妹は聖夜に向いてない

渡貫 真琴

大野幸太郎 その1

子供にとっての世界は家庭と同義だ。

だから俺は、母さんが生まれてからすぐにお父さんを亡くしていることも、新しいお父さんがすぐにいなくなった事も「そんなものなんだろう」という程度に捉えていた。

そして、自分に全く似ていない褐色の肌の妹の事にも疑問を抱いたことはなかった。

「お兄ちゃんは、わたしとお父さんが違うんだって」

泣きながら妹が帰ってきたときも、妹が泣いている事に俺は悲しんだのだ。

顔も見たことのない父親の事などどうでもよくって、ただ妹には笑っていてほしかった。

「かんけーねーよ、そんなの」

俺の膝に座る妹は、その言葉に安心したように眠る。

足がしびれても、妹を足から降ろそうなんて少しも思わなかった。


 母親は、仕事の忙しさを理由に滅多に帰ってこなかった。

 そのせいだろうか。俺はこの妹を守ることが、俺の使命だと思っていた。

 周囲からどれだけ後ろ指を指されようと、俺は妹と一緒に居た。

 妹が一緒に遊びに行きたいと言えば絶対に連れて行ったし、たまに行く駄菓子屋では自分の分のおこずかいを二人で分けた。

 俺の後ろを小走りで付いて来る妹の笑顔があれば、俺は寂しくなかった。

「わたし、大きくなったらお兄ちゃんとけっこんする」

 家族が傍にいれば、きっと笑われて、失われたであろう約束。

「おれも好きだよ」

 俺達のあまりにも単純な関係は一向に是正されることは無く、二人だけの世界は徐々に肥大化していった。

 俺たちは、お互いの事が好きになってしまった。


 でも、俺たちは子供のままではいられない。

 俺たちの周囲にだって、自然と人間関係という堆積物は溜まっていく。

 小学校5年生の夏、俺は遂に足を取られた。

「好きです!幸太郎君!」

 放課後、誰もいない教室に呼び出された俺は、幼馴染に告白された。

 相手は松下雪乃。あまり活発ではない俺は読書が好きだった。

 誰もいないと思っていた教室で本を読んでいる時、斜め後ろの席から声をかけてきたのが彼女である。

 元気が爆発している小学生の昼休みを読書に捧げるような者は少数派だ。

 俺達はすぐに仲良くなった。そして、この瞬間に至る。

「ごめん。俺、好きな人いるから」

 自分でもちょっと素っ気ないと思う断り方。

 ちょっと可哀そうかな。

「だ、誰?りのちゃん?」

 りのだけはありえないと思う。だってあいつ怖いもん。

「叶が好きだから。雪乃とは付き合えない」

 大野叶、俺の妹の名前を聞いた雪乃は、呆然とした表情を浮かべた。

「おかしいよ」

 なんだよ、その顔は。

 なんで怖がってんだよ。

「おかしいよ!」

「お、おかしくねぇよ!なにがおかしいんだよ!?」

「兄妹は結婚できないもん!

 法律でダメって決まってるんだから、いけないことなんだよ!?」

 本当は気づいていた。

 だって俺、叶と結婚したかったから調べたことあったもん。

 でも、何のことだから分からないふりをしたんだ。

「なんでそんなこと言うんだよ!」

 俺は怖くなって怒鳴った、何かが崩れていくのが分かった。

 その時、背後で何か物音がした。

 慌てて教室の外に出た俺は、ここに居るはずのない叶の背中が曲がり角に消えていくのを見つける。

 あいつ、先に帰ってろって言ったのに!

「まって!幸太郎君!」

 もう雪乃の事はどうでもよくなっていた。

 だって、叶が心配だったから。

 叶は泣きながら走っていたから、すぐに息が切れたみたいだった。

「叶、どした?なんで泣いてんだ?」

 いつもニコニコ笑っている叶の泣き顔を見ていると、俺もなんだか泣きそうになる。

 鼻の先がツンとする。

「うっ、ひっく、だっ、だって雪乃ちゃんがっ、お兄ちゃんとは結婚できないってっ」

「そ、そんなの気にすんなよ。お互い好きなら問題ないって……」

「お母さんもゆってたもん!!」

 脳天をガツンと殴られたような衝撃だった。

 お母さんは、やっぱり俺達兄妹にとっても大きな存在だったから。

 でも、俺は踏ん張った。

 だって叶が泣いてる。

 叶は俺が守らなきゃ。

「関係ねぇよ!!」

 俺は目一杯虚勢を張って、叶を抱きしめた。

 叶は涙腺が決壊したように泣き叫ぶ。

「他の奴のいう普通なんて気にすんなよ。

 兄ちゃん、ずっとお前と居たいよ……」

 サイアクの一日。

 俺はこの日から、叶を好きだと言えなくなった。

 叶も俺と結婚するなんて言わなくなった。


 俺達はそうして普通の兄妹になった……はずだった。


 

 目覚ましが鳴っている。

 強烈な眠気が俺の覚醒を妨げた。まるで霊に操られるかの如く、俺の右手が目覚まし時計を仕留める。

 そして俺の意識は遅刻確定の甘き闇へと溶けていく――

「おにいちゃぁあああああああああああああああああああああああああん!!!」

「だぁーっ!うるさい!!」

 鼓膜取れるかと思ったわ!!

 跳ね起きた俺を、妹の叶が見下ろしていた。

 エキゾチックな顔立ちと、褐色の肌。後ろでひとまとめにした髪が体に合わせて揺れている。

 制服の上からエプロンを纏った叶は本当にかわいい、これは兄馬鹿ではないはずだ。

 眠りを妨げられた怒りがさっと引いていく。

「おはよう、叶。

 ……もうちょっと優しく起こしてくんない?」

「おはよ、お兄ちゃん。

 だってこうでもしないとまともに起きないじゃん。

 朝ご飯出来てるよ、ほら立った立った!」

 朝から元気だなぁ、こいつ。

 昔からよく笑う子供だったけど、大きくなってからは元気いっぱいって感じだ。

 いいことなんだけどさ。

 俺は手を引かれて立ち上がった俺は、すぐに制服に着替えて外に出る。

 扉の外には叶が待っていた。

「へいシェフ。今日の献立は」

「食パン、焼き鮭、味噌汁だよ。完璧だね」

「食い合わせ悪っ!?」

 冷蔵庫の残りもんなのを隠す気配がない!

 2LDKのアパートの居間にのそのそと向かうと、机には本当に味噌汁と食パン、鮭が並べてある。

「いただきます」

 焼鮭の塩気をあまりうまく処理できない食パンを頬張る。

 妹はそんな俺をニコニコと見つめている。

「あんまり合わないでしょ。

 残り物欲張りセットは当たり外れあるからなぁ〜」

「ここでは単品ずつ味わうテクニックが重要になるな」

「それはそれで味気ないけどね。

 あ、コーヒー淹れとくね」

 叶は俺の世話をするのが好きなのか、朝はこうして甲斐甲斐しく動き回ることが日課である。

 後味を全て味噌汁で流し込んで、俺は皿を洗う。

 叶は自分と俺のコーヒーを向かい合わせて並べると、席について俺を待っている。

 あー、多分これが幸せだ。

 俺にとって幸せは叶の形をしていて、彼女が関わらない限り俺は幸せになれない。

 そんな確信が俺にはある。

「コーヒーありがと」

「ふふん」

 叶は満足そうに鼻を鳴らした。

 眠気を吹き飛ばすために作られた苦すぎるコーヒーをすすりながら、二人でテレビを眺める。

 もう12月だ。世間はクリスマスに向けて必死に消費を煽っていた。

「あ」

 テレビを眺めていた叶が、何かに興味を持つ。

「へぇ、デパートでイルミネーションやるんだ。

 周囲一帯を消灯ねぇ、気合入ってるな」

 俺の合いの手にも返事は返ってこない。

 ……ははーん?

「クリスマス、予定ないなら一緒に行くか?」

 俺の言葉に、叶はわかりやすいぐらいに反応した。

「ふぇ!?あ、うそ、顔に出てた!?」

「出てた。

 それでどうよ」

 今度は俺が表情に出ていないか気にする番だった。

 心臓は既にバクバク言っている。

 叶が俺の事をどう思っているのかを確かめるには有効な一手だ。

 少なくとも、好感を抱いていない兄とクリスマスに出かけると言うのは考えづらいはず……。

「行きたい!行きたいけどぉ〜!

 今年のクリスマス当番はわたしでしょ?

忙しくて無理かも……」

「荷物持ち手伝うぜ?」

「あの、わたし、今年のクリスマスはケーキ手作りするから」

 叶は、ほんのりと頬を染めて言う。

「既製品の方が良い?」

「そんなこと言うやつは俺がぶっ殺す。

 マジで楽しみにしてる」

 手作りケーキ?凄い、可愛くて働き者なだけじゃなくて料理までできるのか。

 俺の妹はこんなにかわいい。

「あんまり期待しすぎないでよ~?つくるの初めてなんだから!」

「こういうのは気持ちが大事なんだよ。

 自分のために作ってくれたってのが一番うれしいポイントなんだから」

 俺の迫真の声に、叶はいつものテンションに戻ってくれた。

「お兄ちゃんは本当にシスコンだよね」

「へへ……」

「褒めてないから!」

 俺達は、こうしてお互いの愛情を確かめあう。

 恋愛感情を見せないように、あくまでもじゃれ合う形で。

 二人の時間の終わりを告げる、朝のチャイムが鳴る。

「あ、もう雪乃ちゃんが来る時間か」

「そんじゃ行くか」

 俺はエアコンを切ると、冷え切った外へとドアノブを回した。

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