第36話 アスクレピウス

 冥界にも風は吹く。一面にぶちまけられた墨汁――デーモンの成れの果てが雲散霧消していく。


 生き残りや逃げ遅れたエルフを探しながら、広場の中心にいるマイアの元に辿り着く。シェールにかみ砕かれたマイアの頭を持ち、身体の上に乗せた。

 辺りは遺体だらけで、生き残りは一人も居ない。獣人よりエルフの遺体の方が多いな。


 魔力が動くのを感じた。まだデーモンがいる。


 ――ドンッ


 次の瞬間、障壁に火球が当たって爆発する。マイアは俺と一緒に障壁の中に居るので無傷だが、周囲の遺体が爆風で損壊していく。

 火球は一方向からではなく、広場から離れた全方位、枯れ木の方から飛んできている。やはりここはデーモンの世界。気配すら感じさせずに、いつの間にか俺は取り囲まれていた。


 障壁から見る景色は少しぼやけるので、遠くまで見づらい。しかし、それを意識すると視界がクリアになった。まるでメガネをかけたように。

 汎用人工知能が調節したのだろう。


 おかげで火球が発射されている場所は分かった。ただ、そこには誰もいない。デーモンの気配はするが、姿が見えないのはシェール? いや、シェールはデーモンにのみ込まれて魂が消えた。


 それに気配も邪悪なデーモンのそれだ。という事は、姿を消すスキルを持つデーモンがいるのだろう。


 ものすごい集中砲火を浴び始める。周囲の遺体が損壊し燃えていく。爆発で地面がえぐられ、球形の障壁ごと俺は宙に浮かんでしまう。

 マイアの遺体も障壁をすり抜けずにいる。


「神威障壁の強度の確認も兼ねて、ちょっとやってみるか」


 俺を守る障壁の外にもう一つ、半径十キロメートルの障壁を張る。神威を使っているからなのか、何も負担を感じない。その障壁をゆっくり縮小させ、同時に風の魔法で空気を充填していく。


 俺を守る障壁と外側の障壁、その内部の圧力が高まっていく。

 神威障壁の強度は問題無さそうだ。


 しばらくすると、火球の攻撃がぴたりと止んだ。

 障壁と障壁の間の空間は、かなりの高圧となっている。そのせいで、さすがのデーモンも、攻撃どころでは無くなったのだろう。


 しかし、数えるのも億劫になるくらいの気配はまだ健在。外側の障壁をさらに縮小させ、圧力を高めていく。


 遠くに見える枯れた木々が、地面ごと障壁の形に添って持ち上げられていく。外側の障壁がだいぶん小さくなってきた。

 さらに内圧が高まると、デーモンの気配が消え始めた。


 圧力に耐えきれないデーモンが滅んでいるのだろう。

 それでもまだ、元気に邪悪な気配を放つデーモンがいる。


 障壁を縮小する速度を上げる。

 デーモンの気配が集まり始めたからだ。

 視認できる範囲は、見えない壁――障壁によって持ち上げられ、こちらにゆっくりと押し寄せて来ている。枯れた巨木と共に。


 視界が歪んでいく。

 障壁と障壁の内部圧力が高くなって温度が上昇し、俺の障壁内と温度差が大きくなったからだ。


 頃合いだ。超高圧の断熱圧縮でかなりの高温へ変わった。

 俺を守る神威障壁の外に、火魔法で小さな火球を打ち出す。

 それは爆発するように燃え広がり、乾燥した草木を燃やし尽くしていく。


 熱力学の第一法則を、大規模に神威障壁でやっているわけだが、効果は絶大だった。



 ――――ドウン



 超巨大な火球が俺の障壁に直撃する。しかし、音が聞こえただけで、中に居る俺にはまったくダメージはない。この状態でも生き残っているデーモンがいる。


 火球が飛んできた方向を見ると、巨木に匹敵する大きさのデーモンが立っていた。

 あそこまででかいと怪獣だな……。軍団長だと言ったバルモアと同じように、仲間のデーモンとくっ付いているのだろう。しかしその規模は、バルモアの比ではない。


 その巨大デーモンは苦しそうにもがき、膝をつく。

 高温高圧で燃え尽きた草木は炭になって燃えている。

 もう酸素は無いはずなのに。


 怪獣デーモンも燃え始める。

 正確には温度が上がっただけで、炎を出して燃えてはいない。例えるなら、真っ赤に熱せられた鉄のようになっているのだ。


 超高圧、超高温、そんな地獄のような環境では、さすがのデーモンも耐える事はできなかった。ここ地獄じゃなくて冥界だけど。


 片ひざをついたまま怪獣デーモンはゆっくりと倒れ、真っ赤な溶岩のようになって気配が消える。


 周囲は何者の気配も感じられない。攻撃をしていたデーモンは、全て滅んだのだ。

 だが、まだ安心できない。


 外側の障壁の天井に穴を作ると、とんでもない勢いで熱風が吹き出していく。

 それが収まると、風の魔法で空気を強制的に吸い出していき、真空状態へ近づけていく。


 限界まで空気を抜いたところで障壁を閉じる。

 そして外側の障壁を、元の大きさの半径十キロメートルまで、一気に拡張させた。


 デーモンが居た空間にある有機物は、全て静かに朽ちていく。

 真空に近い状態にまで圧力が下がったところで、さらに圧力が低下する。


 断熱膨張で熱がなくなり、有機物の水分は空気中へ昇華して瞬時に乾燥する。デーモンのフリーズドライ完成だ。


 この空間では生きとし生けるもの、全てが死に絶えただろう。


「クソボケが……」


 口癖しか出ない。デーモンを皆殺しにしても、心にさざ波すら立たない。エルフたちの遺体が燃え尽きても何も感じない。

 でも、マイアが死んだ事で激情にかられる。


「まだギリ、ニンゲンってところかな……」


 そばに横たわるマイア。食い千切られた頭は、原形を留めていない。もうどうしようもないけど、ちゃんと埋葬してあげなきゃ……。


 マイアを抱え上げて、ゲートへ向かおうとすると、ふと気付いた。俺はいま神威、つまり神に等しい力を使っているんだと。


 やってみる価値はある。

 マイアをそっと地面に横たえ、俺はイメージする。


『処理能力の限界です。ソータの脳が焼き切れてしまいます』

『サバイバルモードに移行』

『了解。最適化処理を開始』


 低ランクの治療魔法でも、神威を使えば砕けた頭部を元に治し、千切れた首と繋げる事は出来る。

 だが、それだけではきれいな死体が出来上がるだけだ。


 だから俺はマイアの魂を探している・・・・・・・。それが汎用人工知能に多大な負荷をかけてしまったのだろう。


 サバイバルモードになると、視界が切り替わった。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 白い空間? 明るいけど、足元に影がない。カリストが居た空間と似ているけど、まるで違う雰囲気がする。

 離れたところに、エルフや獣人が行列を作っている。みんなぼんやりして、やる気が無さそうに見える。

 ……なんだあれ?


 有名テーマパークのような入り口に入って行く行列。そこでは、係員のような人物が入場者をチェックをしていた。


 ……あの先が気になる。この行列はきっと死んだニンゲンたち。そう思うのは、少し先にジーンとシェールが手を繋いで列に並んでいるからだ。


 魂は本来の形で存在するのか……。元の姿でよかったな、ジーン、シェール……。

 肉体が死んでも魂として存在するのなら、生きる場所がただ変わるだけなのだろうか。


 それならマイアもここに居るはずだが……。


 マイアを意識した瞬間、視界が切り替わる。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 神威に満ち溢れた厳かな空間。高い天井は全てステンドグラスだ。そこから差し込む光は色彩を帯び、俺の足元をきらびやかに照らしていた。

 ここは石造の建物の中。白を基調とした、教会みたいな場所だ。飾り気は無いけど、歴史を感じる空間で落ち着く雰囲気でもある。


 物音のしない静謐せいひつを破る声がする。



「む……」



 むっ、て言いたいのはこっちだ。何だよここは。あの世への入り口から、突然転移した感覚だというのに。声の方を見ると、巨大な石の玉座に座る、巨大な女性がいた。

 その巨人――女性が立ち上がって、俺に近づいてくる。たぶん身長は十メートルを超えているな。


「アスクレピウス様、侵入者から離れて下さい!」


 声を発したのは、女性の横にいた男。白銀の鎧を着込んだ騎士が、女性の名前を呼んで制する。こっちは俺とさほど変わらない大きさだ。

 それに、アスクレピウスって呼んだな。この大きな女性は、イーデン教の主神なのか?


「おい貴様!! どこから入ってきた!!」


 白銀の騎士が剣に手をかけ、俺とアスクレピウスの間に割って入る。


「どこからって、気がついたらここに居たんだけど……」


「ウソをつけ!! この神殿に入って来られるのは神に連なる者だけぞ!! どんなからくりを使ったのか知らぬが……いや、そんなからくりは無い!!」


 ノリツッコミを始める白銀の騎士。いったいなんなのさ。


「マカオ、落ち着きなさい。彼が神威かむいをまとっているのが分からぬのか?」


「はっ!? うわっ、マジだ!? という事は、彼も神に連なる者っ!?」


 マカオと呼ばれた騎士は、目ん玉がこぼれそうなくらい目を見ひらいて俺をガン見してくる。

 なんか緩いなぁ、この騎士。あと、俺は神に連なってないぞ?


「ソータ・イタガキ、いつか会えると思っていました」


 女神様はもれなく俺の名前を知ってるのか?

 カリストも知ってたし。あ……、て事は俺の考えも筒抜け?


「そうですね。筒抜けです」


 うふふ、みたいな笑い方をするアスクレピウス。かわいいな。巨人だけど。

 それならこの二人は、俺が何をしに来たのか分かっているはず。分からないのは、何故ここに転移してきたのか。


「答えてやるよ、ソータ」


 マカオは気を取り直し、キリッとした顔で話し始める。

 ああ、ほんとに心を読んでるんだな。だがこの二人に、カリストのような苛立つ雰囲気は無い。


「そうだ。力を付けた精霊カリストは、神になろうと必死だからな。それはさておきソータ、死者を蘇らせると面倒なんだよね。死は生を定義づける。その理をねじ曲げるわけだからさ」


 カリストは女神ではなく精霊だった? あの焦った雰囲気は、精霊から神に昇格しようと必死だったからなのか……。世知辛いんだな、神様社会も。

 というか、マイアを甦らせる事が可能だと分かった。だが面倒とは、どういう事だ?


「ニンゲンを甦らせると、放縦ほうじゅう、悪意、獣性が渦巻く冥界の神、ディース・パテルが怒るんだよ。そりゃあもう、世界を滅ぼすくらいに」


 冥界の獣性……か。獣人と何か関係があるのだろうか。

 死者を蘇らせるというのは禁忌っぽいな。てか冥界? デーモンの居る冥界の神が、ディース・パテルって名前なのか。

 でも、冥界の神に見つからないよう、こっそり生き返らせるって出来ないのかな?


「出来るよ? こっちのお願いを聞いてくれたら、アスクレピウス様がバレないようにしてくれるさ」


 お願い? ……カリストみたいに、無理難題を吹っかけてくるなら断るぞ。


「そんな事は言いませんよ、ソータ」


 マカオの後ろに立つアスクレピウスが、たおやかな顔で語りかけてくる。

 この世界の事もよく分かっていない異世界人の俺に、何のお願いだろう。


「そうですねぇ……。ソータには酷な話になるかもしれませんが、この世界を武力で制圧しようとする地球人を止めて下さい」


「……俺個人じゃ無理です。外交官じゃないし、ワンマンアーミーでも無い」


「ソータ、あなたは先ほど、デーモン七万の軍勢を討ち滅ぼしました。神威を使うという事は、神としての責任が伴うのです。いいですか? あなたはもう、この世界の神々の末席にいると自覚して下さい」


 神の末席? 神威は魔素の上位互換だと思って使ったら、とんでもない方向に話が進んでいる。まあでも後悔はしてない。マイアが助かるのなら。


「地球人が戦争好きなのは知ってます。でも、いきなり侵略なんてしないと思うんですけど……。地球から脱出してくるんだから、下手に出るはずです――――」


 いや……下手に出るかな? 科学を発展させた地球と、魔法を発展させたこの世界。対等に交渉を始めたあと、この世界の文明レベルが低いと知ると、見下すかもしれない。地球には差別主義者が多いし。

 前も思ったけど、交渉が拗れたらあっという間に戦争になるだろう……。


「ソータ、あなたは、地球の人類を救いたいですか?」


「そんな大それた事は考えてないですけど、やれる事があれば、という感じですね」


「やれる事があれば、と言いましたね。地球人類を救うために、全てをなげうつ覚悟はありますか? 彼らはこの世界を攻撃するつもりでいます」


「攻撃……。俺は日本人だから、同胞と敵対する気は無いです。だから、地球人がこの世界と交渉できるよう、色々動いてみます。あまり自信は無いですが」


 具体的に何すりゃいいのか解らないけど、追々考えていこう。マイアを生き返らせる方が先決だ。


「その言葉を待ってました!! マイア・カムストックはこちらで何とかします。ソータ、期待してますよ!!」


 その言葉って何だ? と考えていると、真っ白い光に包まれ、次の瞬間俺はマイアの横に立っていた。

 冥界へ戻されたようだ。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「ん……、ソータさん何してるの?」


 横になっているマイアが目を開ける。アスクレピウスが魂を戻したのだろう。


「ここに長居したくない、動けるなら、道すがら話すよ」


「うん、わかった。わっ!? 何これ!!」


 俺たちの周囲は更地になっている。半径十キロメートルほど。


「とりあえず冥界から出よう」


「……わかった」


 俺たちはゲートを目指して歩き始める。マイアは少し混乱しているが、急がねば。

 まだ遠いけど、こちらへ向かってくる、とてつもなくヤバい気配を感じているのだから。

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