大野幸太郎 その4

 今までもこういうことがなかったわけじゃない。

 だけど、今回ほど決定的な場面は今までなかった。

 兄妹の一線を越えかけた余韻にぼーっとしながら皿を洗っていると、背後から視線を感じて振り返る。そこには、部屋から顔をのぞかせている母さんが居た。

「何してんのさ」

「なんでもないわ」

 ……分かりやすいぐらい疑ってるなぁ。

 叶は嘘が付けない性格だけど、母さんは態度に出るタイプだ。

「飯、食ってきてないなら作るけど」

「適当に外で食べてきたから大丈夫よ」

「そっか」

 淡泊な会話が続く。

 俺と母さんの仲はこんなもんだ。言葉数は少ないけど、関係はそんなに悪くないと思う。

「母さんがこの時間帯に帰ってくるなんて珍しいな」

 母さんは、俺の言葉にそうかしら、とだけ言ってスマホを眺めている。

 3ヶ月ぶりぐらいかな。母さんはこうしてたまに俺達の様子を確認しに来る。

 深夜に帰って来て早朝に出て行くならいい方で、帰ってくることすら稀。

 元々口数の多い人ではないから、今のように交流という感じはなく本当に抜き打ちチェックみたいな形だ。

 俺は皿を洗い終わると、テーブル越しに母さんと向かい合った。

 ちょっと痩せたかな。

 昔の母さんはかなりの美人で、それが帰って母さんへの面白おかしい陰口を加速させたようなところがあった。

 今でも、シワが目立つようになってきたものの十分美人だ。あの妹にしてこの母親ありといったところか。

「ちゃんと食べてる?」

「えぇ」

「ちょっと痩せた感じがする。

 こっちもちゃんと節約してるし、もっと美味いもんでも食べなよ。

 ……それとさ、まだ仕事の量減らせねぇの?」

 母さんの考えている事は分からないけど、少なくともお金で苦労したことは一度もなかった。他の事は、叶と二人でやって来たから辛くなかったし。

 思うところはあるけど、俺は母さんが嫌いじゃない。

 そろそろのんびりして欲しかった。

「あなた達二人は必ず大学に行かせます。

 その為には減らせないわ」

「俺は別に高卒でもいいよ。叶は行かせるけどさ」

 俺の言葉に、母さんはぴしゃりと拒絶の声を突き付ける。

「駄目よ。これ以上この話はしません」

「……分かった」

 この会話も、既に何度か繰り返されたものだ。

 俺は肩を竦める。

 でも、久しぶりの親子の会話がこれだけというのも悲しいな。

「母さんはクリスマスどうするの?」

「仕事よ」

 終わっちゃったよ。

 ま、まだなんか話題あったかな……。

 母さんに向かって「お昼休みは毎日叶と食べてるんだ」「クリスマスは叶の手作りケーキもあるんだよ」なんて囁いた日には色々終わる。

 だめだ、叶と一緒に居なかった時間が少なすぎて話すことがない!

 唸り始めた俺を怪訝な目で見ている母さん。

 こうなったら新聞の星座占いについて語るしかないのか?

「幸太郎は、クリスマスの予定があるのかしら」

 以外にも、会話は母さんが拾った。

「え、あ、あぁ、雪乃と遊びに行く予定があるよ」

 マズった。あんまりここは突かれたくない。

「ふぅん……。

 それじゃあ、今年は叶とは別行動なの?」

「おうよ!雪乃とはマヴダチだからさ!いやぁ楽しみで仕方ないね!」

「嘘ね、どうせ今年も叶との予定は入れてるんでしょう?」

 俺は嘘を付くのが下手らしかった。

「……まぁ、夜は一緒だな」

「ねぇ、幸太郎。

 普通の兄妹って、高校生にもなって毎年クリスマスを一緒に過ごすものかしら」

「何が言いたいんだよ」

 思わず声が固くなった。

「子供のいる同僚に聞いてみたけど、クリスマスは大抵恋人か友達と遊びにいくそうよ」

「俺の同級生は家族で過ごすって言ってたけど」

 お互いに視線はそらさない。やましいことがあると言っているようなものだ。

「……あなた、もう高校生なのよ」

「家族と仲がいいことの何が問題なんだよ」

 お互いに確信には触れない。

 それが決定打となることを知っているからだ。

 きっと母さんは爆弾処理犯のつもりだろうが、こっちの恋の爆弾は既に論理とかと一緒に爆発してしまっている。

すでに手遅れだよ。母さん。

「じゃあ俺、もう寝るから。

 あんまり無理しないで、たまには帰って来いよな」

 俺は一方的に会話を打ち切ると、部屋に戻る。

 その間ずっと、母さんは俺の背中を見つめていた。


 俺の部屋は、1つの和室を障子で仕切った手前の範囲である。

 部屋を区切る障子の前に布団を敷いて、身体を横たえる。

「お兄ちゃん」

 叶の声がした。

「んー?」

 俺は目を閉じたまま返事を返す。

 自分たちを隔てる障子1枚を挟んで、お互いの頭を向かい合わせている状態である。

 小学生迄は一緒に寝ていた。中学生になって俺から自室で寝ようと言い出した時、叶が酷くごねた為に捻り出したのがこの折衷案だった。

 どちらかが寝付くまでこの話は続く。

「お母さんに何言われたの?」

 声には不安が滲んでいる。

「別に何もなかったよ。

 ただ、ちょっと仲良すぎじゃない?って事を言われただけ」

 嘘はついてない。

 叶は寝付けない様子だった。衣擦れの音が闇に響く。

「寒いねぇ」

「明日はまた雪だからなぁ」

「カイロってまだ残ってたっけ?」

「わからん、俺使わないし。

 カイロって捨てる面倒のほうが勝っちゃうな」

「えー、体に張りなよ。あったかいよ」

「低温やけどについて、解説します」

「せんでええわ!」

 二人で笑い声を噛み殺す。

 いつもならそろそろ叶がうとうとする時間帯だが、今日はまだ眠くないらしい。

 会話が一度途切れた後も、衣擦れの音は続いた。

 昔から、不安なときは眠れなくなる癖が叶にはある。

「クリスマス、楽しみだな」

 寝付けない叶にかける言葉はいつだって単純だった。

 深い意味はないけど、無理が生じればその言葉は嘘になってしまうから。

 暫くすると叶の衣擦れの音は止まり、夜の冷たさだけが頬を這う。

 おやすみ、叶。

 俺は安堵のぬかるみに沈んで、暗闇を受け入れた。

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