者として名を馳せた俺であったがフードファイターとしても名を馳せたらしい。大学に行けば「昨日のあの人」なんてひそひそ話や「今度二郎系ラーメン大食いするらしいぜ」なんて根も葉もない噂が飛び交っていた。学友たちからも滅茶苦茶にからかわれ、非常にやり辛かった。講義に出るのが非常に億劫で仕方ない。


 それはそれとしてひょっとことの約束を果たさねばならぬ。


 一宿一飯の恩義は重い。宿代は無かったが、その分食いまくった自負はある。


 奴との約束は、ミスコンに出ろというものであった。正確には今月末に行われる学祭の女装ミスコンである。我が大学の女装ミスコンはこの町ではそれなりに有名なものである。発祥は数十年前近隣の美容専門学校生とうちの学生との出会いからだった。祭を盛り上げたい学生とおふざけ全開のメイクがしたい専門学校生とで利害が一致。それが女装ミスコンが生まれるキッカケとなった。普通の男女別ミスコンもあるにはあるが、一番盛り上がるのは女装ミスコンである。通が言うには男性が隠し持っている美しさ、優雅さが女装ミスコンで見られるという。通が言うのだから間違いではないのだろうが、通がいること自体、世も末であるが。


 歌舞伎の女形か何かだと思えばわからない理屈ではない。そう考えようとしたが、ふとそんなわけないことに気付く。元々歌舞伎の女形は女優がやっていたのだ。江戸幕府が風紀の乱れを抑えたいが為にそれを禁止した。だから「男ならばよいのだろう?」と女装して女形を演じ始めた。下手に禁止したら、より業が深いものが生まれてしまった。日米修好通商条約しかり、江戸幕府が目先の利益を求める癖はこの頃には既にあったらしい。


 いや、それを言ってしまうならば織田信長の頃には既に衆道と呼ばれる同性愛主義があったらしい。侍を中心にしたそれは武士の嗜みであったそうだ。織田信長自身も森蘭丸とかいう見目麗しい少年を傍に置いていたらしい。ゆえに徳川の世ではそれが大衆にまで裾野を広げただけという見方もできなくはない。


 現代日本ではバラエティにオカマがよく出演している。美しいかと問われれば二つ返事でノーと答えるだろうが、それはそれとして忌避感自体はない。「そういう人なんだなぁ」などと他人事として受け止めていた。


 漫画などの娯楽に目を向けて見ても、男の娘などと呼ばれる少女にしか見えない少年を愛でるジャンルが幅を利かせている。可愛い子が好きならば真っ直ぐ女性でいいではないかと思わなくもないが、その筋によると男の娘からしか摂れない栄養素があるらしい。意味わからん。


 考えてみるとこの世には女装が溢れかえっている。


 世はまさに大衆道時代。


 世も末だ。

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