大野幸太郎 その2


 松下雪乃は俺達兄妹の幼馴染だ。

 とは言っても、仲良くなったのは小学校からだけど。

「おはよ―雪乃ちゃん!」

「おはよう、二人とも」

 長い黒髪に、名前を形にしたかのように白い肌。

 目を離すと溶けて消えそうな儚さが印象に残る女性だ。

「幸太郎君、ちゃんと数学のプリントやった?」

「昨日連絡くれたろ。やって来たよ、サンキューな」

「うん」

 雪乃が微笑む。

 叶も世話好きな所があるけど、雪乃はそれを通り越して過保護だ。

 美少女にお節介を焼かれて悪い気はしないけど、すでに好きな人が居る俺にとっては――扱いかねる好意だ。

 親友のはずなのに、最近はちょっと距離感が分からなくなっている。

「なぁ、雪乃。

 いつも言ってるけどさ、無理して俺の世話焼かなくていいから。

 お前も大変だろ」

 何回も繰り返した、遠回しな拒絶。

「……どうして?

 私、大変だなんて思ったことないよ」

 じっと俺を見つめる雪乃の目は、どこか必死さが滲んでいる。

 それだけで、俺は何も言えなくなった。

「そういや雪乃ちゃん、今日のニュース見た?

 イルミネーションの奴!」

 すかさず叶が俺たちの間に入る。

「えっ?

 ううん、見て無い。クリスマスに何かやるの?」

 助かった。

 雪乃に見つめられるのは苦手だ。あの放課後を思い出す。

「そぉ~!クリスマスにデパートの前の通りでイルミネーションやるんだって!

 周囲の建物も明かり消すらしいけど、クリスマスはお客さんの掻き入れ時じゃないのかな?」

「あの辺はオフィスが多いからかな?

 クリスマスに休む人が多かったのかも」

「世の中にはカップルが沢山いるのかもしれない……許せないよわたし」

 俺も燃料を投下しよう。

 幸いとっておきのネタがある。

「あー、そういえばりのがクリスマスに小島を誘うって騒いでたな。

 あれってイルミネーションのことだったのかも」

「うそ!りのちゃんって小島先輩狙ってるんだ!

 ……あれ?この前は斎藤先輩狙ってなかったっけ」

「斎藤君、校外の女の子と付き合ってたの」

 雪乃が苦笑いを浮かべる。

 佐々木りのは俺たちの幼馴染の一人、その猪突猛進っぷりにはいつも振り回されている。

「それ位先に調べとけって話だよなぁ。雪乃も散々協力させられてたし」

「でも、小島くんは彼女いないんだって。

 クリスマスまでにモノにするんだって言ってたよ」

「……暫くはりのと距離を取った方がよさそうだな」

 どんな無茶に付き合わされるか分かったもんじゃない。

 気が付けば、俺達はいつの間にか校門まで来ていた。

 校舎にはいると寒さが和らいだ。俺は一息つくと叶に目配せする。

 サンキューな。

 それだけで叶には伝わる。叶はパチリとウインクすると、一年生の靴箱へと消えた。

 

「お兄ちゃん、アレは駄目だよ」

 俺達兄妹は、殆ど毎日漫画研究部の部室で飯を食っている。

 鍵が壊れていて、学校側も直そうとしないもんだから駄弁るのに丁度いい。

「でもさ、今までも同じ事言ってたぜ俺。

 なんで今日に限ってあんな……」

 俺が肩を竦めると、叶はやれやれと首を横に振る。

「男子ってホント鈍いんだから。

 ほら、思い出してお兄ちゃん。今月は乙女的ビッグイベントがあるじゃん!」

 そこまで言われて、俺はようやく思い当たる。

「クリスマスか」

「そうだよ!

 多分雪乃ちゃん、クリスマスに誘いたい用事があったんだよ。

 でも、お兄ちゃんがそこで何時みたいにノーを突きつけるから焦ったんじゃない?」

「そんなのわかんねーって……」

 解説されればたしかにそんな気がするけど、あの場でそこまで考え付けと言われるのは困る。

 女の子って周りのことよく見てるよなぁ。

「わたしとは話さなくても大体察せてるじゃん。あんな感じでいこうよ」

「それは叶が特別なの」

 叶は何故か目を丸くした。

「今の乙女ポイント抑えてた!」

「わからん。全然わからん」

「特別扱いが良かったってこと!

 いいよお兄ちゃん、ポテンシャルあるよ〜」

 訳知り顔で腕を組んで頷く叶。

 ……良いんだ鈍くたって。

 察しが良くたって意味がない。俺の察する力は叶に使えればそれでいい。

「それでさ、お兄ちゃん。

 もし誘われたらどうするの?」

 ふと、叶は心配そうな表情を浮かべた。

 俺は思わず笑って、決まり切った言葉を答えようとする。


「やっぱり、ここにいたんだ」


 俺の言葉を遮ったのは、雪乃の声だった。

 驚いて振り返る。雪乃の顔は、朝にも見えた必死さが見え隠れしている。

「……漫研に許可は取ってるぜ」

 雪乃は俺の台詞に答えなかった。

「メッセ送ってたんだけど……既読つかなかったから。邪魔してごめんね」

「マジか。

 すまん。俺基本通知切ってるから」

「あっ、そうなんだ……」

 雪乃の顔に影が差した。

 なんだ?傷つく様な事は言ってないはず。

 しかし、雪乃はすぐに表情を掻き消すと、俺を真っ直ぐに見つめた。

 また、あの目だ。

「幸太郎君、クリスマスなんだけどね。

 私と、デートしてほしいの」

 白すぎる肌は、本人の感情をすぐに反映する。真っ赤になっている雪乃から、俺は思わず目を逸らす。

 頼むから諦めてくれよ。

 俺には応えられないんだって……。

 言いたくない、だけど言わなきゃならない。

 胸が苦しかった。

「ごめん。先に叶と約束しちゃってるから」

 そこで、雪乃は予想外の行動を取った。

 俺から視線を外し、見据えたのは俺の斜め前。

「じゃあ、叶ちゃん。

 お願い、クリスマスの日だけ幸太郎君を貸して欲しいの」

 随分と勝手な言いようだ。だが、叶は断らない。

「……なんで?」

 あろうことか、理由を尋ねた。

 驚きが顔に出たらしい、こちらを見た叶の顔が少し歪む。

「私達、もう二年生なんだよ。

 来年のクリスマスなんて、私達にはもうない。

 今回だけは引けないの」

 雪乃の首筋には、この気温にも関わらず汗がにじんでいた。

 叶は眉間に皺を寄せて苦しそうにしている。俺は思わず手を握りしめる。

 皆が必死だった。

「お願いします、私に時間をください」

 俺の意志と関係なく話は進んでいく。俺にはもう止められない。

「9時まで。

 ……9時までなら、良いよ」

「お、おい!」

 クリスマスは毎年交代で準備してきた。今年の担当は叶だけど、当然俺も手伝うつもりだった。だって、その時間も含めてのクリスマスだろ。

「私からもお願い」

 俺の反発心は、叶からの懇願でしぼんでいく。

 ダメだ、ついていけない。

 どうして叶はつらそうな顔をしているのに雪乃の味方をする?

「じゃあ、25日はよろしくね。幸太郎君」

 俺の返事を待たずして、雪乃は出て行った。

 苦しさに顔を歪ませて。

「……」

 俺達は黙っている。

 この部屋はこんなに冷え込んでいただろうか。

 かさついた空気に喉が渇いた。

「じゃ、じゃあね、お兄ちゃん」

 弁当をそそくさと畳んで、叶は出て行ってしまう。

「わっかんねぇ……」

 何もわからないけど、期待していたようなクリスマスにはならないことは確かだった。

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