大野幸太郎 その7
家に着いたのは9時15分ごろだった。
雪乃が落ち着くまでちょっと時間がかかったし、あの状態の雪乃を一人で返すわけにもいかない。少し遅れたけど、これぐらいなら叶も許してくれるだろう。
アパートの階段を上って、俺は違和感に気が付く。
……鍵が掛かっていない。
警戒しながら静かに扉を開けて、居間まで足音を殺して進む。
そこには、机に突っ伏している母さんが居た。
「母さん!?何でここに……。
というか何があったんだよ、叶は!?」
まるで状況が呑み込めない。
一瞬、最悪の状況も想像した。だけど母さんはゆっくり顔を上げてくれた。
よかった、死んでるわけじゃなかった。
「幸太郎……」
「何があったのかまず教えてくれ、危ないことならすぐに警察呼ばないと」
焦る俺に、母さんは力なく首を振った。
「……あの子に、あなたを好きで居るのを諦めなさいと言ったの」
一瞬、呼吸が止まった。
「そしたら、どうして父親がいないのか、どうして腹違いなのかって。
帰って来てくれないのは自分が居るからなのかって聞かれて」
母さんは眉間に皺を寄せて、苦悶の表情で目を伏せた。
「……答えてあげられなかったのよ。
私の体たらくに怒って、叶は出て行ってしまったわ」
それは、俺も気になっていたことだ。
このタイミングでなければ、母さんが話してくれるとは思えない。
叶をつれ戻すためにも、この話は聞いておかなくちゃいけなかった。
「話してくれよ、母さん。
そうじゃないと多分、叶をどう落ち着かせていいのかもわかんねぇもん」
悩んでいる母さんを追い立てる様に俺は詰め寄る。
「叶をずっと外に居させるわけにはいかないだろ」
それで母さんは折れた。
重たい口をようやく開いて、母さんは話し出した。
お父さんとは、キャバクラで出会ったのよ。
私がキャストで、あの人は上司に無理やり連れてこられていたんだけど、お酒も全く飲めないからすぐに酔っちゃってね。
私は不愛想で人気もなかったから、お父さんの相手をすることになったんだけど……。
お父さんは本当に不思議な人で、気が付けば私がお父さんに悩みを吐き出していたわ。
稼いでる先輩たちは、その悩みを打ち明けるという行為も固定客を掴むために利用していたみたいだったけど、私はそんなに器用じゃなかったから。
どっちがお客さんなのか分からない状況で、お父さんはよく悩みを聞いてくれて、私が親から背負わされた借金の整理を申し出てくれたの。それで、プライベートでも合うようになって、借金を返済しきった頃には付き合うようになっていたわ。
でも、そこで別の問題に直面した。
お父さんは、ある名家の跡取りだったの。
……この辺はそこそこ田舎でしょう?やっぱり水商売の女と長男が婚姻ともなれば恥だって言われて、酷い噂も沢山流されたわ。
それでもお父さんは家族との縁を捨ててまで、私と結婚してくれた。
本当に、幸せな時間だった。
でも、お父さんは交通事故で死んでしまった。
……妊娠した私の代わりに買い出しに出て行ったときに、信号無視の車に突っ込まれて即死だったそうよ。
そこからの記憶ははっきりしないわ。
怒り狂ったお父さんの実家からはたくさんの嫌がらせを受けたし、街の人たちも噂を聞いてか私を避けていたから、とにかく生きることに必死だったと思うけど……あなたを育てることに忙しかったのが逆に良かったのかもしれないわね。不思議と死のうとは思わなかった。
叶を妊娠したのは、お父さんを無くしてすぐの事だったわ。
水商売をしていた頃のオーナーが突然訪ねてきて、嫌がらせを止めてやろうかって言いだして、断ったのに……。
ごめんなさい、ここからはあまり話したくないの。
何が起こったかは、わかるでしょう?
私が叶を妊娠してから、あの男は私に女としての魅力を感じなくなったのか突然姿を消したわ。
そこからは、あなた達も知っての通りよ。
母さんはそこで口を閉じた。
母さんが話していたのは数分のことだったと思う。
ただ、俺には何時間も経過しているような錯覚を覚える程に、強烈な話だった。
「分からなかったの。
あなた達と、叶とどうかかわっていいのか分からなかったのよ……」
母さんは随分とくたびれて見えた。
子供の頃に、どうしてあれほど奇怪な目で見られたのか、疑問に思ったことはあったのだ。
腹違いの兄妹、それも肌の色が全く違えば下世話な世間話の標的にはなるだろうが、本人たちに聞こえるところでするものだろうか。
真相は、より残酷な所にあったんだ。
だだ――
「事情は分かったけど、そんなの俺達には関係ねぇよ。
もう終わった事だろ。
母さんが叶に、俺達に申し訳ないと思うならもっと関わってくれりゃいいんだよ」
俺から言えるのはいつも単純な事だ。
慰めることも、耳障りのいいことも言えやしないから、俺は素っ気なく言い残す。
「……家族ってそんな綺麗なもんじゃないだろ。
汚れてるかもしれないけど……そんなに弱くもねぇよ。今日みたいに崩れることもあるけど、家族で居たいと思う内はきっと治るはずだ」
俺は叶の分のコートをひっつかんで厳顔に向かった。
母さんが慌てて俺を追いかけてくる。
「ま、待ちなさい!
話はまだ終わってないわ、あなたも叶のことが好きなんでしょう!?
やめなさい、周りから祝福されない恋なんて辛いだけよ……!」
母さんは自分の過去を見ているんだろう。
二人の世界が壊れないうちは、二人でも幸せだろう。
でも、二人の世界が壊れてしまえば、二人の世界を作るために切り捨ててきたものは戻ってこないのだ。
それは正しい忠告だろう。
「母さんが認めてくれりゃ良いじゃん。
別に俺達、この町の人に認めてもらおうとか、知り合い全員に認めてもらおうなんて思っちゃいないよ。
大事な人が認めてくれれば、それで十分だろ」
ただ、俺は初めから何かを捨てるつもりなんてなかった。
「な、何を……」
「ちなみに雪乃は認めてくれたぜ」
母さんが絶句したのが伝わった。俺は思わず噴き出す。
「ふ、普通じゃないわそんなの……」
俺は靴をかかとで整えて扉を開けた。
「普通も何も、俺達最初から普通の家族じゃないじゃん。
俺たちなりに、家族やればいいだろ。
……俺も叶も、母さんとは家族続けたいからさ」
母さんが目を丸くするうちに、俺は外に出た。
雪はまばらになってきている。
叶の生きそうな場所なんて正直見当がつかない。俺は頬を叩くと走り出す。
長い夜になりそうだった。
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