第37話 決戦

 凄まじい邪悪な気配が、信じられない速さで迫り来ている。


 マイアの防具はボロボロだった。しかし、千切れた首を含む身体の傷は跡形もなく癒えていた。マイアの体調を考慮し、走ることなく急ぎ足でゲートを目指すが、間に合うか不透明だ。


「誰も居なくなってるけど、どうしたの? えっ、待って、あたしあの時死んだような気が……」


「それもあとで説明する。何かこっちに向かってるの分かるか?」


「ええ、あんな大きな気配くらい分かるわ。急ぎましょう!」


 駆け出したマイアは、今のところ死ぬ前と変わりない。女神アスクレピウスの御業みわざに感謝しなければ。


 それよりも近づいてくる気配。このままでは追い付かれる。


「マイア、ちょっと失礼」


「きゃっ!」


 マイアをお姫様抱っこして、全力で走り出す。


「確認だけど、マイアも高いところから落ちても平気だよな?」


「えっ? ええ、大丈夫だけど、どうしたの?」


「いや、ミッシーたちがくぐったゲートは、かなり高い空中に出るんだ。下に城郭都市が見えるから、そこにみんな行ってるはず。そこで落ち合おう!」


「ひゃあああぁぁぁぁ!!」


 マイアをゲートに向けてぶん投げると、ゲートのある地点でふっと姿が消えた。脱出成功だ。


 てか追い付かれた。


「ぐはぁっ!?」


 横からの衝撃で吹っ飛ばされる。

 この辺りもさっきのフリーズドライで更地になっているので、えらく遠くまで飛ばされた。


 勢いを殺すため、地面を滑りながら着地すると、背後に突然気配がわく。

 地面を踏ん張って横に飛ぶと、今いた場所にクレーターができる。


 何だあれ? 地面が上からでかい鉄球でも落としたようになっているけど、何もない。いや、何かの攻撃には違いない。


「うごっ!?」


 避けきれなかった。

 透明な何かに上から押し潰され、障壁ごと俺は地面にめり込んでしまう。


『ヒッグス粒子を観測しました』


 ヤバいな……。身動きがとれない。


「てめぇが冥界に入り込んだカトンボか? 弱いなぁ、ひ弱だなぁ、脆弱だなぁ」


 地面に障壁ごとめり込んだ俺は、地上に立つ黒い影と相対する。

 こいつ……これまでのデーモンと違う。気配もそうだけど、黒い粘体では無い。まるで影のように不定型で、揺らめきながらそこに存在している。


 その存在は悪意の塊、思念体のように感じる。



 ――――ドンッ



 こんなのと戦って長引かせると、ろくでもない結果になる。さっさと決着をつけようと、地面から打ち上げる雷を放ってみたが、避けられてしまった。

 対象が電荷を帯びているのに、何故避けることができる……。


「ぬるいなぁ。あんた名前は? あ、一応聞いただけ。言わなくてもいいよ。すぐに死ぬんだから。僕の名はメフィスト。短い付き合いだけど、よろしくぅ」


「ぬおおおぉぉ!!」


『両脚の痛覚を遮断。大量のヒッグス粒子を検知。ソータの質量が急速に増加しています。危険です。危険です』


 おぞましい姿とチャラい話し方。然してその力は、神威障壁を破壊する。瞬時に障壁を張り直したけれど、その一瞬で感じたのはえげつないくらいの重力。それに一瞬逆らっただけで、俺は両脚の骨が折れてしまった。


『デストロイモードへ変更』


『何だそれ?』


『緊急事態のため、神威でヒッグス粒子を対消滅させました。質量の増加はもうありません』


 汎用人工知能は、俺が知らない機能へ変更した。すると、全身から神威がみなぎってくる。


 なるほど……。緊急事態に備えて、汎用人工知能は自己改変していたわけだ。

 活性化したリキッドナノマシンのおかげで、足の骨折が瞬時に治り、障壁の強度が増す。浮遊魔法で地面から脱出すると、メフィストと名乗ったデーモンから驚きの気配が伝わってきた。


 宙に浮いた俺に、四方八方から重力の打撃が加わる。


『強制的に自己増殖グレイグーは出来るか?』


『はい。いつでもどうぞ』


 リキッドナノマシンは自己増殖するが、汎用人工知能が増減を管理をしている。今回は神威を使って、俺の意思で増やしていく。


 増やしたリキッドナノマシンを、両手の指先から放出させる。鞭のようにしなやかに動かし、メフィスト目がけて突き刺すように伸ばした。


 まあ刺さらないよな。


 不定形の影のような存在。針で刺しても突き抜けるだけだが、油断したなメフィスト。俺はリキッドナノマシンの分子結合を解除する。

 自由に動けるようなったリキッドナノマシンは、まるで銀色の雲。


 黒い影のメフィストと、気体になったリキッドナノマシンが入り混じっていく。


「影だか何だか知らねえけど、あんたみたいなデーモンはここで滅ぼす!」


 神威をまといし銀色の雲は、黒い影を食らっていく。黒と銀が混じり、灰色の影になったメフィストは、声を上げることもなく消滅した。


「……いや、逃がしたか」


 ものすごい早さでメフィストの気配が空へ昇っていった。それが上空の雲に到達すると、池に垂らした一滴のインクのように気配が薄く広がっていく。


 あいつがこの世界から出てこないことを祈ろう。


 考えても仕方がない。さっさとみんながくぐった野良ゲートへ行こう。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 空に出ると気怠い感覚が無くなり、何故か魔力が回復していく。神威を使ったせいなのか、アスクレピウスと会ったからなのか。どちらにしても助かる。神威を使うと簡単に天変地異が起きてしまうことが分かったし、魔法で十分だ。


『ヒッグス粒子の解析が完了しました。使用しますか?』

『このタイミングで冗談は止めろ。あとデストロイモードを停止』

『……は~い』


 なんだよそのションボリ声は……。


 太陽の位置は高くないので、まだ朝だ。冥界で一昼夜戦っていたことになるな……。

 落下速度を調節しながら、風の魔法で城郭都市の街中に降り立つ。ミッシーたちが先に降りているので、すでに野次馬だらけだった。


 無事に合流できたみたいだな、マイア。

 ただ、そのマイアに対し、周囲のエルフたちは何をどう聞けばいいのやら、といった雰囲気で混乱している。

 長老とサラ姫殿下以外は、マイアが頭を食い千切られる場面を見ていたのだから。


 ミッシーたちが俺に気付いた。ちょっと離れた場所に降りたので、手を振っておく。野次馬が多すぎて、近づけないのだ。


 さてどうしよう。と思いながら、辺りを見回す。建物は全て石造で、道路は石畳で整備されている。非常に高い技術で作られた街だと分かる。


 位置的にはベナマオ大森林の北側。山地の中の盆地にこの街がある。


 野次馬の中から衛兵たちが出てきて、ミッシーたちエルフの集団に槍を向けた。

 そのうちの三人が俺にも駈け寄ってきた。


 彼らは俺の胸くらいの身長で、ずんぐりむっくりとしている。着衣している鎧と兜は、芸術品のように美しい。


「お前たち、ドワーフの国に堂々と密入国とは、どういった了見だ?」


 ヒゲもじゃドワーフはそう言って、俺に槍を突きつける。なるほど……。ここはドワーフの国か。周囲の野次馬も一様に身長が低く、男性は髭が濃い。女性はさすがにヒゲもじゃではない。……チビっこくてかわいらしい。


「その方は、私たちの協力者です」


 サラ姫殿下の凜とした声。


 俺を囲んだドワーフの住人たちがざわめく。


「おい、あれってハイエルフのサラ王女か?」「たぶんそうだ」「何でドワーフの国に来てるんだ?」「魔力を制御できないから、どこかに隠れてるって聞いたぞ?」


 サラ・ルンドストロム・クレイトン。彼女は魔力の制御ができないのか? という事は、魔力の竜巻を起こしたのは彼女なんだろうな。あとハイエルフって、あのハイエルフ?


「衛兵の皆さん、矛を収めて下さい。あとはこちらで対処します」


 周囲のドワーフを掻き分けてきたヒト族の女性がそう言うと、衛兵たちは槍を立てて直立不動となった。ドワーフの国なのに、ヒト族が上司のような光景に違和感を抱く。


「わたくしは修道騎士団クインテットの、グレイス・バーンズと申します。エルフの皆さんと、そこのヒト族はこちらへどうぞ」


 ドワーフと同じく、きらびやかで芸術的な鎧を着込んだ女性は、俺よりも身長が高い。百八十センチほどありそうだ。透き通るブルーアイがとても印象的な美人だ。

 街のドワーフたちは何事かと興味津々だけど、衛兵たちに追い払われている。


 グレイスを先頭に、俺たちはあとを付いていく。金色の髪を後ろでザックリ束ねたポニーテールがゆらゆらと揺れている。


「ミッシー、これ何が起こってんの?」


「そんなことより、どうしてマイアが生きている?」


 マイアは俺とミッシーの横を歩いている。彼女もミッシーの質問に興味津々だ。


「……話すと長くなるから今度詳しく説明する。とりあえず今の状況を知りたい」


 説明だけなら簡単にできる。だがその話を聞いて、彼女たちが混乱するのは明らかだ。いまは話すタイミングではないだろう。


「状況は分からん……。ここがドワーフの国だと知っていたが。しかし……、修道騎士団クインテットか。マイアは何か知ってるか?」


「ええ、もちろん。これからグレイスが説明をすると思うので、それを聞きましょ!」


 本調子に戻ったみたいだな、マイア。いつもの笑顔が見れて嬉しいよ。

 三人で話しながら進んでいると、グレイスが立ち止まる。


「こちらへどうぞ」


 そこは大きな屋敷だった。周囲は高い柵で囲まれ、大きな門をドワーフの衛兵が厳重に警備している。大使館や領事館ってところかな?

 門をくぐって屋敷に着くと、中からヒト族のメイドさん達が出てきて頭を下げる。


「グレイス殿下、お帰りなさいませ」


 殿下って呼ばれるのは、彼女が貴族だからか?

 中は豪華絢爛なホールだった。グレイスはそこを素通りし、俺たちを大学の講義室のような部屋に案内する。


「みなさん、おかけになって下さい。聞きたい事がたくさんありますが……、その前に自己紹介ですね」


 テーブルと椅子は、俺たち全員が座ってもまだ余裕がある。グレイスは立ったまま壇上で話し始める。


 彼女はサンルカル王国、バーンズ公爵家の長女だという。

 貴族の事はさっぱりだけど、だいぶん偉い地位に居る事は分かる。そんな貴族令嬢が、どうして修道騎士団クインテットの一員なのか疑問だ。



僭越せんえつながらサラ姫殿下、あなた様がどうして、ミゼルファート帝国においでになさったのでしょうか?」


 一番前に座っているサラ姫殿下に、グレイスがそもそもの理由を尋ねる。ミゼルファート帝国って、このドワーフの国の名前らしい。


「グレイス様……私たちの里が」


 サラ姫殿下はそこまで言ったところで、言葉に詰まる。


「里は壊滅。生き残りはここにいる者だけだ」


 横に座っているミッシーが言葉を続ける。サラ姫殿下は下を向いて、涙を流し始める。


「壊滅? ここにいるエルフ数十名とマイア、それにそこのヒト族だけ……?」


 グレイスが怪訝な表情になると、ミッシーまで黙りこくってしまう。さっきから俺がついで扱いされてるのは置いといて、グレイスはあの里が全滅したことが信じられないという顔だ。


 するとミッシーの母親、エレノアがこれまでの経緯を詳しく話し始める。話が進んでいくと共に、グレイスの顔が険しくなっていく。


「獣人がデーモンを召喚しているのは知っていましたが……。デーモンに変化したと……? しかも、冥界へ引きずり込まれ戦いになった……」


 歯を食いしばるグレイスの青い瞳には、強烈な怒りが表れている。そして彼女は続ける。


「しかし、エルフの里が壊滅したからと言って、いま進行中である獣人自治区の攻略作戦に変更はありません」


 エルフの一同が動きを止める。


「待って下さい。マイアから聞いた話では、エルフとゴブリンで、獣人自治区を叩くと聞いてます。今回の件でエルフは壊滅状態。さすがに無謀では?」


 エレノアが至極まっとうな意見を述べる。エルフの里は、わずか数百の獣人によって冥界に連れ込まれ、圧倒的に不利な状況で壊滅した。


 グレイスはそんなエレノアを見て笑みを浮かべた。


「エルフの国、ルンドストロム王国は、南のモルトン大陸から船団を組んで北上中です。それと、このドワーフの国も参戦する事が決まりました――」


 あ、そう言えばマイアが言ってたな。ドワーフの里やエルフ本国に、交渉しに行ってるって。イーデン教の根回しが凄いな。

 でも、別の大陸にあるエルフの国なんて、獣人の脅威なんて微々たるもんだろう。ドワーフの国だってそうじゃないのか?


 なんて考えていると、エルフの国もドワーフの国も、デーモンが憑依した獣人たちに攻撃を受けているそうだ。


 彼らは既に当事者になっていたって事だ。俺もそうだけどね。


「獣人自治区への総攻撃まで、まだ時間があります。エルフの皆さんは安全のため、この屋敷内で過ごして下さい。マイアもじっとしてなさいね? それと、後日発表がありますが、ブライトン大陸のサンルカル王国、ミゼルファート帝国、モルトン大陸のルンドストロム王国、この三国で安全保障に関する軍事同盟を結びました。ゴブリンの里は同盟には加わらず、獣人自治区の攻撃のみに参加することとなりました」


 ここってブライトン大陸って言うのな。

 サンルカル王国は、獣人自治区パトリアや奴隷の町エステパを擁する国。

 ベナマオ大森林北側の山間部にある、ドワーフのミゼルファート帝国。


 ブライトン大陸と海を挟んで南にあるモルトン大陸。

 そこにはエルフの国、ルンドストロム王国がある。


 うーむ……、どこかに地図でも売ってないかな?


「あっ!!」


 俺の声で全員振り向く。


 金だ!! 金がない!!

 この話が終わったら、真っ先に冒険者ギルドに行こう。お金を稼がないと、出来ることが限られてくる。というか飯も食えねえ!!


 でもその前に伝えておかねば。


「ちょっといいですか?」


「そこのヒト族、さっきから思っていたが、何でエルフの皆さんと一緒にいるのだ?」


 グレイスさん、そりゃないでしょ……。まあ誰も俺のことを説明していないから、そうなるのは当然だけど。


「色々あったんですよ。それより冥界のデーモンについて、共有したい情報があります」


 俺の言葉にグレイスはやれやれという顔で先を促す。


「なんだ、言ってみろ」


「獣人自治区のレギオン、ゴライアス所属のシェール・スカーレットも冥界にいました。彼女はデーモンに魂を食われてしまい、意識が完全に消滅。そのあと身体の主導権を握ったデーモンはこう言いました。世界を滅ぼしてでも、デーモンの国家を作り上げる。我らがこんな世界に閉じ込められるいわれは無いと」


「……デーモンがそう言ったのか?」


「ええ、一字一句間違いなく」


「……」


「ソータくんは信頼に足る人物です。獣人の背後には、デーモンの野望があると見ていいでしょう」


 サラ姫殿下がそう言うと、エルフのみんなが頷く。信頼されててよかった。

 だが、今度はデーモンにどう対処するのかという話になり、会議が長引いてしまった。


 もう昼くらいになってるかな?

 そんなことを考えていると、ようやく会議が終わり、俺は屋敷を出て冒険者ギルドへ向かった。

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