第34話 冥界の戦場とマイアの最期

 あっという間だった。マイアの首がもげるのは。

 骨をかみ砕く音と、湿った咀嚼音が、やけによく聞こえてくる。


「マイア!!」


 マイアの近くに居るエレノアが悲鳴をあげた。彼女の近くには生き残りのワニ顔と戦う、シエラとスノウの姿もある。


 動揺するのは後。もうどうにもならないし、今は動かねばならない。

 俺を追い抜いたミッシーをもう一度抜き返し、シェールに迫る。


 微々たる数だけど、まだワニ顔が残っている。しかし、今はシェールを何とかしなければ。こいつはジーンより危険な雰囲気を放っている。


「おるぁあ!!」


 魔力の拳でぶん殴ろうとするも、避けられてしまう。

 というか、さっきも同じ事があっただろう。

 怒りで対処を間違えるとか、ダメな見本じゃないか。


「ソータアアァ!!」


 シェールは俺に気づくと同時に標的を変更。口に咥えたマイアの頭部を吐き捨て、怒濤の勢いで殴りかかってきた。


「ミッシー! そっちを頼む!!」


 衝撃波でシェールを吹き飛ばし、全力で駆け出した。ミッシーたちと距離を取るために。

 大きいだけじゃないみたいだな……。優に百メートルは吹っ飛んだのに、転がりもせずに着地しやがった。ダメージもほぼ無さそうだ。


 もう一度全力で衝撃波を放つ。

 これは風の魔法で空気を圧縮して炸裂させているだけだが、指向性を持たせるためにそこそこの魔力を使う。

 さっきの雷放電で魔力を使いすぎたのか、衝撃波の威力が落ちたみたいだ。


 シェールが衝撃波を正面から受け止めて耐えている。


「ソータ……どうして逃げたの?」


「おっかねぇんだよ、お前ら」


 全然効いてないな、衝撃波は……。シェールは元々小柄な兎獣人だったが、いまは身長五メートルを超えたワニ顔。その体重も相当だろう。


「あのあと、ソータを庇ったのはあたし」


「何が言いたい……」


 あのあとって、シェールに襲われたときだよな……。シェールはスキルか何かで巨大化していた。俺は顔の骨を折ったけど、もう治っているみたいだ。今はワニ顔の獣人だけど。


「あたしたちの仲間になって欲しいの」


「ジーンも同じ事言っていたな。断ったけど」


「言っていた? どういう事?」


「……ジーンは死んだよ。憑依してたデーモンも滅ぼした」


「あの雷かっ!? ――――ソータ貴様っ!!」


 ワニ顔のシェールは顔を歪ませ、地面から弾けるように飛びかかってきた。


 巨体のくせに速い。

 障壁を張って、シェールの右ストレートを受けるも、あまりの衝撃で吹っ飛ばされてしまう。

 体重差がありすぎるな。それと、頭が痛い。たぶん魔力の使いすぎだと思う。


 シェールの重く鋭いパンチは、俺に反撃の隙を与えてくれない。

 ただ、ジーンもシェールも、腰に下げた剣を使ってこないのは何故だ? ……デーモンが憑依すると、思考能力の低下でも起きるのか?

 最初に戦ったワニ顔は、意識が無さそうだった。それでも剣を使っていたのに。


「うおっ!?」


 戦闘中に考える事じゃない。

 障壁ごと蹴り飛ばされた。

 ダメージはないけど、割と滞空時間が長い。

 落ちる地点にシェールが先回りして構えている。


 ……そういえば。


「っと」


 浮遊魔法で空中に浮かぶ。


『制御を任せていいか?』

『分かりました!!』


 ん? 汎用人工知能にお願いすると、声が弾んでいる? 即答でやってくれるのは有り難いのだけど、なんだか嬉しそうというか……。


「うぉっ!!」


 火球が目の前にあった。放ったのはシェールだ。

 魔法で空を飛んだ感動すら味わえない。

 即座に水球で迎撃する。


「あれは……」


 今の高さはツリーハウスと同じくらい。

 森の中なので遠くは見通せないけど、木々の間を素早く移動しながら近づいてくる集団がいる。

 それは黒い粘体でニンゲンの形をしていた。


 デーモンの軍勢が、こちらへ近づいてきたようだ。

 地上から滅多矢鱈に火球を飛ばしてくるシェール。


 こいつらが合流したらヤバい。


「ソータ、降りてこい!!」


 ご要望通りシェールの目の前に着地。そして即座に衝撃波で吹っ飛ばす。

 枯れた巨木をへし折りながら飛んでいくシェールは、デーモンの軍勢の中へ消えていった。

 これが凶となるか吉となるか分からない。大吉になって欲しいな。とりあえず、時間は稼げるはず。


 ミッシーたちの近くに着地して声をかける。


「ミッシー、エレノアさん、逃げるぞ!!」


 彼女たちはマイアの亡骸を抱きしめていた。ワニ顔の獣人と、小者のデーモンは倒してしまっている。生き残りのエルフたちが彼女たちを護衛をしているが、デーモンの軍勢が押し寄せたらひとたまりもない。

 彼女たちもデーモンの気配に気づいたのだろう。立ち上がった二人は悲しみではなく、ひっ迫した表情になっていた。


「ソータ、いまのはシェールか?」

「ああそうだ。デーモンの軍勢の中に放り込んできた。森に逃げ込んだエルフたちを探して、早いとこ逃げるぞ」


「ソータ、森の方のエルフは全滅していた。生き残りはここに居る者だけだ。それと、脱出用のゲートは分かるか?」


 ミッシーと話していると、エレノアが割って入ってきた。横には俺を睨むシエラとスノウ。こいつらとは一回ちゃんと話をしなきゃいけないな……。

 周囲に居るエルフの生き残りは数十名しかいない。あんなにたくさん居たのに。


「ゲートは探すしか無い。長老たちはあっちに逃げたから追うぞ。ゲートはそのあとだ」


 王女を置いてけぼりにしたら、なんてそしられるか分からないし。


 おまけに俺は魔力切れの兆候がある。考え無しに魔法を使った結果だからしょうがないけど、これからは気を付けなければ。

 おかげで腹が減った……。


 無駄に魔力を使わないのなら……、リキッドナノマシンの針でも使うか。


 俺たちは全力でその場を離脱した。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 サラ・ルンドストロム・クレイトンを護衛しながら逃走するエルフの一団。周囲は枯れた巨木に囲まれた茶色い世界だ。風が吹けば大量の粉塵が巻き上がる。彼女たちは、そんな見通しの悪い広場へ来ていた。


 戦場となっている場所からは随分と離れた。ここらでソータを待とうと思い、ボリスは全員立ち止まるように声をかけた。


「じい、どうするの?」


 サラがボリスに話しかける。エルフの里ではこの場所にゲートがあり、ベナマオ大森林へ出る事ができるのだ。しかしゲートらしきものは何もなかった。


「幸いにもここまで戦火は及んでいません。ソータがエルフの同志を連れて来て、ゲートを見つけてくれるでしょう」


「指輪外す?」


「事故が起きますので、止めてください」


 サラの細い指には、微細な魔法陣がたくさん刻まれた指輪がはめてある。それを外すと、事故が起きるというのはどういう事なのか。


 ここに居るのはサラを守る長老五人と、エルフの戦士三人。その戦士の一人が声を上げる。


「囲まれています!」


 その声と同時に、サラをエルフの八人が取り囲む。

 周囲には、邪悪な気配が濃密に漂っている。ゼラチンのような空気が今にでも固まって、動けなくなるみたいに。


 カサカサと地面を動き回る音は何者か。ここに居る九人がそう思っていると、突然エルフの一人が、頭から股まで赤い線が走り、二つに裂けた。


 ドバドバと溢れる内臓と血が、地面に落ちて広がっていく。二つに分かれたエルフの戦士が力なく倒れた。


 サラを含め、この場に居るエルフたちは何が起こったのか解らず、声を出す事すら忘れている。

 全員が硬直していると、エルフの戦士がまた一人、真っ二つに裂けた。


「全員抜剣しろ、姫様を守れ!! 見えないデーモンが居る!!」


 ボリスがやっと声を出す頃には、三人目のエルフが血の海に沈んでいた。


 生き残りは、長老五人とサラのみとなってしまった。

 敵の姿は見えない。どうやって攻撃されたのかも分からない。ボリスはいつの間にか追い詰められている事に気づいた。


「むっ!?」


 何かを感じたボリスは、剣で宙を払う。すると金属音がして、近くに何かが刺さる音がした。


 ――――見えないデーモンが剣でワシらを攻撃している。


 そう考えたボリスは、背を向けたままサラに話しかけた。


「姫殿下……指輪を外してください……」


「んもー、最初からそう言ってくれればいいのにー」


 ほっぺを膨らまして、サラがボリスに抗議する。

 そして指輪を外すと、突風のように吹き荒れる魔力が発生した。

 物理的な圧力を持って、魔力が吹き荒れる。


 魔力の渦は、巨大な竜巻へと変化していく。


 広場に積る落ち葉を巻き上げ、外周に生えた枯れ木を引っこ抜き、灰色の空へ巻き上げてゆく。サラがはめていた指輪は、こうならないためのもの。彼女は巨大すぎる魔力を制御できず、指輪がなければ周りに被害を及ぼしてしまうのだ。


 ボリスたち護衛のエルフたちは、魔力の竜巻の中心に居る。

 空には色々なものが舞い、ぶつかり合っている。その中には姿を現したデーモンが見えた。


「サラ姫殿下……ありがとうございます」


「……うん」


 サラは顔が真っ青になっている。

 いくら強大な魔力を持っていようと、風呂の底が抜けたような使い方であれば、すぐにスッカラカンになってしまう。サラはその場に座り込み、大きく深呼吸を始めた。


「デーモンは全て射殺せ!!」


 ボリスの声で長老たちは背中の弓を構え直し、光の矢を射始める。

 周囲を囲んでいたデーモンは、かなりの数だ。遙か上空に巻き上げられたデーモンに矢が刺さり、次々と爆散していく。

 五人の長老は、デーモンが地上に落ちる前に全て倒そうとしているようだ。


 ――ダメだ、数が多すぎる。


 ボリスは速射しても追い付かない事を悟ると、次の手に打って出た。


「魔法戦用意!!」


 その声がする頃には、射殺せなかったデーモンたちが地上へ降りていた。デーモンたちは直ぐさま、サラたちエルフの一団へ向けて火球を放ってくる。


「障壁を張れ!! 一斉射撃が収まり次第、反撃だ!!」


 五人の長老が張った障壁は、デーモンの巨大火球を全て弾いている。しかし、その攻撃は一瞬も途切れずに続く。障壁を解除しようものなら、六人とも即座に黒焦げになって爆散してしまうだろう。


 ボリスの目には、炎と黒炎しか映っていない。

 あまりにも連続して火球が飛んでくるので、障壁の先を見る事ができないのだ。


 ――じり貧だ。

 エルフの魔力は多いが、無尽蔵ではない。このままだと確実に全滅する。


「じい……」

「大丈夫ですじゃ。これで神威かむい障壁しょうへきを張ってください。姫様だけはご無事に」


 不安そうな顔でいるサラに、ボリスが親指大の小さな珠を渡した。琥珀色のそれは、魔力ではない別の力を宿した神威かむい結晶けっしょう。表面に細かな魔法陣が刻んであり、緊急時に障壁が張れる魔道具だった。


 長老たちは決死の覚悟を決め、デーモンに立ち向かう。


「だめ……。止めて!! デーモンが多すぎるよ! みんな死んじゃう!!」


 サラが叫んだが、ボリスを残し、他の長老たちがその場を離れていく。

 もちろん護衛を諦めたのではない。


 このまま動かず魔力切れになれば、全滅してしまう。だからこそ、打って出たのだ。


「お前たち、ちょっと待て!!」


 これから散開しようとした長老たちに、慌てて声をかけるボリス。その目は、黒炎の隙間をジッと見つめている。


「あれはソータ!! エレノアとミッシーもいる!! うっほー、助かったのじゃ!! 全員元の位置に戻って、姫様を守る事に全力を注げ!!」


 そんな事を言うボリス。涙を流すサラは、くしゃくしゃの笑顔になっていた。

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