大野叶 その1
わたしの世界はお兄ちゃんでできている。
わたしの世界を守る白馬の騎士がお兄ちゃんならば、わたしがお兄ちゃんを好きになることは物語上仕方のないことなのだ。
少なくともわたしの中では、わたしがお兄ちゃんを好きになったのはお兄ちゃんに全責任がある。
だからわたしは、今日も気兼ねなくお兄ちゃんに恋をしている。
わたし達の幼少期は中々にハードなものだったと思う。
お母さんは2度夫を失った。
一度は死別、二度目は……少なくともお父さんが逃げるような形で。
お母さんは話してくれないから正確な事は分からないけど、多分わたしには外国の人の血が入っている。お兄ちゃんとは肌の色も容姿も違いすぎた。
この辺は田舎で娯楽もあんまりないから、自然と噂話が広まる。
物心ついたころには、わたしに好奇の目が向けられている事が子供ながらに分かってしまっていた。
守ってくれるはずのお母さんは、仕事を理由に帰ってこなかった。
それでも、小学校に入るまでは「わたし、なんか他の人と違うのかなぁ~?」程度の認識で居られたんだけどね。
だって、お兄ちゃんが居たから。それだけでわたしは幸せだった。
子供にとって一歳の差はとても大きい。お兄ちゃんはきっと、わたしに向けられる視線の意味を分かっていた。だからお兄ちゃんは、わたしとずっと一緒に居たんだと思う。
お兄ちゃんがわたしとの仲の良さを周囲に見せつける内に、好奇の目線は消えていった。
でも、今度は成長した子供たちが牙をむいた。
「ねー、叶ちゃんってお兄ちゃんとお父さん違うの?お母さんがゆってたよ」
「わたし、叶ちゃんのお兄ちゃん見たことあるよ!全然似てなかった!」
容赦なく向けられる好奇心から守ってくれるお兄ちゃんは、ここには居なかった。
わたしは放課後の教室から逃げ出して、お兄ちゃんを探した。
頭の中が真っ白になって、お兄ちゃんに合う事しか考えられない。
家に帰ったわたしを見たお兄ちゃんは、号泣しながら帰って来た私に驚いている。
「お兄ちゃんは、わたしとお父さんが違うんだって」
お兄ちゃんはほんの一瞬悲しそうな顔を浮かべた。
でもそれが、わたしの感じている悲しみとは違うらしいことはなんとなくわかった。
「かんけーねーよ、そんなの」
夕焼けが差し込む部屋の中で、お兄ちゃんは黄金に包まれていた。
ぽんぽんと、お兄ちゃんが自分の隣の地面を叩く。
わたしが隣に座ると、お兄ちゃんは満足そうにうなずいた。
あんなに揺れ動いていた心は、すっかり落ち着いていた。
お兄ちゃんの言うとおりだった。
そんなの関係なかったんだ。
わたしは安心して、隣のお兄ちゃんに体重を預ける。
わたしはどうしようもなく嬉しくって、溢れる思いを言葉にする。
「わたし、大きくなったらお兄ちゃんとけっこんする」
お兄ちゃんの返事は、私が無邪気に信じていたとおりのもの。
「おれも好きだよ」
緊張の糸が切れたようだった。わたしの意識は微睡に溶けて行く。
目を覚ました時には、わたしはお兄ちゃんの膝の上に寝ていた。
膝がしびれて動けないと笑うおにいちゃんを見て、わたしは確信する。
お兄ちゃんの言葉だけが、この世界で確かなものなんだって。
わたしの世界はお兄ちゃんでできているのだ。
着替え終えたわたしがリビングに戻ると、食卓には既にパスタとチキンサラダが並べられている。
お兄ちゃんはわたしを待ちながら、テレビを眺めていた。
地元情報を紹介するローカル番組で、内容はやっぱりクリスマス特集だ。
カップルへオススメのデートスポットをアナウンサーがにこやかに紹介していく。
……やっぱり、雪乃ちゃんとのクリスマスデートが楽しみなんだ。
お兄ちゃんは雪乃ちゃんから向けられる好意への対処が苦手なだけで、雪乃ちゃんのことは親友だと言って憚らない。
去年なんかは、わたしだけが中学生だったせいでずっと雪乃ちゃんの話を聞かされて相当やきもきした。
ねぇ、お兄ちゃん。
わたしへの好意は、まだ恋愛に留まっているのかな。
家族への好きだなんて言わないよね?
聞けるはずのない言葉が浮かんでは消える。
胸を抑えた手を、わたしはぎゅっと握りしめた。
「なんだ、もう来てたのか。
早く食べようぜ」
こちらに気がついたお兄ちゃんがわたしに声を掛けた。
「何見てるのかなーって思って」
「クリスマス特集だってさ。
色々イベントやる店があって面白いぞ」
「わたしとのクリスマスがあるんだから、そんなの見なくて良いじゃん」
うん?
「な……」
目の前でお兄ちゃんが固まっている。
……ヤバい。
流れでとんでもないこと言っちゃってるぅぅぅぅ~!!?
お兄ちゃんは滅茶苦茶目が泳いでいた。
わたしは俯いたまま顔の温度を上げていく、多分あと数十秒で爆発する。うおぉわたしは時限爆弾じゃあ!!
「……雪乃には悪いけどさ。
俺は叶とのクリスマスが一番楽しみだよ。
叶はその辺、わかってくれてると思ってたけどな」
「はええぇぇ!?」
お兄ちゃんがちょっと怒ったような顔を、わたしにずいと近づけた。
慌てて席を立とうととしたわたしの手をお兄ちゃんが掴む。
「叶が悪いんだからな」
お兄ちゃんも何言っちゃってんのおぉぉぉぉぉ~!?
お兄ちゃんに引っ張られて、わたしとお兄ちゃんの顔が肉薄する。
もう駄目だ。熱で頭が回らない。
お兄ちゃんの顔も真っ赤になっている。
でも、その顔は険しい。
「どうなんだよ、叶。
叶の好きは……どっちなんだよ」
「わたしは……」
言っちゃ駄目だ。
この好きを表に出してしまえば、きっとまた世界は曇ってしまう。
だけど、わたしの体は言うことを聞いてくれない。
「そんなの、決まってるじゃん」
自分の心音以外は聞こえない。
わたしはお兄ちゃんの唇に迫り――
「……あんた達、何してんの?」
お母さんの声に飛び上がった。
「 うわぁぁぁあ!お兄ちゃんの目に熱々のスープが!」
「うぉぉぉ!痛い!目が焼けるぅぅぅ!!」
わたしの即興の演技にお兄ちゃんが合わせてくれる。この辺はやはり兄妹だ。
お母さんは私達の迫真の演技に全く動じず疑いの目を向けていたけど、暫くすると「気を付けなさいよ」とだけ言い残して部屋に戻って行った。
多分誤魔化せてはいないんだろうけど。
とりあえず、乗り切ったぁ……。
「……」
「……」
まだ乗り切っていない問題が残ってるんだった。
こっちは処理を間違えると大変なことになる。
でもこっちは歴戦のブラコンなんだよ?もちろんこの手の問題には慣れてる。
「……お風呂、入ってくる」
「お、おう」
わたしはそそくさと逃げ出した。気まずいとかいうレベルじゃないもん。
これは仕方のない事なんだ。
お風呂場に逃げ込んでほっと一息ついて、わたしは空を見つめる。
そろそろ、気持ちを誤魔化すのも難しくなってきていた。
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