第26話 逃げ切ればまだ闘える

 虎獣人のジーンが立ちはだかり、ゴライアスのメンバーたちも続々と集結する。ソータは退路を断たれ、無表情で暗く佇む。彼の視線は、黒焦げの大地でエルフの死体を貪るデーモンに向けられており、獣人たちには目もくれない。


「お前ら! こいつを絶対に逃がすな! 俺たちがデーモンを使役していることがバレたら、計画に支障が出る!」


 ジーンが命令を下すと、獣人たちは様々なスキルを駆使してソータに襲いかかった。


 しかし、ソータの前で攻撃は全て弾かれる。剣、槍、爪、拳、様々な武器が、彼の展開した障壁に阻まれたのだ。


「ちっ! ソータてめぇ、障壁なんざ使いやがって!! おとなしく死んどけやっ!!」


 胸の前で両腕を交差させたソータは、無表情のまま。彼の背後からは、憤怒のシェールが木をへし折りながら突進してきた。


 ソータは障壁を解いて振り向き、シェールの顔面に拳を叩き込む。カウンター気味の一撃に、シェールは白目を剥いて倒れた。


 その姿をチラリと見ると、ソータは迷わず全力で逃げ出した。


「シェール!!」


 ジーンが叫ぶ。ソータに殴られたことで、シェールの顔面が陥没している上に意識が無い。彼は慌ててシェールに駆け寄り、治療薬を振りかけた。みるみるうちに腫れが引いて骨がつながっていく。これは錬金術で作られた高価な治療薬だ。


「ちっ……。てめえらっ、ソータを追え!! 絶対に生かして逃がすな!!」


 ジーンは周囲にいる獣人たちに号令をかけた。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 だいぶん距離は稼いだはず。

 ゴライアスのメンバーたちから逃げ出して時間も経った。追っ手が来ないところを見ると、逃げ切れたと思っていいだろう。

 というか、あそこまで苛烈に攻撃されるとは思わなかったな。完全に殺しに来てたし。


 あれだけの力で殴って、俺の拳が無傷ってどうなの? 骨が砕けるかもと思ったけど、すり傷一つ付いていない。


 周囲は月の明かりが差し込む薄暗い森の中だ。近くには前に見た巨大キノコが生えている。


「昨日来たばっかりなのにな……」


 獣人自治区パトリアに来て、怒濤の一日を過ごした。

 それで分かったのは、彼らは俺が勝手に思い込んでいた獣人のイメージと、まったく違っていたという事。エルフの亡骸を、デーモンに喰わせる獣人たちの姿は恐ろしく、そして忌まわしかった。


 ジーンが口走った計画とやらが気になるけど、今となっては確かめようがない。

 ろくな計画では無いと思うけど。


『そういや、さっきの障壁はなんだ?』

『ソータが自らの力で作ったのです。こちらで調整する必要もなく、完成された障壁でした。お見事です』


 お見事って言われてもな……。でも、おそらく魔法だと思う。

 俺はあの時、一斉に飛びかかってくる獣人たちを、一人で捌いて蹴散らすことができないと思った。それで自分を守る障壁をイメージしたのだから。


 まあいいや。無事でなによりという事で。ためしにもっかい障壁をイメージしてみよう。


「どういう原理なんだ?」


 手を伸ばしてギリ触れない距離に、膜のような障壁が現れる。完全に透明ではないので、その先がぼやけて見える。

 俺を中心に半球体。地面の中にも伸びてそうだから、障壁は球体なのだろう。


 移動すると、俺を中心に障壁が動く。そうなるようにイメージしているけど、まったく以て魔法は不思議なものだ。


「……貴様、障壁まで使えるのか」


「そうみたいだな……」


 闇の中からミッシーの声がした。若干呆れたトーンだ。

 ずいぶん離れた場所からミッシーの気配を感じていたのは、俺を驚かさないために意図してのことだろう。

 森の闇から月光の元へ姿を見せたミッシーは、ボロボロのなりだ。獣人自治区から逃げ出すのに苦労したようだ。


「行くあてはあるのか?」


「無いよ」


 女神カリストが佐山たちに神の力とやらを貸し、獣人を滅ぼすように依頼したのは、よくよく考えてみるとデーモンが原因なのだろうな。


 だけど、佐山たちはその約束を守らず、どこかへ姿を消した。

 唯一の手がかりになりそうだった、弥山とマイアの関連がはっきりしなかったのは残念だ。獣人自治区にはもう戻れないからな。


 佐山たちはいったい何をしているのか? その目的がまったく分からない。

 行くあてはないけど、一旦奴隷の町エステパに戻って、佐山たちの情報収集だな。あの奴隷商人がちょっと厄介だけど、何とかするしかない。


 もう少し計画を立ててくればよかった、とも思うけど、この世界の情報はほぼ皆無だったからな……。


「ソータ、何を考え込んでいる? 貴様がよければエルフの里に案内する。食事と寝床を提供しよう」


「え? マジで?」


「ああ、マジだ」


 ミッシーの声は真摯なもので、以前のような敵意を感じない。どこでそうなったのか……。思い当たる点は、汎用人工知能が冥界と称した場所で共闘したこと。

 でも渡りに船だ。色々ありすぎて疲れた。こいつが殺人や盗賊まがいの事をしていたとしても、獣人たちはそれ以上に残虐だった。


 思い返すと、奴隷商のロイスは、獣人が凶暴だと言っていた。

 ゴブリンの族長ゴヤは、エリスを見て気をつけろと言っていた。彼が言ったキナ臭い噂とは、おそらくデーモンの事だったのだろう。

 エリスが祈りを捧げたときに感じた気配……。あれはアリスだ。


 魔素が空気のように満ち、スキルが日常の一部となっている世界。そしてここは、地球と同じくらい命が軽い世界だった。


「い、いつまで考えてるんだ?」


 ミッシーの声は震えていた。どうしたんだろう。


「寝床は別だ、勘違いするな。私は貴様を味方だと思ってないぞ」


「俺もだよ!!」


 俺の返答は即座で、断固としていた。


 きっしょ!! ほっぺた赤くすんな!!



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 月明かりも届かぬ夜の森を、俺たちは息を殺して突っ切る強行軍となった。出会った魔物とは一切戦わず、ただひたすら逃げの一手を取る。川の浅瀬を縫うように移動し、木の枝を飛び移る姿は、まるで影のようだった。面倒くさいと思いつつも、これが生き残るための唯一の道だ。


 ミッシーに「なんでだよ」と問いただすと、彼女は静かに答えた。「追跡されないためだ。痕跡を残したくない」と。その慎重さは、獣人たちの追っ手をまくためだけでなく、敵対するゴブリンたちの目をも欺くためだった。


 道中の会話で口を滑らせたのか、ゴブリンと共闘すると言いかけて、ミッシーは慌てて口をつむぐ。何かを隠しているみたいだけど、共闘っていい事じゃないの?


 空が曙色に染まる頃、ようやく到着した。

 休みも取らず走り尽くめで、山を二つ越えた。華奢なミッシーのどこにそんな体力があるのか分からないが、たぶん何かのスキルを使っていたのだろう。


「入り口はあれだ」


 山の麓にある川を遡上していくと、凄い落差のある大瀑布があった。

 味方だと考えてない、とか言っておきながら、秘密の入り口っぽい場所に連れてくるとは……。


 何か裏がありそうだと考えてしまうのは、信じかけていたエリスたち獣人が、あり得ないほど残虐で、俺が勝手に裏切られた感を持っているからだろう。


「あの滝の裏か?」


「……貴様、やはり魔力が見えるようだな」


「まあな。……魔力だとは思わなかったけど」


 滝の裏側に、歪んだ空間が見えている。まだ薄暗いけど、平行次元を繋ぐ結節点がはっきり見えているのは俺の力ではなく、汎用人工知能とリキッドナノマシンのおかげだ。

 俺とミッシーは崖沿いに進み、滝の裏側に到着。二人で気配を消して、しばらく待機する。


 誰も追ってきてない事を確認すると、ミッシーがその場所で何かの呪文を唱え始める。すると歪んだ空間が透き通り、岩壁にぽっかりと穴が空いた。


『隠蔽魔法の解析を完了、使用しますか?』


『使用しないからな? てか、……そんな魔法もあるのか』


『対象を見え難くして通れなくするので、隠蔽魔法陣と効果が同じです』


『ああ、エリスの実家にあったやつね。魔法陣と魔法の違いだけってことか』


『そうなります。それとここにある魔石の魔力が少しずつ減っています』


『このゲートを維持する為、魔石の魔力を消費してるってことかな?』


『推測の域は出ませんが、可能性は高いです』


 汎用人工知能を話していると、ミッシーから声が掛かった。


「ついてこい」


 ミッシーと一緒に先へ進むと、景色がガラリと変わる。

 昨日エリスが作ったゲートを通ったときと同じ感覚がしたので、ここは別の空間なのだろう。


 目の前には、ベナマオ大森林より遥かに大きな木々が見える。屋久杉どころじゃないな。巨木の太い枝の上に、エルフたちの住居であるツリーハウスがたくさん造られていた。

 光を放つ木々って何なの? 全てではないけど、巨木の半分くらいはうっすらと輝いているのだ。


「呆けた顔してどうした?」


「あ、いや……」


 あまりにも幻想的な風景に見とれてしまった。


「我らエルフは知っての通り、妖精の一種族だ。この里は外敵に侵入されないよう、ベナマオ大森林とは別の空間にある」


 知っての通りと言われても知らん。

 妖精は、小さくて羽が生えているイメージだ。しかし精霊はデーモンだったし、地球の知識を元にした翻訳をまるっと信じることはできない。


「冥界やらエルフの里やら、色んな別空間があるんだな」


「ソータ、……貴様は何も知らないんだな。ああ、そうか、異世界から来たんだったな!」


 白々しい……。てかそこでドヤ顔って、なんなのこいつ。俺はこの世界に来て、まだ四日目だぞ? そんなこと知ってるはずがないだろ。


「かなりの人口だな。どれくらいのエルフが住んでるんだ?」


「詳しくは言えないが、数万人ほど住んでいるな」


 巨木の森の中に散らばっているのかな? 数万人もいるようには思えない。


 スタスタと進むミッシーの後ろをついていくと、ツリーハウスから覗くたくさんの視線を感じる。地上に居る里のエルフたちは、俺の姿を見て慌てて隠れていた。

 そんなに警戒しなくてもいいのに、と言っても無駄なんだろうな。黒髪アジア人顔の俺は、一目でエルフと違う種族だと分かるし。

 あと、お年寄りが見あたらないのは、エルフが長命種だからなのか。


 太陽はすでに、この世界を明るく照らしている。おかげで、森の中なのに遠くまで見通すことができる。

 太いツルが交差しながら大きな巨木を形成し、遙か上に吊り橋がたくさん見えている。巨木ごとにツリーハウスがあるので、いちいち下に降りて移動しなくてもいいように工夫しているのだろう。

 網の目のように張り巡らされた吊り橋は、この集落の人口がかなり多いことを物語っている。


 ベナマオ大森林と比べ、植生がだいぶん違う。日の差す森だからなのか、フルーツがたわわに実った木がたくさん生えていた。


「着いたぞ」


「ん?」


「貴様を長老たちに会わせる。もうすでに集まっているはずだ」


「俺が来るっていつ連絡したんだ?」


「私たちがゲートを超えた時点で、見張りが気づいているからな」


 ミッシーは一際大きな巨木の前で立ち止まる。

 巨木に打ち付けられた螺旋階段は、上にある大きなツリーハウスまで繋がっている。

 外から部外者を連れてきましたよ、って長老に紹介するのだろうか。


 というか、いきなり里のトップクラスに面会させるなんて、こいつの危機意識はどこに行ってしまったのだろうか。


 透き通る空気を胸いっぱい吸い込み、階段を登り始めた。

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