第25話 獣人の本性

 ソータがアリスを滅ぼしたその時、隠れ家にいたエリスは白目を剥き、泡を吹いて倒れていた。


「どうしたのエリス!」

「ブレナ、離れろ!!」


 駆け寄るブレナをブライアンが制し、エリスから距離を取った。

 とはいえここは屋内。そんなに距離を取ることはできず、二人は壁に張り付いている。


「多分だが、アリスがやられたんだと思う……」


 床に倒れて意識の無いエリスを見ながら、ブライアンが言う。


「どういう事?」


 この部屋にいる三人は、アリスがミッシーを自分の世界に連れ込んだことを知っている。


 しかし、想定外の事態が起こった。それはソータまでが、アリスの世界へ落ちたかもしれないという事。

 ここにいる三人は、こつ然と姿を消したソータの行き先をそう推測していた。


「つまり、ミッシーかソータがアリスを倒し、血のつながりが切れた。そのせいで、エリスが倒れたというわけだ」


 ブライアンは痙攣を始めたエリスを見ながら、吐き捨てるように言い放つ。その瞳は抑えられない怒りに染まっていた。


「そう? アリスは軍団長クラスのデーモンだから、そう簡単にやられるはずがないと思うけど?」

「ああ、アリスならミッシーごときを簡単に食い殺していたはずだ」

「そうなっていないという事は……」

「異世界人のソータがアリスを倒したんだろうな……」


 エリスは痙攣しながら、口から黒い液体を吐き出した。それは床に広がり、まるで生き物のように蠢き始める。ソータたちが目撃した黒い粘体と同じものだ。


「アリスが完全に滅んだ……。ブレナ、台所から蓋付きの空きビンを持ってきてくれ」


「ええ、……餌は残り物でもいいよね?」


 ブレナは台所から空きビンを持ってくる。中には肉の欠片が入っていた。


「放っておくと、こいつはエリスを殺してしまうからな……」


 ブライアンはそう言いながら、黒い粘体の近くにビンを横にして置く。


 肉の欠片に目をつけた黒い粘体は、一瞬で飛びかかった。ビンの中に黒い粘体が入ったのを確認すると、ブライアンは素早く蓋を閉めた。


「ふう……、これで一安心だ」

「まえに起こった事故は悲惨だったしね~」


 額に汗をかいたブライアンを尻目に、ブレナは軽い口調で返しながらエリスを抱き上げた。

 エリスを回復するため、これから教会へ向かうのだ。


「エリスのことだから、また別のデーモンを召喚するんじゃない?」


「だろうな……」


「ソータは仲間になれると思ったけど、エリスは許さないだろうね」


「だな……」


「あたしがソータ殺して、デーモンに食べさせよっかな」


「……」


 無言になったブライアンを尻目に、ブレナがエリスを抱え上げようとする。


「ゴホッ!!」

「エリス!」


 目を覚ましたエリスを優しく抱きしめるブレナ。しかし、エリスは突然、ブレナの腕を力強く押しのけた。彼女の目は異様に見開かれ、顎が外れんばかりに口が大きく開く。その口からは、耳をつんざく金切り声があふれ出た。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


「ひっ!!」

「うおおっ!?」


 立ち上がって絶叫するエリス。


 大きく口を開け、上顎と下顎の牙が目に見える速度で伸びていく。

 毛細血管が切れた真っ赤な眼から、血の涙が流れる。

 全身に力を入れ、四肢が硬直し筋肉が膨張していく。

 血管が浮き上がり、弾けて血が飛び散る。

 全身の毛が、白く変化していく。

 流れる血が、体を赤く染め上げる。


 そして彼女は、怒りと悲しみに任せて召喚魔法を使った。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 さて困った。

 ゲートを抜けて戻ってきたけど、俺とミッシーは獣人たちに取り囲まれている。

 牙を剥いているのはミッシーに対してだったが、横に立っている俺もエルフの味方だと勘違いされているのだ。


 どれくらい冥界にいたのだろう。辺りはもう暗くなっている。


「おいミッシー、こっちとあっちの世界、位置関係がまったく同じなのか?」


 ここは俺とエリスがベナマオ大森林から入ってきた門。周囲の建物はミッシーとフィリップの戦闘で焼け野原となっている場所だ。

 簡易的に修復された門を背に、俺たちは動けずにいる。


「そうみたいだな……」


 ミッシーは弓を手に持ちながらも、その弦を引く様子はない。腰に差した剣も、鞘から抜かれることはない。彼女の眼差しは遠くを見つめ、何かを思案しているようだ。


「拙いな……どんどん増えてるぞ」

「ソータ、撹乱するからベナマオ深林へ逃げるんだ」


 俺の返事を待たず、ミッシーは獣人たちに向けて風の魔法を放つ。突如として巻き起こった突風は、獣人たちを転がし、彼らの進行を阻む。


 不本意だ。巻き添え感が強い。しかし、他の獣人たちが続々と集まってくる。俺に選択の余地はない。逃げるしかないのか。


「早くしろ! 私も後を追う!!」


 ミッシーは意を決したのか、魔力が集まる弓を使い始めた。

 刺さった矢が爆発しているけど、獣人たちは器用にその攻撃を避けている。


 ……いやいや。なんだこの状況は。

 この世界に来てエリスと出会い、共に行動をしてきた。

 色々なことを教えてもらい、俺はエリスのことを仲間だと感じ始めていた。だが、あの世界に居たアリスのことを考えると、そうでは無いのかもしれない。


 何故なら、――――ここに集まってきている獣人の中に、アリスと同じ邪悪な気配を放つ子供が居るからだ。

 側にそっくりな姿をした獣人がいて、こちらを見ている。あれがデーモンを呼び出した獣人なのだろうか……。


 この場に留まり「俺はエリスの味方だ」と言い切ることはもはやできない。


 遠くから駆けてくる獣人、ブレナとブライアンの姿が見えた。姿形がそっくりな子供の獣人――いや、デーモンが併走している。どうやら彼らもデーモンを使役しているようだ。


 俺は彼らに背を向け、その場から脱兎のごとく駆け出した。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 獣人自治区を離れ森の奥深くへ分け入ると、突然開けた場所へ出た。

 ひどい有様だ。

 月明かりに照らされ眼前に広がる黒焦げの大地は、すえた臭いが充満している。さっき見た冥界とあまり変わらない風景に、白骨化した遺体が数え切れないくらいうち捨てられていた。


「遺体が白骨化するには、かなり時間がかかったはず……」


 この広場はエリスと共に通ってきた場所。白骨どころか遺体すら無かったはずなのに。

 考えている暇はない。背後から追ってくる獣人の気配を感じる。一刻も早く逃げなければ。


「……あれは」


 遠く離れた場所で、黒い塊が蠢いた。アリスの世界で見たものと同じだ。その周囲には獣人たちが広範囲に展開し、黒い塊を使役していた。

 俺は少し後退し、薮の中から観察を始める。


「……エルフの遺体を喰わせているのか」


 獣人たちがデーモンを使役しているというのは分かったけど、これはちょっとエグいな。

 つまり、獣人はエルフを襲い、自ら使役するデーモンの餌にしているということだ。白骨化した遺体は、あいつらが……。


「――――は?」


 俺を連れて行こうとした虎獣人、ジーン・デイカーが陣頭指揮を取っていた。

 ということは、あいつらゴライアスのメンツってことか……。


 俺は獣人が虐げられていると勝手にイメージしてたが、完全に過ちだったな。

 早くここを離れて身を隠さないと、俺も襲われる未来しか見えない。


「というか、もう見つかってたみたいだ……」


 背後に突然現れた二つの気配。音も無く忍び寄った獣人が、俺に襲い掛かってきた。


 振り向きざまにリキッドナノマシンの針を出し、小さい方の兎獣人――デーモンの額に突き刺そうとするも、黒い粘体へ変化してダメージを与えられなかった。

 そのまま俺に覆い被さってきたので、魔力で熱を持たせた拳で殴って吹っ飛ばす。


 こいつは、……兎獣人のシェール・スカーレットだ。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 風下にいたゴライアスのメンバーは、獣人自治区から近づいてくるソータの臭いに気づいていた。


 彼にデーモンの事を知られるわけにはいかない。

 これから先のことを考えると、それは絶対に阻止しなければならない事態なのだ。


 いち早く動き出したシェールは他の獣人の同行を断り、単独で動く。

 自身のスキルを考えると、そのほうがいいからだ。


 ――――残念だわ。


 気配を消し音も出さずに移動して見つけたソータは、すでにゴライアスのメンバーを観察していた。


 シェールは迷わずソータの殺害を決意し、傍らにいるデーモンに指示を出す。

 ソータを殺せ、と。


 しかし、飛びかかったデーモンは、白熱化したソータの拳ではじき飛ばされ、黒い液体となってしまった。まだ動いているので、死んではなさそうだ。


「ソータ、あたしたちの秘密を知ったのね」


「お前らは……、そこの黒い奴を使って何をするつもりなんだ?」


「ヒロキたちと同じ事を言うのね」


「は? 佐山のこと知ってるのか?」


 ソータの問いかけには応じず、シェールは悲しげな顔でスキル〝獣化ビーストマスター〟を使う。

 すると小柄な兎獣人は、メキメキと音を立て身体が巨大化。その姿はあっという間に、筋骨隆々の兎獣人へ変化していった。


 白目の部分が黄色く変化し、身体の血管が網の目のように浮き上がる。その表情は獲物を求める獣そのもの。よだれを飛ばす口は耳まで裂け、茶色い乱ぐい歯が見えている。ソータの倍以上の高さから見下ろすシェールは、ニヤリと笑みを浮かべた。


 そんな姿を見たソータは戸惑いつつも、殴りかかってきたシェールの拳を器用に避ける。体勢を崩したシェールの打撃は周囲の木に当たり、太い幹は易々と折れた。


「とんでもねぇ力だ……。やっぱ逃げたほうがいいな」


 ソータは佐山のことを聞きたい様子だが、まともに話ができる状態では無い。さらに、ゴライアスのメンバーがこちらへ向かっている。

 我を忘れたかのように暴れ始めたシェールを横目に、ソータの表情は無へと変化していく。


 めちゃくちゃに腕を振り回しながらシェールはソータに殴りかかる。

 しかし、透明な膜のようなものに阻まれて、その拳は届かなかった。

 次の瞬間、ソータの拳がシェールの顔面を捉える。

 シェールの顔はひん曲がりつつ、その巨体を宙に浮かして吹っ飛ばされた。


「おっと……逃がさねぇよ」


 木をへし折りながら吹っ飛んでいくシェールを確認し、ソータが踵を返したところ、そこには退路を塞ぐように虎獣人のジーンが立っていた。


 そこまでの出来事を見ていたジーンは、ソータの実力を確かめるかのように拳を握り締める。

 その目には、戦意と興奮の色が浮かんでいる。


「お前、ただの人間じゃないな」


 低い声で呟くジーン。その言葉には敵意と警戒心が滲んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る