第24話 邪悪の彼岸

 悪意を持って俺を殺しに来ている邪悪な黒い球体。あれはもうアリスだと考えない方が良さそうだ。


 火球が雨のように降り注ぐ中、俺も水球を連射して応戦する。しかし、攻撃はいたちごっこで終わりそうにない。そこで、水の魔法に風を組み合わせ、新たな一手を仕掛ける。


「うおっと!?」


 水球をかわした火球が足元に着弾し、炎が舞い上がる。


 危険を察知し、俺は屋根から飛び降りた。二階建ての高さから着地しても、この身体だと特に問題はない。


 着地と同時に、頭上で大爆発が轟く。あの爆風に巻き込まれていたら、と思うと身震いする。


 しかし、恐怖を感じないのは、俺の感情が平坦になっているからだ。この世界に来てから、俺は心身ともにニンゲンをやめてしまったのかもしれない。


 だからといって後悔はしないけど。


「……うん?」


 ふと気づく。静電気のような感覚が、俺を包む。


 飛び降りたのは家屋の間にある路地。その細道を繋ぐように電気の筋が走った。


 そういえば昨日の夜、俺はエリスの心肺蘇生で電気を使ったな。あれは風の魔法で摩擦を利用した電気だったけど、雷属性の魔法なんてあるのかもしれない。


 アリスは火球の攻撃を緩めないので、移動しながら考える。


 この世界に来てまだ三日目だけど、俺は魔法について真っ先に学ぶべきだった。


 佐山たちのことばかり考えて、心理的な視野狭窄に陥っているのは自明だ。その結果、足をすくわれるかもしれない。いや、まさに今、俺は魔法のことで後悔している。


「言い訳がましいな……。ベナマオ大森林では出来たじゃないか」


 四属性以外に雷があるのか知らないけど、やってみよう。


 一般的な雷は積乱雲の中で、プラスとマイナスの電荷が帯電することで発生する。上空にプラス、地表近くにマイナスだ。


 マイナス電荷を帯びた雲はクーロン力で、地表のプラス電荷を呼び寄せる。


 マイナス電荷の先駆放電が落ちると、地上から一気にプラス電荷が流れ込んで帰還雷撃となる。一回落ちて打ち上がるのが雷だ。


 だけどこの世界には魔素がある。水の魔法なんて物質創造と言っても過言ではなく、雷の仕組みを考えずとも、魔素で何とかなる可能性がある。


「とは言っても、雷のほうがイメージしやすいな……」


 一旦反撃をやめて、回避に専念する。俺に正体を知られてどれだけ拙いのか知らないけど、アリスのしつこくねちっこい攻撃は、未だ衰えを見せない。


 俺はその攻撃を避けつつ、上空の黒い雲に雷をイメージする。


「んごっ!?」


 体内から何かがごっそり引き抜かれた気がした。おそらく魔力を消費したのだろう。軽くめまいを感じつつ、俺は雷のイメージを強くする。


 狙いはアリスだった黒い球体。


 イメージが固まると、オゾン臭が漂いはじめた。


 ――――ドンッ!!


 次の瞬間、目の前が真っ白になり、耳をつんざく轟音と共に雷が落ちた。


 それは宙に浮いていた元アリスに直撃。落雷で力を失ったのか、ゆっくりと地上へ降り、元アリスは黒い液体となって地面に広がっていく。


 同時にアリスの気配が消えた。


 今使った魔法のせいなのか、空を見上げると雲がなくなり、星が見えている。


 ここも惑星なのか?


「いや……、さすがにおかしくね?」


 知っている星座がある……。


 これは様々な出来事が別の世界として共存し、かつ互いに干渉しない多世界解釈でないと説明がつかない……。ゲートの名称も、並行次元を繋ぐ結節点って報道されてたし。


「ソータ」


 ミッシーが屋根を飛び移って近づいてきた。


「なに?」


「貴様の魔法、何だあれは?」


「何だと言われても、雷の魔法だろう?」


「軍事レベルの魔法を個人で使って、どうして立っていられるんだと言っているのだ!」


 大声で俺に詰め寄るミッシー。


 そんな怖い顔で迫っても知るか。たぶん液状リキッド生体分子ナノマシンのおかげなんだろうけど、こいつに話す気にはならない。


 というか、ミッシーは驚いたり怒ったりくるくると表情が変わっているが、雷の魔法には驚いていない。


 つまり、電気もしくは雷属性の魔法があるということだ。


 とりあえず話を変えよう。


「出口を探さなくていいのか?」


「……話す気はないのか」


「話さねえよ……、元ギルマス」


「ちっ!」


 舌打ちしやがったこの野郎!


 ……てか、あれかな?


「あそこにゲートがあるぞ?」


「何っ!?」


 そこは雷が落ちた場所。アリスだったものは、黒い液体から燃え尽きた灰へと姿を変えていた。雷の残した焦げた匂いが空気を支配し、灰は風に乗って舞い上がり、天へと消えていく。


「いや……どこにあるんだ?」


「んじゃ、案内してやるよ」


 ミッシーは眼を細め、俺の視線の先を探るが、ゲートは見えないらしい。冥界の視界の悪さが、彼女にも影響を及ぼしているようだ。


 この辺りに黒い粘体の痕跡はないが、俺たちは念のため周囲を警戒しながら、アリスの隠れ家へと進む。


 水の魔法で地面は水たまりだらけだ。


「ここだけど、見えるか?」


 ゲートの前に立ち、指を差してみせる。しかし、ミッシーは何かを考え込んで、動かなくなった。


「ソータ……お前はここにどうやって来たんだ?」


「……たぶん、アリスが作ったゲートからだな」


「そのアリスだが、エリス・バークワースとそっくりな姿だったな?」


「ああ、そうだ」


「何か、変わったことは聞いてないか?」


「変わったこととは?」


「アリスを呼び出す儀式を行ったとか、血の盟約を結んだとか、そんな話は聞いてないのか?」


「……」


 儀式は聞いてないが、エリスの血でアリスを呼び出したとは聞いた。


「おい、何か心当たりがありそうだな?」


「……ああ。だとしたら、何が言いたいんだ?」


「やはりそうか……」


 ミッシーは腕を組んで考え込んでしまった。


 こいつは、ジョン・バークワース商会の財産どころか、獣人自治区の富裕層を狙ったコソ泥の親玉だ。トライアンフを襲撃して、大勢の獣人を殺害した大悪党でもある。


 こいつが何を考えているのか知らないけど、その罪は償わせた方がいいだろう。


「私が知っている事実を貴様に開示する」


 意を決したような表情でミッシーが話し始めた。


 曰く、獣人たちは非常に気性が荒く、他種族に対し残虐な行為を働くそうだ。


「迫害されてちゃ、そうなるのも頷ける気がするけどな……」


「迫害? 貴様は何を勘違いしているのだ」


 そもそも獣人たちは、サンルカル王国が行った政策で、実質的に自治区に閉じ込められているそうだ。その目的は、気性の激しい獣人たちが、多種族と戦争を起こさないようにするためだという。


 過去には、獣人たちがエルフを虐殺したこともあり、歴史的に敵対関係にあるそうだ。


 獣人はエルフやドワーフ、その他の種族に対して苛烈な敵対心を抱き、いくつかの種族は絶滅したこともあるという。


 例外はヒト種を中心とする、イーデン教に仕える者と、薬を作れる錬金術師だ。


「その話が本当だとして、何であんたは敵対している獣人自治区に――」


「一年前、エルフの村が何者かによって虐殺されたのだ! ひとりだけ生き残った子供は、熊の獣人が率いる冒険者たちが襲ってきたと証言しているっ!!」


「そ、そうか……」


 ミッシーは身体を震わせ、怒りの感情を必死に抑えている。


「それだけではない……。獣人は、この獣人自治区の奴らは、デーモンを使役している!!」


「……は?」


 デーモン? 悪魔とかそんな感じのやつ……、つまり、アリスのことか。


 ミッシーは歴史書などで学んでいたという。獣人がデーモンを使役して戦争を起したことを。儀式を行い血の契約を結ぶことで、デーモンが現世に現れて使役されることを。


 その対価は様々だ。一般的なものは金銀財宝や食べ物で、凶暴なデーモンになるとニンゲンを喰らうらしい。


 ミッシーは今回この世界に落ちてきたことで、アリスがデーモンだと確信したそうだ。


 その根拠は、エルフの本国に伝わる歴史書。そして、あのアリスを見れば頷ける話だ。


 つまり、アリスは人喰いデーモンだったということだ。……エリスたちはそのことを知っていたけど、俺に隠していた。


 足元にあったアリスの灰はすでに無くなっている。全て風に吹き飛ばされてしまった。


「ソータ、貴様はどこからこのゲートに入った?」


「そりゃあ隠れ家に決まってるだろ」


「危険だ……。ここを抜けても、エリスの仲間が待ち受けているだろう。貴様を殺すために」


「……」


 ミッシーの言葉だけなら信用できなかった。でもなぁ……この世界と、アリスの存在は現実のものだ。あれがデーモンだと言われても違和感はない。


「おいソータ……、別の出口を探すぞ」


「そうしよう……」


 俺は頷くしかなかった。


 とはいえゲートは中々見つからない。


 俺とミッシーは廃墟の中を警戒しながら進み、大きな門の前で立ち止まった。


 この門をくぐると、ベナマオ大森林へ行けるはずだ。現実の世界では。


「お? あそこにあるな」


「……どこだ?」


 俺には門の近くにゲートが見えているが、やはりミッシーには見えていない。


 周囲を警戒しながらゲートに近づき、俺たちはそこへ飛び込んだ。

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